フライ婆、本の最後のページをなくす。
「逃げるぞ!」
ポックを先頭に、なんとか森の中へと逃げ込む。
幾分か走ったところで、俺たちをスローダウンした。背後をうかがう。
「追ってこねえようだな。てかチョウ、なんでおめえだけおせえんだよ」
「女の子は色々あるネ。助けに来ただけでも感謝するよろし」
一応ポックも女なのだが、まあいいか。
ロロとリュウドウ、チョウさんはデメガマにドロ蜜をやり終え、帰ろうとしていたらしい。そのとき旧訓練所のほうから大きな音を聞き、向かってきてくれたのだと。ちなみにチョウさんはお花を摘んでいたネ、とのこと。
「そういえば、ネギリネはもうあそこにはいないのか?」
と俺はロロに訊ねた。
「旧訓練所の固さに飽きたらしくて、今頃地中に潜ってるんじゃないかな?」
固さに飽き、とは。毎日同じ飯食ってたら飽きるのと同じ感覚だろうか。
「そんなことより、この婆さんとあの襲って来たやつらは誰ネ」
「いや、俺たちもよくわからないというか、空から降って来たんだが」
と俺はフライ婆を見た。フライ婆は、再びふわふわと浮き、本を開いて困った顔を浮かべている。魔力残ってたのかよ。
「どうしたんだ、婆さん?」
ポックが問うた。
「リピッドデッドに取られたかのう、本の最後が破れとってな」
「そんなに大切な本なのですか?」
ロロの問いに「何の本か、知りたいか?」とフライ婆はにやりと笑った。
「どうせ教えてくんねえんだろ」
ポックがことばを吐き捨てる。
「逞しき流星群たちよ、あたしの心配事も杞憂であったようさね。この本はな」
さっきまでの喧噪が嘘のように森は静かである。ごくりと唾を飲み込む。聞いていいのか?漠然とした不安が募る。近くの木で大きく蝉が鳴いた。ぐおんぐおんと雲が動くと、葉擦れとともに強い風が吹いた。木々の合間から覗く月がフライ婆の顔を照らす。
「この本はな、グウォールの残した予言書よ」
なんでそんなん持ってんだよ。やっぱり聞かなきゃよかったか。
グウォール。歴史学のテストで最重要人物としてテストにもでてきた。500年程前、リールウェインとロンドルフによるレッドローズの戦い、さらにモンスターの発生と、混乱しきった世界をなんとかまとめ、さらには初等学校の設立など、教育にも貢献した名宰相。且つ誰もが知っている『オルウーグの冒険日誌』のもととなった日誌の著者であり、そもそもかつては占星術師、という色々とスーパーマンな歴史の人だ。
「なに言ってるネこの婆さん」
とチョウさんは疑わしげ。無理もない。
「いや、嘘だとは思わねえな。婆さん、なら、その予言書を狙うさっきのやつらはなんだ?」
「あやつらは、人型モンスター『シャンゴ』の使いさね。あたしが浮島を旅してたときにそいつらに捕まってな。シャンゴは最近見つかった人型じゃが、この500年近く空に潜んでいたと考えられとる。その間に、人は敵だと鳥人たちを洗脳し、統率した。10年前の魔王復活騒動にかこつけて、旧訓練所を襲ったのもそのためさね」
「鳥人というのは、あの羽の生えた人たちですか?童話には出てきましたが、実際にいたとは」
ロロが訊ねた。
「浮島に住んでるのはほとんどあんたたちと同じ人間さね。鳥人は浮島でも少数でな、しかも小さな浮島に追いやられて細々と暮らしておった。その羽と高い魔力を浮島の人々が恐れたんさな。それにシャンゴが目をつけ、自らを神と名乗り、統率したんさね。いまや浮島一帯がその支配下にあるといっても過言ではないよ」
「で、そいつらが予言書を狙ってたと」
「そうさな、ポック。最後のページが破れてどっかにいってしまったがの」
「本当ならグウォールの予言書なんて国宝中の国宝だぜ。婆さん、なんであんたがそれをもってんだ?そろそろ正体を教えろ」
川の音が聞こえる。人の声も飛び交う。薄暗い視界のなか、土手が見えて来た。そういえば今日は祭りだったな。リオナの声も聞こえた。リオナは魔法玉の接合をしっかりやったんだろうか。
「ストア様!ストア様ではありませんか!」
