シュウ・オーツ
「ピーター」
その名がルイから出た時、珍しくシュウの心拍数は上がった。
5歳の時、突如として消えた同級生。
シュウとピーターは幼稚学校が一緒だった。少しぽっちゃりしていて、どちらかといえば内向的だが優しいやつだった。運動おんちで剣の使い方は不器用そのものであり、同級生からよくからかわれていた。シュウはピーターと特別仲が良かったわけではないが、幼稚学校の遠足の時、ピーターの魔法の力を見ることになる。公園での自由時間、友達と遊ぶシュウの視界の隅に、森の中へ入っていくピーターが映った。なんとなく気になって、シュウは一人、こっそりピーターを追った。ピーターのそばに、羽をひどく怪我をした鳥がいた。怪我をしてから随分時間が経っているらしく、ピクリと動きはするが非常に弱々しい。
ーーー鳥が死にそうだ。
シュウは、ただそう思った。まだ5歳であったが、大人になった今思い返してもませていたガキだったと思う。感傷はなく、自分には何もできないという淡々とその事実を受け入れ、そこに死が近いのだろうという感想を持っただけであった。
ピーターは、なんの迷いもなく鳥に近づいていき、手をかざした。周囲にぶわりと魔力の気が広がる。まもなく鳥は元気に鳴き声をあげると、バサバサと飛んだ。ピーターは、目を輝かせて鳥を見ていた。
「すごいな」
シュウは言葉を漏らした。
はっとピーターは振り返った。
「シュウ、くん」
二人はクラスの元へ戻った。ピーターは誰に報告することもなく、いつもの無口なピーターに戻った。
「自慢しないのか?」
シュウの物言いは直球だった。周りの友達なら、自分なら、そんな魔力があれば自慢するだろう。何も言わないピーターが不思議だった。
「う、うん」とピーターはニコニコ笑った。優しくて愛嬌のある笑顔であった。
それは、その時感じたピーターの魔法は、歳を経たシュウにとってもいまだに強く記憶に残るものであった。名門オーツ家に生まれ、軍学校も一番の成績で卒業し、多くの優秀な魔法の使い手を見てきたが、あれほどの魔力の豊かさを感じたことはなかった。それはもちろん思い出による美化もあるかもしれないが、温厚で優しくて魔法の才に溢れ、それを鼻にかけようともしないピーターは、シュウにとってスペシャルな人間なんだと思わせた。それからシュウはピーターと仲良くすることが増えた。笑うと愛嬌があり、とにかく優しかった。そして時折見せる魔法は、やはりスペシャルなものだった。
ピーターはそれから1ヶ月後に、突然いなくなった。昨日まで普通にいたピーターが、急遽大した理由を説明されることなくいなくなった。その日はクラスメイトも、病気だろうか、どうしたんだろうとピーターの話をしたが、次の日には誰も話題にしなくなった。
シュウは、ピーターがいなくなったその日、10日ほど前に聞いた大人たちのある会話を思い出した。それはシュウの実家であるオーツ家での会話であった。夜中トイレに起きてきたシュウは、応接間の明かりがついていることに気がついた。
ーーーなんでこんな夜中に
部屋の中は見えないが、扉越しに廊下からこっそりと聞き耳を立てる。
「シュウがリストにあったのか」
シュウの父の声であった。
「はい」
と野太い声が答えた。
「いくら使ってもいい。リストからシュウは除外しろ。シュウは攫わせるな」
短い会話であったが、シュウは自分のこととあって強く覚えていた。
シュウは、ピーターがいなくなったその日、父にまっすぐに訊ねた。それはピーターという特別な存在への執着と、そして偉大で尊敬する父を嫌いになりたくないがためでもあった。
「お父様、友達がいなくなりました。この間の会話を聞きました。リストとはなんですか」
父ははっと目を見開いた。すぐに笑顔を浮かべ、何かいろんなことを言った。その笑顔は欺瞞的で、その言葉も欺瞞的だった。シュウはその父の姿に心がもやもやと重くなった。そんなシュウの様子を見て父は、何か観念したように「お前を守るためだったんだよ」と言った。強く偉大な父の初めて吐く弱音めいたことばであった。シュウがそれ以上この出来事について追及することはなかった。ピーターがいなくなったことに、自分はただただ無力だと思った。
シュウはその後、実直に優秀に、軍学校へと入学する。オーツ家はトワイトでも有数の名門一族で、トワイトの政治の一翼をになっていた。シュウには年の離れた兄が一人おり、オーツ家の当主としてその実務をこなしていた。学業、魔法、剣技、あらゆる能力に長けていたシュウに、次男という立ち位置を勿体無いと言う人も少なくはなかったが、シュウ自身は兄の存在がありがたかった。
ーーー自由に生きられる
