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俺は勇者じゃない。  作者: joblessman
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カイ、剣を握れない。

 遅い朝だった。開いた口の中が乾いている。唾を飲み込むが、喉を潤すほどのものはない。寒いわけではない。だけど、何かが冷たかった。冷たい何かが薄い膜を作るように体の表面を覆っている。血は流れている。だけどそれも色がなく冷たくなってしまっているような。なんとか背を起こし、隣のベッドを見た。空だった。ポックは昨日どこかへ行って帰っていない。窓からは光が差し込んでいた。温かい光だった。温かい光のはずだ。だけど何故か、冷たく見えた。

 レイ先生が亡くなった。あの戦いから何日経ったんだろう。5日目か。ようやく意識がしっかりとしてきたのを感じる。トンド市からリーフに移動して、聞き取りやらなんやらで2日間勇者組合支部にいた。その間はあっという間に過ぎた。聞かれたことを言って、あと何をしたんだろう。何を食べていたんだろう。現実を受け止められず、どこか朦朧としていたような状態だった。昨日のお昼に寮に帰ってきて、それからベッドで寝ていた。

 お腹が鳴った。こんな時もお腹は鳴る。食堂は、昼前の今なら人はいないか。ふらりと立ち上がった。食堂の食席には誰もおらず、静かだった。キッチンの窓辺にププ婆がいた。タバコを加えている。俺が入ってくるのを見て、タバコを消した。いつにない優しい声で


「何かいるかい?」


 と言った。


「水を」


 かすれた声で俺は答えた。

 透明なコップに、透明な水が注がれた。それを受け取り、その表面を見た。水が小さく揺れている。

 雨が振っていたんだ。小雨になっていた。レイ先生が、あの戦いで死んだんだ。お前たちはまだ学生で、仕方ない、よくやった。戦いの後、大人たちから勇者組合でそんな言葉をたくさんかけられたように思う。俺は、ただただ俯いて無力さに苛まれていた。アーズ、召喚士の女、敵の剣士。自分はあの場では0に等しかった。力の差がそこに歴然とあった。もっと力があれば、レイ先生を助けられたかもしれない。雨が降っていたんだ。小雨になっていた。レイ先生の背中があった。戦っていた。必死に、僕らを守ろうと。金色の髪の毛に雨が浸っていた。大きな背中だった。俺は、ただただ託していた。レイ先生に守られていた。レイ先生を守ることなんて考えられなかった。邪魔にならないようにすることだけを考えていた。俺は弱いから。俺は、弱いから。一年前、マラキマノーが学校を襲ってきた時、ムツキが消えた時、その時もそうだった。俺は何もできなかった。強くなろうと思った。たくさん剣を振った。だけどまた。俺は何も変わっていなかったんだ。涙が溢れる。ぽたりぽたりとコップの中に、コップの外に涙が落ちる。声が溢れる。だめだ、止められない。


「ううう、う」


 一度出ると、何もかも止めどなく流れた。

 気持ちの整理ができなかった。俺に何ができる。俺じゃ無理だ。


「もう、剣を」


 鼻水を大きく啜る。こんなこと言ってもププ婆は困るだけだ。だけど、言葉が止まらない。


「もう剣を、握れない」


 涙も鼻水も、止まらない。息が詰まる。言葉だ。言葉が詰まっている。


「俺は、勇者じゃ、、ないから」


 言葉とともに息を吐き出すと、呼吸が荒くなった。涙も、鼻水も止まらない。すすっても拭いても止まらなかった。ぼやけた地面にぽたぽたと落ちた。

 肩に、背中に温かみがあった。ププ婆の温もりだった。背中が摩られるとじんわりと暖かくなった。ププ婆の肩に顔を埋め、ひたすらに涙が溢れた。


「今はゆっくり休みな」


 ププ婆の言葉に頷くと、部屋へ戻った。




「おい、剣を振らないのか」


 リュウドウが部屋に来てそう言ったのは、ププ婆の前で泣いてから2日後のことだった。

 一年生は授業が続いていたが、俺たちの学年は一週間の休みになっていた。俺は食堂で飯を食ったり風呂に入ったりと精神的に持ち直しているのを感じながらも、どうしても剣を握れなかった。血は流れている。色のある赤い血だった。だけどまだその血は、なんだか冷めているように感じた。食堂にはいくが、街に出かけることも屋内闘技場に顔を出すこともなかった。


「ああ、リュウドウ。すまんな。もう少ししたら振れるともう」


 と言いながら、リュウドウと目を合わせられずにいた。そして、部屋の隅にある剣を見るのも避けていた。


「毎日振っていただろう。腑抜けたかカイ」


 はっとリュウドウを睨む。


「お前は」


ーーーお前はあの場にいなかったじゃないか。


 俺の気持ちなんてわかるはずがないだろう。だが、でかかった言葉が止まった。それがただの自己肯定のための言葉にすぎないことが分かったからだった。リュウドウから目を逸らす。


「喧嘩もできないか、カイ」


 リュウドウの言葉に、何も言い返せなかった。

 妙に冷静な自分に苛立った。リュウドウが発破をかけてくれている。自分が情けなかった。だけど、どうしても剣を持てなかった。ただ肩をすくめ、床を見ることしかできなかった。

 何も答えない俺に、リュウドウが続ける。


「ずっと腑抜けてればいい。だが、シュナを止めろ、カイ」


「シュナを?」


「屋内闘技場に行け」


 そう言ってリュウドウは背中を向けた。


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