カイ、剣を拾う。
「屋内闘技場に行け」
そう言ってリュウドウは背中を向けた。
リュウドウが扉を閉める。部屋に静寂がある。
ーーー「シュナを止めろ」
リュウドウの言葉だ。シュナに、何かあったのか。シュナもあの戦場にいたんだ。だが、あの強いシュナに何が起きる?
はっと俺はおでこをこんこんと叩く。
ーーーシュナなら大丈夫だろう、勝手に前に進んでいるだろう、俺なんか必要ないだろう。
その考えは、シュナの強さに対する信頼と言うより、俺の中にある劣等感からくるものだろう。この5日間、自分のことしか考えていなかった。自分が世界で一番傷ついていて、勝手に悟ったように何かを諦めて。そうだ。あの戦場には俺だけがいたわけじゃない。
がばりと立ち上がり、部屋を出る。つと立ち止まり、壁に手をかける。血が巡ると脳がくらりとなる。徐々に脳がクリアになっていくと、走り始める。階段を駆け降りる。体の訛りに驚く。5日間ほとんど動いていなかったものの、たった5日間だと思っていた。寮を出る。すでに昼過ぎだが、冬入りの白い陽光に目が染みる。肌寒さがある。俺が立ち止まっている間にも、一刻一刻と時間は過ぎているんだ。
向こうからチョウさんとユキが駆けてくる。
「カイ!やっと来たネ!」
「カイなのです!カイ!」
「ユキ、チョウさん、シュナに何が」
「リュウドウ君に伝えたネ。シュナのやつ、帰ってきてからずっとネ!」
「ずっとなのです。ロゼもまだ帰ってこないし、止めてもやめようとしないのです」
二人とも息は荒く、困り顔である。ロゼは俺たちが学校に帰された日にもまだ勇者組合に留まっていた。まだ帰っていないのか。
「シュナに何があったんだ?」
「屋内闘技場でも、寮に帰ってからもやめないネ」
「寮の屋上でもずっとなのです。ほとんど寝てないのです」
「いや、えっとだな」
落ち着け、相手はチョウさんとユキだ。イライラするんじゃない。二人も必死なんだ。どう質問してこの二人から欲しい答えを引き出せるか思案していると
「カイは、もう大丈夫なのですか?」
ユキが心配そうに俺を見た。
「そうネ。あんたが全く寮から出てこないから、シュナも心配してたネ。リュウドウくんに聞いても、あんたのことは答えてくれなかったネ」
「俺は…」
俺は、剣が持てなくて。
言えない。くそ。情けない。情けねえな。
「とにかく早く行くネ」
チョウさんに急かされ、屋内闘技場までの道を急いだ。いや、シュナに何が。まあいい、行ったらわかる!チョウさんとユキに促されるがままに走る。
一年生は教室で授業らしく、屋内闘技場の周りは静かだった。入口にアルテが肩をすくめて立っている。
アルテの横から中を覗く。
あっと息を飲む。
シュナが、剣を振っていた。まるで真夏かのように汗が滴り落ちている。手には包帯を巻いている。その包帯が赤く滲んでいる。
「カイ」
アルテがいつになく心配そうに俺を見た。
「いつからだ?」
「ずっと。夜も寮の屋上でずっと振ってる。ほとんど寝てない」
アルテが縋るように俺を見た。
シュナは、前を見ていた。俺に気づいていないようだった。口は半開きになり、息は上がっている。それでも剣を振り続けている。シュナもあの戦場にいたんだ。学校一の強さを持つシュナには俺にはないプレッシャーもあるだろう。それだけに焦りもあるだろう。強いよシュナは。俺は怖くてまだ剣を握れてすらいないのに。なんて声をかけたらいい。俺たちはまだただの学生で、俺たちは一人の人なんだ。俺たちはよくやったよ。大人たちもそう言ってたじゃないか。一度剣を離しても、いいんだよ。剣を置いても、いいんだよ。剣を置いても。
「シュ、シュナ」