後ろから、聞き覚えのある声がした。
黒いマントにザ、魔法使いといった黒い尖り帽子。あれは、我が学年の主任。
「グラスじゃ!逃げるさね!」
フライ婆は土手に向かって逃げた。俺の右手も持ってかれる。そう、二人は赤い糸で繋がっているのだ。
「いて、いててテ」
土手を昇る。川沿いには法被姿の職人たちがいた。魔法玉を打ち上げるための砲台が並べられている。
「今日はスターリーナイトさね!」
と急にテンションの上がったフライ婆は、ひと際大きな砲台に向かっていく。
「よーし、点火だ!」
男の野太い声がした。職人が、砲台に火をつける。
「ちょ、フライ婆、どうする気ですか!?いて、いてて」
「勇者よ、空を飛ぶんさね!フライスカーイ!」
「カイ!?どこにいってたの!?」
シュナの声だ。視界が暗いしフライ婆に引っ張られるしでどこかはわからない。
どんどん砲台から魔法玉が打ち上げられる。空から星が降るように、美しいイルミネーションがリーフ市の夜空に浮かんでいる。
「ちょ、フライ婆じゃん!マジ危ないって!」
リオナが制止する。が、フライ婆はふわふわと避ける。引きずられるように付き従う。右腕が痛い。
一番奥に、ひと際大きな砲台があった。すでに火が灯されている。
やめて。嫌な予感。
「フラーイ、スカーイ!」
とフライ婆は砲台の発射に合わせて、発射される魔法玉に乗った。神業だああああ!
「ぎゃああああああああああああ」
砲台の発射音とともに、すごい勢いで空へと向かう。ああ、死ぬんだな、俺は。右腕も、痛い。いや、痛くない。足下は、すかすか。月がいつもよりも近い。
「下を見てみんさい、勇者よ」
とフライ婆はにっこりと笑う。
「俺は勇者ではありませんが。ああ、綺麗ですね」
リーフ市がはるか下にあった。
「ほれ」
とフライ婆が予言書を投げた。「おわ、っと」となんとかキャッチする。
「いいんですか。大切なものなのでは」
「その本はもう紙切れも同然さね。破られたのは最後のページよ。もしかしたらモンスターの手に渡ったやもしれんな」
「それは、やばいですね」
「やばい、やばいと思うとったが、どうやら杞憂で終わりそうさな。あんたらは強い。流星群よ、ひゃっひゃっひゃ。のしかかる困難を糧とし、己が強さを知り、仲間の強さを知り、己の弱さを知り、仲間の弱さを知り、果てに次の扉を開くんさな」
月明かりに照らされたフライ婆は、ひゃっひゃっひゃと笑った。変装用にしていたベレー帽と口ひげはいつのまにか取れたようで、綿毛のような白髪が露になっている。自由奔放などこかの妖精のようでもあるし、慈愛に満ちたおばあさんにも見える。不思議な人だな、となぜか今になってありありとフライ婆を見た。
「あと数分しかもたんで、はよ地上に降りた方がええぞい」
とフライ婆は結んでいた糸をはらりとほどいた。
「え?」
「自分以外を浮かせるのは結構大変なんさな」
「は、早く言ってくださいよ!」
急いで地上へと下りる。すかすかしてなかなか下へ進まない。が、じたばたしてみると、結構スムーズに下りられる。じたばたしてスムーズとはこれいかに。
「数多の星流れ落ちるとき、勇者生まるる」
フライ婆の声が上から降ってきた。
「は?」
と上を見上げる。月が眩しい。
「だーかーら!数多の星流れ落ちるとき、勇者生まるる、じゃ!」
「ああ、最後のページのことですか」
「そうさな!しまらんやつじゃな!」
月明かりが影になってどんな表情をしているかはわからないが、最後の最後にしてフライ婆を怒らせてしまったようである。
「ほれ、急げ、落下死するぞ!」
「はいはい」
勝手に浮かせといて自己中な人である。
じたばたとスムーズに地上へと下りていく。
街の光に心が温まる。
「おーい、大丈夫か!?」
ポックの声だ。
頭一つでかいリュウドウが見えた。周りにシュナが、ロロが、ロゼが、リオナが、みんながいる。
やっぱり地上がいいな。
黒いとんがり帽子のグラス先生が見えた。腕を組んでこちらを見ている。
やっぱり空もいいな。




