ルイ・オルソン④
ルイが二日後に出ていくと伝えると、ルナは「よかったわねルイ。頑張りなさいよ」と言った。その言葉に他意はなく、母テレーサが心配そうに「大丈夫なの、ルイ?」と言うのに対してもルナは、「一度家を出るのは必要よ、母さん。それにひと月ぐらいで帰ってくるんでしょう」と言った。ルイは、肩透かしをくらったように家を出る準備をした。ルナは意地の悪い人だ、だからこういう反応をするだろう、その想像がことごとく外れていたのである。それはルイにもどかしさとどうしようもない苛立ちを感じさせた。
翌々日、ルイはシュウとノエルと共に馬車に乗り込む。ひと月の滞在を予定していた。ルイにとってはひと月も家を、トワイトを出るのは27年間で初めてのことであった。
「緊張してるか?」
ニヤリとシュウは言った。
「うるさい」とルイはぶっきらぼうに答えた。以降、ルイの口数はなくなる。ノエルがいるとルイはあまり喋らなくなる。ルイのその様子をシュウはケタケタと笑った。昔、ルイとシュウで無茶な遊びをしたときにノエルに本気で叱られたことがあった。それ以来ずっと、ルイはノエルの前では口数が減る。ルイは今もまた、馬車に揺られながら静かに座っているのであった。
ゆりかごのような馬車に揺られながら、ルイに高ぶる気持ちがあった。不安や緊張もあったが、その気持ちの大部分を占めるのはそれは大いなる期待であった。遥かなる妄想が膨らんでいた。ついには何かのきっかけで内地の王族の美女と知り合い、結婚するに至った。気づけば眠りについていた。
「おい、ついたぞ」
シュウに起こされ、うつらうつらと馬車を降りる。
日差しが柔らかく、涼やかな風が頬を撫でた。トワイトに背を向け、フィニス山脈に背を向け、街を見た。馬車が、人が行き交っている。メインストリートにお店が並んでいた。人の声がたくさんあった。メインストリートの向こうに真っ白な城があり、そのさらに向こうにはフィニス山脈のどれよりも高い、独立峰があった。人はそれを『マザー』と呼んだ。森と山に囲まれた賑わいのあるストリートは、浮き立ってあった。
「内地って、こんなに人がいるんだな」
ルイの内地のイメージとは大きく反していた。王族の住む大きなお城があって、その近くに王族の関係者と軍関係者のみが滞在する、粛々とした清閑な一画がある。そんなものだと思っていた。
「ここはキャトルと呼ばれる内地唯一の街だ。俺も最初はこんなに人がいることに驚いたな。キャトルには軍人が家族を伴って住み着いたり、商人が住み着いたりして結構賑わってるんだよ。不法にキャトルへ来て住み込んでいる人も多い。裏路地なんかは治安も良くないから気をつけろよ」
その日は簡単に食事を済ませ、シュウの寮に泊まった。内地に赴任している兵士は皆選ばれた優秀な軍人で、一人部屋をあてがわれている。
翌朝、ルイははっと目が覚めた。夢か。また初等学校時代の夢だった。げんなりと心が沈む。同級生がいた。小太りで、俺より勉強も運動もできなかった地味なあいつ。風の噂で、今は結婚して子供もいて、一軒家に住んでいると聞いた。
「どうした、変な夢でも見たか?」
シュウがコーヒー片手に立っていた。
ーーーそうだ。俺は27歳で、そして今内地に来ているんだ。
その日の午後、シュウに連れられてルイは家庭教師をする家へと向かった。城とキャトルの間に、閑静な住宅地があった。内地で家族を持った軍人や、商人で成功したものなどが内地に住むようになってできた区画らしい。王族関係者以外の、いわゆる庶民出の成功者が住む場所であった。
緊張気味のルイを後ろに、シュウが扉をノックして言う。
「ファロン夫人、オーツです」
オーツとは、シュウの苗字である。トワイトの名家、オーツ家の次男坊がシュウであった。兄は実家の商いをしており、シュウは自由奔放に育てられた。
「オーツさん、お待ちしておりました」
とファロン夫人が扉を開けた。少し垂れた、ぱっちりとトロンとした目がにこりと笑い皺を寄せている。柔らかそうな唇は色っぽく、軽くウェーブのかかった髪の毛は後ろでまとめられ、覗く首筋や、きらりと小さく光るイヤリングもまた艶かしさがあった。美人ともかわいいとも形容されるその姿に、どきりとルイの心拍が上がる。シュウはそんなルイの気も知らず、ハキハキと言う。
「家庭教師を連れてきました、夫人」
「こんにちわ、ルイ・オルソンです」
「オルソンさんね。よろしくお願いします、マリア・ファロンです。お若いわね。ごめんなさいねこんなところまで。ほら、アリナ、何恥ずかしがってんの、早くきなさい」
ファロン夫人は、ハキハキとした物言いで言った。意外と快活な性格なのかもしれない、とルイは思った。
ファロン夫人の後ろに、少し隠れるように女の子がいた。夫人は引っ張るようにアリナを隣に立たせると
「この子と並ぶと私の顔が大きく見えて嫌なんですよ、ほら、自己紹介しなさい、アリナ」
アリナはヤボったい表情をファロン夫人に向けながらも、「アリナ・ファロンです」とよく通る声で言った。
12歳にしては身長が高いな、とルイは思った。ファロン夫人と同じくらいの背丈である。並ぶと確かにアリナの顔は小さく、スタイルがよかった。肩口ほどの長さの綺麗なストレートの黒髪、10代でしか着られないようなピンクのショートパンツを着ている。幼さの残るそのおぼこい顔は、ファロン夫人と違い、全体的にやや腫れぼったく見えた。ニコニコしているファロン夫人と違い、表情も乏しく感じる。
「本当に、この子は全然勉強ができなくて。手を焼くだろうけどお願いします」
とファロン夫人が頭を下げると「ママ、うるさい」とアリナは睨むように夫人を見た。
「はははは」とシュウはおおらかに笑っている。ルイはわざとらしく苦笑いを浮かべた。
「頑張れよ、ルイ」と置き言葉を残してシュウはファロン家を後にした。
「アリナ、ちゃんとしなさいよ!」
とファロン夫人の言葉を背に、アリナは自室へと歩いて行く。
「ああ見えて、昨日は楽しみにしてたんですよ。部屋の片付けもして。大変かもしれませんがお願いします」
ファロン夫人はにこりと言った。
うまく目を合わせることができないまま、ルイは「わかりました」と笑顔だけは作り、そそくさとアリナに続いた。