うまく声が出せなかった。俺の声はシュナに届かない。
一心不乱にシュナは剣を振っている。
なんでだよ。なんでそんなに振ることができるんだ。もうやめろよ。
「シュナ!」
屋内闘技場に俺の声が響いた。静黙がそこに広がる。
自分でも驚くほどに声が出た。それは、怒りが混じった声だった。誰に怒っている。くそ、くそ。
「カイ!よくなったんだね」
シュナは俺を見て笑った。目の下に隈ができている。
「シュナ。身体が壊れるぞ。手の出血もひどいだろ」
シュナの手のマメはよっぽど状態が悪いのか、手から血がぽたりぽたりと落ちていた。
シュナが早口で答える。
「うん、でも、剣を振らないと、もっと強くならないと。アルテもヒールしてくれたんだ。だから痛みはなくて」
「シュナ!」
俺の叫ぶような声に、屋内はシンと静まりかえっている。ドクンドクンと心臓が波打つ。手が震えている。11年前、魔王が倒されたという場所に俺はいた。俺は魔王を倒した勇者だと祭り上げられた。だけど、大いなる光の先には、真の勇者がいたんだ。そうだよ、俺は勇者じゃないんだ。レイ先生も助けることができなかった。
口角が不自然に上がる。微笑を張り付けながら言う。
「ははは、シュナは、強いな。あれから、俺は剣が持てないんだ。怖いんだ」
目にじわりと涙が浮かぶ。なんだ、くそ。口元が歪む。声が震える。
「お、俺は、弱いんだよ」
涙が溢れる。俺は、なんて弱いんだ。あの戦場に立って、レイ先生を助けられなくて、みんなを助けられなくて、何もできなくて。それで怖くなって剣を持てなくて。シュナは同じ経験をしても剣を振っていて。
「違う。違うんだよ、カイ」
シュナが近づいてくる。その瞳にも涙が浮かんでいるように見える。
「私が、弱いんだよ。何もできなかった。だから怖くて、ずっと怖くて。剣を振ってる時だけ安心できて」
シュナがぼとりと剣を落とした。血が手のひらからぽたりぽたりと落ちる。
「私が強ければ、レイ先生を」
シュナの手が、肩が震えている。俯き、泣いている。
そうだ。シュナも、同じ気持ちだったんだ。怖かったんだ。それは当然のことだった。それに気づかないほどに、俺はずっと自分のことしか考えていなかった。
「シュナも、怖くなることあるんだな」
「怖いよ!化け物みたいに言わないで!」
「ははは」
可笑しかった。自身への嘲笑だった。自分のことばかり考えてた己への。俺だけが怖かったんじゃない。怖いけど、怖いから、シュナは剣を振ったんだ。少しでも今という状況から前進するために。強くなるために。
「何笑ってんの!」
涙を袖で拭いながら、シュナが睨んできた。
「すまん。ありがとう、シュナ。俺は、俺たちは、そうだ、弱いんだ」
「うん。でもまだ、剣は振れる。誰かのために、まだ戦える。強くなれる」
にこりと笑ったシュナに、はっと俺の視線は飲み込まれた。
ーーー誰かのために。
自分本意な行動原理かもしれない。目の前にいる特定の誰かのために、俺はその剣を拾った。その血の着いた剣の握りを強く持った。何日ぶりかに持った剣は、ずしりと重く感じた。
「剣、握れたね」
シュナが、鼻水を啜りながら言った。
「ありがとうシュナ」
俺はシュナの右手に、ヒールをかけた。痛かっただろう。少しでも早く治るようにと。
「何二人の世界に浸ってるネ」
チョウさんが目を細めて言った。
「俺よりもやはりシュナで立ち直ったか」
ボソリと言ったのはいつの間にか居たリュウドウである。
ユキも向こうでニコニコ笑っている。アルテは安心したようにほっと息をついている。
剣を握れたことに俺はほっと胸を撫で下ろした。みんながいる。みんなといたい、と思えた。




