シュウ・オーツ 決行の日
光が雲を縫って世界を薄簿と照らし始める。ひと月前までは雪景色だった世界も、今や木々が地面が露になり、そこはかとない活気が目に見えるようであった。だが、北に聳える『マザー』はその麓近くまで未だ白く塗られている。
護衛兵の任務は、ある子供たちを『マザー』へ連れて行くことであった。子供たち、つまりルイーズがリスト化した、魔力が高く、且つ攻撃魔法を適正とする子供達のことである。新米護衛兵であるシュウは、任務の詳細が聞かされておらず6時に城の北側の門に来るよう言われていた。だが、シュウはその時間が近くなっても城の中から窓の外の様子を伺っていた。小さく手が震えている。もう震えるような寒さはないはずなのに。
ーーーオロフがうまくやってくれるはずだ
任務に参加するのは、オロフ以外にジョージ王の護衛兵が二人いる。3人の中ではオロフが幅を利かせているように見えた。故に、オロフの一存でシュウがいなくても任務は進むに違いないと思った。もちろんオロフがシュウの話に乗ってくれていることが前提ではある。
定刻の6時を幾らか過ぎたとき、ある異変があった。
耳を擘くような、耳を刺すような声が、音が辺りに響いた。いや、響いたというよりも、一瞬声が辺りを刺したと言ったほうが良い。小さな痛みがシュウの耳に残る。北の方角からあった。声の余韻から、微かに魔力を感じる。すぐにその方を見る。北門の手前に、3人の護衛兵と5人の子供たちの背中が見えた。声、多分子供の声だ。子供の一人が何らかの抵抗を試みたのかもしれない。しかし敢えなく、3人と5人の背中は、北門の方へと小さくなっていく。子供たちは引きずられるように、力なく歩いている。消えていく背中を見ながら、シュウの手の震えが止まった。シュウは西塔の階下へと降りて行く。誓約書の魔法を解除するために。
ーーー護衛兵の行動を縛り付けている誓約書の魔法、その使い手はジョージ王の側近の男に違いない
シュウ自身が誓約書に血判を押すとき、微かに感じられた魔力。それがあの男のものだとシュウは確信を持っていた。白髪をオールバックにした、いつも人を見下したような目で見るジョージ王の側近の名前をノーブルと言った。魔法の効果発動のために、誓約書に血判を押させるというのは困難な条件ではあるが、それにしても人の行動を縛るというのはとてつもない強力な魔法である。故に、その解除方法は誓約書を破りさえしなくても、術者が死ねばその魔法は消えるのではないか、とこれはシュウが導き出した一つの仮説である。もしくは、術者がその誓約書を身近に持っておかなくてはならないだろうというのがもう一つの仮説である。
側近の男ノーブルには、毎朝のルーティンがあった。南側の城の扉を開け、眼下の小広場を見る。ひととき置いて扉を閉め、玄関ホールの階下にある何らかの像があったらしきところへ行き、そこにはない像をあたかもあるがごとく見上げるのである。その時ばかりはいつもの人を見下ろしたような視線はなくなり、年老いたものが回顧するように瞳を柔らげ、一瞬の余韻に浸っているようであった。その際、ジョージ王の護衛兵が巡回に玄関ホールを歩いていることがあった。だが、今日は任務に出払っているのでその心配もない。
シュウは西塔の1階まで降りると、慎重に玄関ホールの手前まで向かう。呼吸は落ち着いている。さっきのあれは、耳を刺す声は、悲鳴だ。子供達の悲鳴。子供を攫ってきている。悪だ。
ーーー悪が、そこにある。だから俺は正義なんだ。
ノーブルはもうすぐ現れる。やつを刺して身を隠す。誓約書の魔法は解かれ、オロフが大きな行動を起こすはずだ。あいつの情念は、溜まりに溜まった欲望は、必ずこの機に飛びつくはずだ。誓約書さえなくなれば力はこちらにある。王族を捕らえ、全ての秘密を公に晒せばいい。子供たちを攫ってくる王族など正しいはずがない。少なくとも、アルテを助け出して逃げ出すことができれば、それだけで一つの正義にはなるはずだろう。俺の親友の姪っ子だ。大義はある。
ーーー大義はある
再び心拍数が高鳴る。曖昧な未来への、自らの計画への不安はあった。ただ、行動しないことへの怖さもあった。自身が自身でいるために。
ーーー焦り過ぎたか。他に方法はあったか。だが、待って何になる。くそ
未だノーブルは玄関ホールに現れない。
そばに窓があった。ちらと、ふと窓から北の方を見た。はっとシュウの体が硬直する。金色の髪の毛が揺れている。小さな背中。
ーーーアルテ
アルテが、北の方へと走っていく。
あの『声』を聞いて城を抜け出したのか?アルテの方に行くか?俺が今そちらへ向かえば。
ーーー全てが終わる。
思考と行動が停止する。
その時、中央の扉がぎいっと開いた。
白髪をオールバックに揃え、タキシード姿で決めたノーブルがコツコツと革靴の音を立てながら現れた。




