出発 クノッテンへ
小柄なポックの体型からすると大きな弓であった。レイの弓だった。弓の師匠でもあったし、毒魔法の訓練方法を教えてくれたのもレイだった。レイの射る矢を思い出すことがある。その度に無念な気持ちがポックに残った。どれほどの才能とどれほどの鍛錬の結果、あの技が成り立つのか。レイはそれを鼻にかけることもなく、凛としていた。レイという勇者への、レイという人への畏敬があった。だからこそその心を、その記憶を、その技を残したいと思った。自分の中から消えて行くことを恐れた。そこでレイという人が途切れてしまうのを恐れた。そしてレイの弓を譲り受けた。
背中に担ぎ、部屋を出た。肌寒さがあった。まだ廊下も暗い。音を立てないようにそおっと階段を降りていく。
食堂に灯りが見えた。誰か起きているのかと思いながらも、通り過ぎる。寮の出口に3人の影があった。でかいのと小さいのと中ぐらいのと。中ぐらいのアルトが口を開く。
「おはよう、ポック。よく眠れたかい」
「おうアルト。なんだ、ロロとリュウドウは出発まだだろう」
ロロが答える。
「見送りだよ!」
「ったく、昨日壮行会したじゃねえか」
言いながら、ポックの表情が綻ぶ。
「無事に帰ってこい」
リュウドウの声色はいつもと変わらないが、だけどポックにはいつもより力強い言葉に聞こえた。
「お前らもな」
ポックは軽快に返した。
二人に見送られ、ポックとアルトは寮を出た。
学校の前の道に小さな人だかりがあった。
「なんだ、仰々しいな」
ポックの言葉をロゼが耳聡く聞きつけ、言う。
「先生たちは私たちのために来てくれてるよの!」
「へいへい」
とポックは答えながら、面々を見る。ポックとアルトの他に、ロゼ、シュナ、チョウ、アルテの今から出発するメンバーと、グラス、ケイ、リプキン、リプカン、ヤングと教師陣がいた。
妙な高揚がポックにあった。
寮の方から影がかけてくる。
「ププ婆か」
ポックがその影を見ながら言った。
「間に合ったかい」
とププ婆は息を切らしながら走ってきた。大きなカゴを持っている。
「サンドイッチ、持ってきな。朝しっかり食べてないだろ」
それぞれが礼を言いながら、
「おお、ププさん、こんなにもたくさんありがとうございます」
とアルトが代表して受け取る。
まだ静かな街の方から、馬車がやってきて止まった。
グラスが言う。
「クノッテンに直接向かう馬車だ。ストゥさまが出迎えてくれる手筈になっている」
馬が足踏みすると、それに伴って馬車が小さく動く。ぎいぎいという音が辺りに響く。
「健闘を祈る」
グラスは言い切った。
それぞれがその短くも思いのこもった言葉を受け止めながら、粛々と馬車へ乗り込んでいく。
ポックが最後に乗り込んだ。
すると、後ろからもう一人小さな女が「よいしょっ」と乗り込もうとする。
「お、おい、ユキ、お前は違うだろう!」
どこに隠れていたのか、ユキが馬車に乗ってきたのだ。
「お、おかしいのです!なんでユキだけ!」
カイは特別休暇の10日間を利用してクノッテン市に帰省していたので、現地で集合ということになっている。任務にはもちろん選ばれている。そしてシュナもポックも選ばれており、同じパーティではユキだけが任務には選ばれなかった。
グラスも慌てて「ユキ、待て」と声をかけるが、ユキは「ユキだけ仲間はずれです!」と喚いている。
シュナが身を乗り出し、言う。
「ユキ、私たちは必ず帰ってくる。ユキと、カイと、ポックと私で、そしてまたみんなで、勇者になろう」
「ううう、ううう」
とユキはシュナの言葉を、泣きながらジュルジュルと鼻を啜りながら聞いている。
アルテがボソッと言う。
「ユキ、お土産買ってきてあげる」
「いらないのです!」
ユキは怒って走り出した。
「おいユキ!ちゃんと訓練しとけよ!俺らちゃんと帰ってくるから!」
ポックはその背中に大きな声で言った。
「そろそろ大丈夫ですかな?」
と御者が言うとロゼが「ええ、はい、すみません」と答えた。
「締まりのねえ出発だな」
ポックは肩を落とした。
馬車が動き出す。
先生たちが、学校が遠くなっていく。
「食べるかい?」
アルトが、ププ婆にもらったサンドイッチを配っている。
ポックは受け取り、かぶりついた。
ハムエッグサンドだった。
いつもより美味しく感じたが、黙って食べた。みんな黙々と食べていた。朝からそんなに高いテンションになれるわけでもないが、しかしやはり妙な高揚があった。
もう学校も先生も見えなくなっている。
いつの間にか空は白んでいる。
ポックは食べ終わると、馬車の揺れに身を託し目を瞑った。