このキエロ連邦という国が、自身の母国が、どうもきな臭かった。そう感じたのは友人ピーターの謎の消失が大きな要因であるが、そもそもの国自体のあり方にもあった。キエロ連邦は、王族の城とキャトルという街がある内地、そこから森を隔ててトワイト、ビルシュの大きく3つの地域に分かれていた。同じ国内でありながら、トワイトやビルシュから内地へ行くには通行許可証が必要であった。内地にいる王族というが、自身も含めて誰も見たことがなければ名前も知らない。他国との交流といえば、数ヶ月に一度ルート王国とレヴェル共和国の商人が来るぐらいで、それも小規模なものであった。
ーーーこの国には、闇がある。
優秀な軍人は内地へ赴任することができた。内地赴任はごくごく僅かな優秀かつ出自の格が高いもののみが任命される。シュウの能力も家柄も申し分なかった。
シュウが20歳の頃、父が亡くなった。父との関係はずっと良好であった。生来意志の強いシュウのすることに、父が何か反対することはなかった。仕事も家庭でもどっしりとしており、家族に優しい愛情を持つ父をシュウは本当に尊敬していた。だが、内地への赴任のために軍人になったことは父にも伝えなかった。唯一、幼いころから従者としているノエルには伝えた。軍においても、シュウは本当の野望を誰にも言わなかった。シュウが軍に入った頃、トワイトの軍の指揮をとっていたのは野太い声の男だった。幼少期に聞いた会話、父と話していたその声であった。国の闇に、父もこの男も、つまり大人たちは知りながらに何もできずにいる。それが仕方のないことだとは理解しつつも、自分のすることへの妨げになるなら信用すべきではないと本当の野望を隠した。
25歳の時、シュウは内地への赴任権利を得た。異例の若さであった。それを可能にしたのは、シュウの優秀さと実直さ、そして兄の尽力があった。年の離れた兄はすでに父の地盤を継ぎ、トワイトにおいて大きな力を持っていた。
内地へ赴任し、王族が住むという城の周りの警護にあたる。外敵がいるわけでもなく、平穏な日々が続いた。城内には入れないが、中の音の少なさが気になった。王族というのは、何人いて何をしているのかわからなかった。だが、時折城門から豪華品が荷車で大量に運ばれていた。
そうして平穏な任務が2年続いた。ただ実直に、上官のいうことを聞いた。なんの隙も見せず、なんの野心も見せず、ただ実直に。そしてようやくシュウは、城内へと入る機会を得た。王族の前で日々の訓練、つまり演舞を見せるということで、特に優秀で特に信頼を得た兵士が城内へと招かれた。石畳の道がまっすぐに伸びている。道の両脇に建物がいくつもあったが、人の姿はなかった。道の先に円形の広場があり、その向こうに城があった。主塔は高く頂上付近に丸時計があり、まるでルーツ広場にある教会のようであった。城のさらに背後には、独立峰『マザー』が聳えていた。城の脇には軍舎があった。選抜された兵士が、護衛兵として城内に住んでいた。
広場の一角に一段高い石の舞台があり、その上に並んだ豪勢な椅子に王族らしきものたちが座っていた。王族に視線を向けてはいけないと指示があったのでしっかりと見えないが、その椅子に座っているのが男一人と女二人だというのはわかった。王族のそばには護衛兵が並んで立っており、さらに外側に世話人のように小柄な男女が数人立っていた。
魔法の実演。シュウが広場の真ん中に立ち、薄い光を放つ透明な壁を作り出す。幾本もの矢がシュウに放たれる。だが、透明な壁に阻まれ地面に落ちた。
王族の誰かが感嘆の声をあげた。護衛兵の一人が、シュウの名を呼び寄せた。
「素晴らしい魔法であった。顔をあげよ」
と王族の男が言った。
シュウは顔を上げた。
「いい男じゃないか」
王族の女の一人、大柄な女が言った。
3人の王族の者たち。男は眼力が強く鼻は鷲っぱなで大きかった。女の一人は大きな目に分厚い唇の大柄な女で、もう一人の女は華奢で、涼やかな目を細めて口元を布で隠している。なんとなく、いや間違いなく、この3人は血縁関係にないとシュウは思った。
「我らのために献身し、励むが良い」
王族の男が言うと、シュウは「ありがとうございます」とその場を下がろうとした。その時、視線を王族から横に移したその時、小柄な男がシュウの目に映った。王族の世話人の一人の、小柄な男。どくんと、シュウの心拍数が上がる。冷静を装い、その場を下がる。
軍の列に戻りながらに、シュウは拳を強く握った。間違いない。絶対にそうだ。子供のような身長で、昔よりもふくよかさは無くなっていた。目の下の皺、ほうれい線は自分と同じ歳とは思えぬほど深く、50代と言われてもおかしくないように見えた。だが顔つきは幼い頃のままであった。
ーーーピーターだ
そう確信すると、シュウに湧き上がったのは悲しみと怒りだった。ピーターは、舞台上でニコニコと笑っていた。虚に、疲れた光のない目で、力なく笑顔を貼り付けていた。5歳の頃、鳥の怪我を治した時のピーターの姿は、あの輝いた笑顔はなかった。




