レイフの姿
レストランを出て、宿へと向かう道すがら。
レイフと、チョウ、アルテの間には小さな距離があった。レイフは無精髭に寝癖、大口を開けて笑う、昨晩はビールをしこたま飲んで酔っ払ったり、よく見れば耳毛も生えていたり、そしてやや獣のような臭いと、思春期の女子に距離を置かせる要素を踏んだんに持っていた。シュナのみは気を使ってか、「おいくつですか?」と質問したりしている。レイフは答える。
「500歳ぐらいかの、ガハハハハ」
シュナは苦笑いを浮かべ、以降は黙って歩いた。アルトは、レイフと女子たちの間を持つように歩いた。当のレイフは何も気にしていないようで、マイペースに歩いている。
宿の近くまで来たとき、宿の女主人が慌てた様子でかけてきた。
「どうされましたか?」
アルトが訊ねた。
女主人は早口で答える。
「息子が、まだ帰ってこなくて」
昼頃にでかけた息子がまだ帰って来ていないという。まだ日没までに時間はありそうだが、大変な慌てようだなとアルトは少し疑問に思ったが
「僕たちが探しに行きますよ」
と答えた。
一行は、母親に先んじて息子が向かったと思われる場所へ駆けた。昨日宿で見かけたので息子の顔もわかっている。10歳のレンテールという名前の大人しそうな子で、そんなに遠くへ冒険するような子には見えなかった。
影が伸びる。向かう方にはフィニス山脈が見えた。東から西にゆっくりと流れる雲がその山頂付近を覆っており、不知の高みはその雄々しさを昂らせる。
後ろを歩いていたレイフが鼻をクンクンとひくつかせ、「あっちじゃな」と言った。レイフの声にちらと後ろを見たチョウが、声を上げる。
「ひ、ひええええ?!なんネ?!」
アルトも振り返り、レイフの姿に仰天する。
白と紺色の豊かな毛なみが夕焼けに生えている。金色の目は鋭く、大きな牙が口から覗く。大狼がそこにいた。
「わんちゃんネ!」
チョウがレイフをもふもふ触ると、アルテも「うわあ」とアルテにしては目を輝かせてレイフを触った。
「やめんか!お前ら!」
本気で嫌そうにレイフは後ろへ下がった。
「シュナも触るネ!もふもふヨ!」
「い、いいのかな?」
とおずおずとしながらも、シュナも手を伸ばす。
「いや、だめじゃあ!やめろ!敏感肌なんじゃ!」
とレイフは狼姿から、人の姿に戻った。
「お、おっさんになってしまったネ。わんちゃんを返すネ!」
チョウが言うと、「わんちゃんを返せー」とアルテも小声で続いた。
「ほら、あそこに子供っぽいのがおるぞ!」
レイフは話題を逸らすように指さした。
原野のなかに、天然の石の椅子に座っている子供の背中があった。
「レンテール」
アルトが名前を呼ぶと、レンテールは不思議そうな表情でこちらを振り返った。
シュナが言う。
「お母さんが心配してるよ」
レンテールは西にまだ残る日を見て、「あ、帰らなきゃ」とのんびり答えた。その手にはキャンパスとペンを持っている。
「なにか描いてたのかい?」
アルトが訊ねると、レンテールはこくりとうなずいた。何を考えてるかわからないような、何も考えていないような、レンテールの茫洋な様子にちょっと姉に似てるなとアルトはアルテのほうをちらと見た。アルテはアルテで、上空の雲を見ていた。
「すごい上手ネ、レンテール」
チョウのことばに、レンテールはやや頬を染め、小さくお辞儀した。キャンパスに描かれた絵は、とても写実的で10歳の子供が描いたとは思えないほどうまかった。フィニス山脈の西側の山頂を、大きな雲が漂っている様子が描かれている。雲の端に、浮かんでいる島が見えた。
「浮島かい?」
アルトが訊ねると、レンテールはこくりと頷いた。
アルトは北の空を見た。分厚い雲が流れている。レンテールが描いているときは見えた浮島は、あの中に隠れてしまっているのかもしれない。キエロ連邦の上空から流れるように
西日に影が伸びている。
「さあ、帰ろう。お腹も空いただろう」
とアルトはレンテールを誘い、歩き出した。
翌朝早く、一行が宿を出る時、レンテールとその母親である女主人が見送ってくれた。女主人は最後まで感謝の言葉を述べながらも、
「キエロに行くのはよしたほうがいいよ。商人たちはまだ戻ってこないし、あなたたちはまだ若いんだし」と心配の言葉を言った。
「私たちはプロの勇者ネ。心配ご無用ヨ」
チョウが胸を張って答える。
「まだ卵だけどね」
とシュナが苦笑いで付け足した。
「だけど、キエロの方は昔から子供が攫われると聞くし」
女主人の話に、「子供が攫われるネ?なんネ?」とチョウはアルトとアルテを見た。
レイフが答える。
「昔から言われている噂話だ。キエロでは子供が攫われるから、夜になると外に出すな、とな。本当か?」
レイフはアルトとアルテをみた。
ーーー子供が攫われる
昨日の母親の狼狽えぶりに納得し、アルトは思った。このあたりまで来ると、国は越えずともキエロ連邦の話は知られているのだ。
「ええ、確かそんな話があったような」
アルトは曖昧に答える。アルテの様子を伺うように、曖昧に。
アルテが、ボソリと言った。
「・・・聞いたことある、かも」
なんともはっきりしない言い方だった。しかしアルトは、アルテがそのことについて反応したことに心音が高鳴った。
「なかなか物騒な国ネ。でも大丈夫ネ、ママさん。私たちは必ず戻ってくるネ。勇者カギロイのごとくヨ」
とチョウはやはり胸を張って答えた。
一行はポルトラ村を出た。
フィニス山脈が冷たい空気の向こうに佇んでいる。
アルトの頭に、叔父の顔がぼんやりと浮かんだ。表情は笑っている。でもその顔立ちは曖昧だった。10年以上の月日の向こうにある記憶。だがその最後の背中ははっきりと覚えている。
もう戻らないと思っていた故郷が、向こうにあった。




