ムツキの心配事
演習を終えると、早速ムツキを追った。ロロとリュウドウは興味がないようで、デメガマにドロ蜜をやりにいくと去っていった。なんとロロがネギリネの様子も気になると、二人で時々あの廃墟まで言っているそうである。リュウドウがいれば安心か。
ムツキが女子トイレの前で目を瞑って立っている。
「ムツキ」
とポックが呼んだ。
「ポックくん、カイくん、私から折り入ってお願いがあります」
と待っていたかのように、ムツキはかっと目を開いた。長い前髪から見える銀色の目は美しい。
機先を制され、「お、おう」と俺とポックはムツキの次のことばを待った。
「ユキを自立させてほしいのです」
「いや、無理だろ」
とポックが即答する。
「そこをなんとかお願いします。私はやっとユキから離れられる」
「離れられる?」
と俺は訊ねた。
「もう見られたので、お二人なら事情を話しても構いませんね。私は、幽霊なのです」
「幽霊!?」
建前上驚いた。いや、そんな気もしてはいたが。
ムツキは、俺の反応に満足げに頷くと再び口を開いた。
話は400年前に遡る。当時、ノーエ地方で一番の魔法使い、100年に一人の逸材と言われたムツキは(本人談である)、雪山に現れたという怪物を倒すべく旅に出る。ノーエの厳しい自然に耐えながら、ようやくその怪物と相対し、なんとか倒すことに成功する。しかし、そのときすでにムツキにも体力は残っていなかった。村へ帰る途中、運悪く雪崩に巻き込まれ、極限の空腹のなか息絶えてしまう。そのときとにかく食べたかったというのが
「白雪饅頭なのです」
「ああ、ロロが買ってきやたつか」
「そうですポックくん。私はその饅頭が忘れられず、死後もなお霊となってそこに居残ったのです。村人は怪物を倒した私を祀り、そこに祠をつくりました。そしてなんと、白雪饅頭を一つお供えしてくださったのです。不思議なことに、私の食べたいという意志がその饅頭を何百年と腐らせなかったのです。白雪饅頭伝説の真相はこうだったのです」
「いや、そんな伝説しらねえが」
とポックは言ったが、ムツキは気にせず続ける。
「生前の20分の1ほどの魔力になってしまいましたが、時折村にかかる災いを払ったりして、地縛霊ライフを楽しんでおりました。その饅頭が見られるだけで嬉しかったのです。しかし時がたち、お参りにくる人も減りました。忘れられたのですね、私は。そろそろ成仏するかと思っていたそんなとき、ユキが現れたのです。彼女がまだ一桁の年齢だったと思います。精神年齢は今も成長していませんが。ユキは何を思ったか、供えられていた私の白雪饅頭を食べてしまったのです」
ああ、食べそうだな。
「私はその頃より、ユキから離れられなくなってしまったのです」
「動く地縛霊とは。ユキは知ってるのか」
と俺は訊ねた。
「ユキは馬鹿なので私が幽霊であることは知りません。なんか付いてくる舎弟ぐらいに思っていることでしょう。最近、部分部分なら実体化できるようにもなりました。少量なら食べ物も摂取できるようにもなったのです」
ムツキが俺に触れた。本当だ。すごい幽霊だな。
「そして、とうとうみつけました。あの売り切れごめんの白雪饅頭が私の身近にあるではないですか。あの饅頭さえ食べられれば、現世に残る意味はありません」
「早く食べにいけよ」
「ポックくん、心配事があるのですよ。ユキです。私がいなくてはなにもできません。これも何かの縁と思って、ユキをなんとか自立できるようにしてほしいのです」
そのとき、女子トイレの扉が開いた。
「ムツキー、うんちたくさんでたのですー、って、ポックにカイではありませんか。どうしたのです」
「いや、特になんもないけど、うんこって女の子が言うのはどうかと」
「カイ、あなたにも見せて上げたかったのです。一杯でたのです。うふふ。行きましょうムツキ、一杯出たので一杯食べるのです」
「ユキ、カイくんの言う通りです。女の子がそんなことばを使ってはいけません。もう初等学生ではないのですから、もう少ししっかりしなくてはいけませんよ」
ムツキがユキに注意するなんて。珍しい。いや、初めて見た。
「む、ムツキだって、うんちするのです」
「そういう問題ではありません。それに、手もびしゃびしゃではありませんか。ハンカチを持っておかないと」
「き、今日のムツキはおかしいのです」
とユキはどんどこ歩き始めた。
はあ、とムツキはため息をつくと
「明日の9時に、女子寮の門に、来てください」
とことばを残し、去っていった。
明日はせっかくの休みなんだが。
ーーーーー
翌朝、眠そうなポックを無理矢理起こし女子寮へと向かった。門の陰にムツキがいた。小声で俺たちに話しかけてくる。
「おはようございます。ユキがもうすぐ来ます。私はこっそり付いていきますので、お二人はユキとでかけてください」
「なんで?」
とポックが訊ねた。
「さすがに急に一人で出かけるのはユキも大変かなと。あ、ユキが来ました。それでは、私は付かず離れずのところにいますので」
結構な過保護だな。まあユキ相手なら仕方がないか。
「カイ、ポック!ムツキを知りませんか?」
ぼさぼさ頭のユキが現れた。
「お前、櫛をしろ櫛を」
とポックがユキの髪の毛に手櫛を入れる。久しぶりに見るポックの女要素である。
「ムツキは見なかったぞ」
と俺は答えた。
「そうですか。まあ、ムツキなんていいのです」
ユキにしては刺のある言い方である。昨日から二人の関係がおかしくなっているようである。
「なんかあったのか?」
と俺は訊ねた。
「昨日から五月蝿かったのです。朝は何時に起きるとか、歯磨きを毎日するとか、トイレのあとは手を洗うとか、水は1日1リットル飲むとか、もううんざりなのです」
俺が故郷を発つことが決まったときの母さんがそんな感じだったな。しかし水分量まで指定するとは。
「で、今日はいくとこあんのか?」
ポックが訊ねた。
「リオナのやっているキャンディ屋さんにいくのです!」
とユキは笑顔で歩き出した。
へいへい、とポックがだるそうに付いていく。
俺は、門の陰に隠れているムツキを見た。がんばって、と口の動きだけだが言っている。頑張るほどのことでもないのだが。にしても、休日の6番街に出向くのは少し気が引けるな。




