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俺は勇者じゃない。  作者: joblessman
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一人の男の一生

 母は城内に行くことが許された数少ない物売りの一人だった。母はよくモテた。顔が大層美人なわけではないが、豊かな身体付きは男を引き寄せ、さらにちょうど良い庶民感とその愛嬌は男が手を伸ばしやすかったのだろうと思う。たくさんの男と遊ぶことで研ぎ澄まされた色気もあったように思う。


「あんたは男なんだから、ちゃんと学校に行ってしっかり勉強しなさい」


 母は口酸っぱく俺に言った。俺は、幼少期から母と幾らかの男の夜を見てきた。母は女の武器を駆使して生き残ってきたのだろうと、自然と思った。物売りは男が多い。その中で、数少ない城内への行き来が許された物売りになれたのも、そういうことだったのだろう。

 家は裕福ではなかったが、学校に行かせてもらった。母は一丁前に俺の成長を喜んでもいた。だが、母への感謝はなかった。勝手に産んだのはお前だろう。夜な夜な遊びに出かける母への軽蔑があった。男も女も、気持ち悪かった。母に惑わされる男も、男の食い物にされてるような母も。どちらも涎を垂らしたハイエナに見えた。汚い。それでいて昼間は、「子育ては大変だ」と母親というステータスに酔いしれていた。

 10歳の時、俺は母に、父について尋ねた。母は、「どっかで働いてるんじゃないの」と答えた。誰の子かすら分かっていないのだろう、と勝手に結論づけた。自分はクズとクズの子供だ。それで興味は無くなった。

 15の時、恋をした。ハンナという名の、クラスメイトだった。魔法の上級クラスで出会った。たまたま隣になった女。ミルニア教徒の敬虔な女だった。純粋無垢で、つぶらな瞳をしていた。思春期の男女の垣根を超えて、無邪気に話しかけてくる。それは俺が優秀な生徒だったからでも、顔が良かったからでもない。たまたま隣の席だったから。ハンナは誰とでもフランクに話したが、そのせいなのか学校では変人のような目でも見られていた。

 馬鹿な女だなと最初は思っていた。実際、勉強はできたが馬鹿な女だった。馬鹿というより、純粋なんだろう。悪意を知らない。ハンナには上も下もない。人への格付けがない。みんな持っている人への格付けが。それは各人によって劣等感かもしれないし、優越感かもしれない。こいつには、それがないんだ。冬の寒い日に、ミルニア教会の前をたまたま通った。教会の扉が開いていた。薄暗い堂内に、幾らかの人が歩いていた。背中が見えた。ハンナの背中だとすぐにわかった。俺は教会に入っていった。ハンナは、俺に気づくことなく、ミルニア像の下で膝をつき、祈りを捧げていた。一瞬、彼女に見惚れてしまった。誰に負けたわけではない。誰と勝負しているわけでもない。だけど、見惚れてしまったのだ。その横顔に、その流れるストレートの髪の毛に。長くも短くもない指に。その白い吐息に。俺はハンナに話しかけずに、そのまま教会を出た。彼女の前では、やはりみんな平等だった。神の下では全て同じだったのだろう。学校を卒業して、それぞれがお互いの道へと進んだ。それで終わりだった。

 魔法の発展利用と研究を主としている行政区分の仕事についた。金も良かったし、魔法の研究もできた。魔法は未知だった。そこには無限の夢があった。研究しているときは、この世界から離れられた。希望だった。そして、自分は優秀だという自負があった。自分がこの世界に生きていていいと許してくれる、唯一の柱。夢であり、支え。

 何年も立たないうちにわかった。魔法の研究も、上には上がいる。自分は特別ではないことがわかったそのとき、柱が、おぼつかない中にもなんとか自分を支えてくれていた柱がなくなった。ぐにゃりと世界が曲がった。違う、自分が曲がってるんだ。

 適当な女と体の関係を持った。

 俺と同じレベルの、その程度の女たち。

 自分より優秀な女はたくさんいる。優秀な魔法の使い手も、研究で優れている女も。だけど俺がやるのはそんな上の奴らじゃない。母親と同じ部類の、その程度の女だ。結局俺は、その程度のレベルの男なんだ。

 やるだけやって、あとは女をぞんざいに扱った。それが唯一の抵抗だった。

 生きている意味を模索していた。生きていることに意味はあるのだろうか。命はただの現象だ。何を思うことはない。だが、なぜこんなにも虚しさがある。何か捨てきれないものが残っていた。人生への希望だろうか。淡い、希望。

 学校を卒業してちょうど10年がたった。

 冬の寒い日だった。

 たまたまだった。あの教会の前を通った。すぐにわかった。俺は教会へと入っていく。

 祈りを捧げるハンナの背中は、10年前よりも丸みを帯びていた。髪の毛も短くなっていた。だけど、なぜか涙が出そうになる。変わらず祈りを捧げるその姿が、美しかった。

 子供の声が聞こえた。


「ママ、ママ」


 小さな子供がハンナの元へとことこと歩いてくる。

 後ろには、穏やかな表情の男がいた。育ちの良さそうな、誰からもモテそうな男に見えた。

 俺は涙を堪え、教会を後にした。

 聖人は聖人と、クズはクズと。

 俺はクズとクズの子で。最も遠い存在に憧れていた、夢みがちな馬鹿な少年だった。生きる希望はなくなっていた。ただの恋する少年だっただけの話だった。 


 母親は50も過ぎ、昔よりも落ち着いていた。会えば喧嘩する仲だったが、それでも数ヶ月に一度は母の元に会いに行った。母親は、どれだけ喧嘩しても母親ずらして、ちゃんと食べてるのか、次にいつ帰ってくるのかを訊ねてきた。あるとき、母親が「会わせたい人がいる」といつになく真面目に言った。連れてきたのは、昔母親が連れてきていたような雄ではなく、優しそうな笑顔の頭の禿げた男だった。男と一緒にいる母親の表情も、いつになく穏やかに見えた。俺の知らない母親の笑顔だった。結婚するとのことだった。「こんなやつでいいんですか?」と俺は男に訊ねた。男は俺を前に少しの緊張があったが、「大切にいたします」と丁寧に言った。まるで俺がお義父さんだった。「幸せにしてやってください」とキザに言った。後から考えればちゃんちゃらおかしい場面だが、そのときは本気で言ったように思う。

 クソババアは、好きなように生きて、最後には優しそうなおっさんの元に行った。勝手に産んで好きなように生きやがって。そう思いながらも、自嘲気味に笑う。30にもなって、いつまで子供のようなことを考えてるんだろうと。

 解放されたような気持ちがあった。生きる義務が消えた。だが、目的のない解放は、そこに虚無しかもたらさなかった。

 適当に女と寝て、適当に女をあしらって。

 生きることに意味をなくしていくとともに、仕事の成績は上がっていった。仕事に没頭している時間は、何もかもを忘れられた。

 上司からある依頼がきた。

 一定の範囲内の人間の行動を制限する魔法の研究

 収容している犯罪者の行動を縛るためのものだと説明を受けた。

 少数のチームのリーダーになって研究を行った。いくつかの試行錯誤のもと、魔法を込めた誓約書を利用しその記入によって魔法が作動するという仕組みを考えた。高度な魔法操作と仕組みの理解が必要だったが、そのときの俺には苦ではなかった。

 研究は秘密裏に行われ、秘密裏に上にあげられた。

 数ヶ月と経たないうちに、再び上司から話があった。

 魔法を生かして城内で働かないかということだった。


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