アルト、みんなを見る。
一行は黙々とドーラス高原を東へ歩いた。一歩一歩踏みしめるたびに、草葉についた露が足を濡らす。太陽が頂点近くまで上った頃、ようやく大きな川が見えてきた。大国レヴェルとルート王国の国境とも言われるその川は、ネムレス川と呼ばれている。川の手前には商人が使っていた舗装された道があった。幾らか歩きやすいその道を川上に向かうように歩いていく。ついには夜が近くなった。一行は、すでにフィニス山脈の裾野部分まできていた。このまま谷間を進めばキエロ連邦に入る。だが、夜の行動は避けたい。ここらで一晩過ごす予定になっていた。ポルトラ村で得た情報では、このあたりに商人が使っている無人の宿泊小屋があるはずだった。
「あ、あった!」
ようやく見つけたそれらしき小屋に、アルトは高揚を隠しきれずに言った。
「ほんとネ!」
チョウが跳ねるように向かっていく。
レイフは四本足のほうが歩きやすいからと、ずっと狼姿であったが小屋を見つけた途端に人の姿になった。
「おっさんに戻ったネ」
残念な目を向けるチョウに「ったく、最近の若いもんわ」とぶつぶつと小屋へと向かう。
「今更なんですけど、レイフさんは何者なんですか?」
シュナが恐縮気味に訊ねた。
「わんちゃんネ」
「わんちゃん言うな!ノーエの大狼レイフとは、わしのことよ!」
とレイフは胸を張るが、誰も反応はない。
「ノーエ地方は、確かユキと同じ故郷の」
シュナが言った。だがそれ以上の情報はない。
レイフは拗ねたように「ったく、最近の若いもんわ。わしは昔からノーエの神様と崇め奉られてだな」と背中を丸めぶつぶつ喋りながら小屋へと入っていった。
翌日も朝早くに出発した。
商人が使っている谷間の道を行けばキエロに半日ほどで着くはずだったが、出発して小一時間ほどで、先頭を歩くアルトは足を止めた。
山の一部が削れ、土砂が道を塞いでいた。谷の反対側は急峻な岩が露出しており、すぐに迂回できそうもない。
「引き返すしかないな」
レイフが冷静に言った。
「仕方ないネ」
チョウが言葉をぽつりと落とした。
「ルートの商人は、これのせいで国に戻ってこれないのかな」
シュナが疑問を口にした。
「どうだろうな」とレイフは崩れた土砂をじっと見つめた。アルトにも感じる違和感があった。崩れたであろう土地の一部は、乱雑に削られていた。スパりと削られたようでもなく、じわっと削られたような感じでもない。不自然な汚さがその崩れた部分にはあった。
一行は一度小屋まで戻り、山道に入った。急勾配の道を行く。吐く息は白く、景色もまた白くなっていく。灌木の樹氷はきらきらと美しいが、風が吹くたびにぶるりと身体が冷え、疲労が蓄積されていく。山腹から頂上を目指さずに、尾根を横断する。下りになると、冷えた汗がさらに身体を冷やす。雪は溶け、夕日が木々の隙間から差し込む。行けども行けども森は続く。焦りが速度を早める。残り日が頼りなく視界が暗然としてきた頃、川の音が聞こえた。一抹の安堵を感じそのほうへと進んでいく。レヴェルとルートの国境とも言われるネムレス川は、渓流となりフィニス山脈を越え、キエロに来てその名前をポトイ川と名前を変える。展望が開け、ついにフィニス山脈を越えた。
アルトは、山越えの息を整え、平野の向こうにある久方ぶりの故郷を見た。夜に包まれた故郷の輪郭ははっきりとしないが、その懐かしい匂いがアルトを刺激した。その郷愁は、辛い過去をも飲み込んで防ぎようのない多幸感を募らせた。すぐに故郷に背を向け、後ろをみた。チョウとシュナが空を見上げている。
「綺麗な星ネ」
「ほんとだね」
とチョウの言葉にシュナが答えた。
アルトはアルテの方を見た。アルテもまた、二人と同じように空を見上げていた。故郷に戻っても、いつものぼうっとしたアルテに見えた。
「星を楽しむ余裕があるとは、タフじゃないかお前たち」
狼姿のレイフは感心したように言った。
「おっちゃんはせこいネ。四つ足ヨ」
「こら、チョウ!」
シュナが諌める。レイフはそれでも言い返す。
「セコイとはなんだチョウ!こっちが本当の姿だ!」
みんなのうるさいやりとりに、アルトは板に付いた苦笑いを浮かべた。




