ルイ・オルソン16 朗らかな毎日の朝
ある日の午後のことである。テレーザは買い物に出ており、ルイとアルテとアルトはお留守番だった。久方ぶりの休日、ルイはうとうとしていた。はっと目を覚ますと、目の前で大人しく絵本を読んでいたはずのアルテとアルトがいなくなっている。靴がない。急いでルイは外に出た。雪消に足元はぐちゃぐちゃだったが、それでも二人の足跡らしきものが残っていた。その足跡は、町の方ではなく屋敷の裏手、フィニス山脈側の森の方に向かっている。
ルイは、二人の名前を呼びながら足跡を辿った。息はまだ白い。森には眩しいほどのキラキラとした光が、残雪に反射している。
「アルテ!アルト!」
森の中の小さく開けた、古い石碑の前に大柄な男がいた。そのそばに、アルテとアルトがいる。
ルイは走って石碑の方へと向かう。
ルイがやってくると、アルトはルイの足を掴んだ。怖かったのだろう。アルテは、いつもと変わらずルイを見ている。
ルイは、その大柄な男を警戒しながら観察した。白髪混じりの黒い髪の毛は、伸びっぱなしでぼさぼさであった。太い首に頑丈そうな身体、鼻はつんと高く、目は涼やかで少し影があり、落ち着いた視線がルイに向けられている。なぜこんな人気のないところに、こんな森にいるのか。たまにルート王国から商人が通ることもあるが、明らかに商人のような風体ではない。
「すみません、子供が」
とルイはアルテを引き寄せて、男に頭を下げた。
「いえ、お嬢様に助けていただいて」
と男も会釈した。低い声で、落ち着いた口調だった。
ルイは、アルテに答えを求めるように見た。アルテは頷いて、「しんどそうだったから」と言った。アルテはヒールの魔法が使える。キャトルでは幼稚学校に入学すると、全員が魔法検査を受けることになっていて最近アルテの魔法がわかったのである。アルテの祖母に当たるテレーザと同じ魔法であった。どうやら、アルテが男にヒールを使ったらしい。
男がやはり小さく会釈すると、その場を去ろうとフィニス山脈の方を向く。
ルイは、その口調や容貌から男が悪い人ではないなと思った。そして興味が沸いた。なぜこの石碑の前にいたんだろう。その普通でない風体は、どんなことをしてきた人なのだろう。つと口がついた。
「あの」
ルイの声に、男は立ち止まった。ルイは言葉を紡ぐ。
「どうして、この場所に」
男はチラと振り返り、「仲間の墓参りです」と答えた。その答えは、ルイの心をさらにくすぐった。
「じきに日が暮れます。今から山に行くのは危ないでしょう。家に来ませんか?」
ルイの提案に、男は予想外だったのか数度瞬きした。
「いいお酒もありますよ」
なぜかルイは商人風に、にこりと笑って言った。
「いいですな、それは」
男も笑った。とても優しい笑顔であった。
男の名はカギロイと言った。ルイは名前を聞いた時、大きく笑った。その名は遥か昔、ルート王国とキエロ連邦(当時はトワイト王国)が戦った時のルート王国の将軍の名前と同じだからである。
「では、古のルートの将軍と同じ名前ですね」
冗談っぽくルイが言うと、カギロイと名乗った男は「本当ですな」と笑った。
当初口数が少なかったカギロイも、お酒が進むと口が緩くなった。
「あの石碑には、何か思い入れがあるんですか?」
ルイが問うた。
「ええ。戦友たちが眠ってましてな。ルート王国とトワイト王国との戦いの墓です」
「トワイト王国?キエロ連邦ではなくて」
「ああ、今はキエロ連邦と呼ばれてますな。昔はトワイト王国といった」
カギロイの言葉に、そういえばそんなことも聞いたことがあるなとルイは思い出した。キエロ連邦では歴史の授業は滅法少なく、ルートとキエロの戦いも神話のようなものとして伝え聞く程度であった。
お酒のすすんだカギロイは、さらにいろんなことを話してくれた。普段はフィニス山脈の山中に暮らしていること、森の石碑には10年に一度訪れることにしていること、妹がおりマリシという名前であること、そして人と関わるのが100年以上ぶりだと言うことも言った。二人はいつの間にか、敬語が解け友人のような口調で話していた。
カギロイは、アルテとアルトの秘めたる才能を褒め、テレーザの料理やその献身を褒め、ルイの人柄をほめた。ルイが「俺はどうしようもないやつだよ」などと自虐しようものなら、「そんなことはない。ルイには知性があり朗らかさがある。自信を持つんだ」と真っ直ぐに、酔ってはいるが真剣にカギロイは言った。カギロイも随分酔っていた。
「ルイ、何か助けがあれば駆けつけよう」
「大声で君の名前を呼ぶよ」とルイが言うと「そうだな」とカギロイは真剣に考えだし、
「あの飾られている盾」と指さした。
「盾?祖父が使ってたらしいんだけど、色んなギミックが仕掛けられたよくわからない盾だよ。『モーリス』なんて名前がつけられて飾られてるけど、今じゃ埃をかぶっている」
「祖父は素晴らしい戦士だったのだろう。あの盾には大いなる力が秘められている」
とカギロイは立ち上がり、『モーリス』に近づく。
「触れてもいいか?」
「いいよ、誰も気にしやしない」
ルイの言葉を聞いて、カギロイは『モーリス』に触れ、魔力をこめた。ぶわりと盾が光った。
「魔力が呼応した。ルイ、助けが必要な時に『モーリス』に魔力を込めて俺を思い浮かべるんだ」
「カギロイが飛んできてくれるのかい?」
ルイは笑いながら言った。
「もちろんだ、親しきともよ」
とカギロイは席に戻り、グラスの中のワインを飲み干した。
翌日、ルイが目覚めた時にはすでにカギロイはいなかった。二日酔いで頭痛がしたが、今日は仕事なので遅くまで寝てはいられない。
「不思議な人だったねえ」
とすでに起きていたテレーザは言った。テレーザが起きた時にもすでにカギロイはいなかったらしい。
一家全員で夢でも見たか、とルイは水を飲みながら思った。
「ルイ、あんたにまた手紙きてたわよ」
とテレーザがテーブルの上に手紙を置くと、ルイは急いで手に取った。アリナからの手紙だった。
「なんだい、あんた彼女でもできたのかい」
「そんなんじゃない」
「早く結婚してほしいねえ」
「うるさい」
「ルイ、結婚するの?」
アルテがどこか寂しそうに言った。
「しないよアルテ。アルトはトイレか?早くご飯食えよ。遅刻するぞ」
ルイが仕事に行く時にアルテとアルトを幼稚学校に送っていくのが日課になっていた。忙しない朝が、日常があった。
テレーザが作った弁当をカバンに入れ、両手にアルテとアルトの手を握り、ルイは家を出た。
朝日は柔らかく、眩しいものだった。




