アーズ渦中終わり グラスとレイ
屹立する木々の影を歩いていた。歩を進めるごとに泥が散り、落ち葉に付着した水滴が跳ねた。グラスに焦燥とそして回顧があった。20年以上昔、姉のダナとエルフの森へ向かった。なんとかダナの歩くスピードについていきながら、深い森を、延々と続くと思われた森の道を。こけないように、ダナの足元を、ダナの進んだ足跡を追うようにただただ歩いていた。エルフの森を出るときには、グラスの後ろにはレイが増えていた。エルフの森にいた同年代の女の子。臆病で無口な女の子だった。
「お前が私を森から連れ出してくれた。世界を見せてくれた」
その昔、勇者として世界を旅してひと段落ついたとき、レイがグラスにボソリと言ったことがあった。改めて感謝を伝え合うとか、そんな話をすることはなかった。だからグラスはそんなことを言うレイに対して反応に困ったというか、驚いたのを覚えている。照れ臭いというのが強い。グラス自身、エルフの森を出るときにレイがいたのは覚えているが、エルフの村でレイになにを言ったのかは覚えていなかった。ただ、レイにとって森をでるきっかけになったのが自分だったことはレイの言い方からして確かだった。エルフの森を出て、世界を旅して、多くの危機を超え、多くの死を見て、そして勇者学校の発足。全てそばにレイがいた。最近は上層部との折衝が忙しく、現場をほとんどレイに任せていた。甘えていた。いなくなるはずがないだろう存在。そこにいて当たり前の存在。西方のグリムヒルデとの戦局の方がわかりやすく戦力が必要であった。お上もそう主張した。だが、なぜ私はこちらに戦力をもっと割かなかった。アーズが現地に来ているかどうか、正確な情報はなかったが、改めて考えるといるに決まっているだろう情報はいくつもあった。レイがいるとはいえ、明らかに戦力が足りないだろう。レイは、私を信用していたのだ。私なら間違わないだろう、と。私を信用して、信頼をして、文句ひとつ言わずに少ない戦力で戦場へ向かったのだ。私はどうすればいい。レイ。お前がいないと。お前がいないと。お前がいないと。
トンド市を出て何時間か経った。カズは黙ってグラスの後ろを歩いている。グラスにとってはそれまでの人生で最も辛い何時間かだった。思考に先はなかった。ずっと巡る後悔のみが彼女を苦しめた。戦いの跡地が近づいてきていた。それはグラスにとって恐怖だった。堂々と巡る苦しみ、後悔に、惰性のままに埋まっていたかった。歩き続けていたかった。歩は感情の抑制だった。森の中は、過去だった。レイと出会った場所。森の中なんてのはどこもおんなじような景色だ。エルフの森へ向かうとき、姉のダナと歩いた退屈で辛い歩みが、俯いてずっと歩いていた私が、なぜエルフの森を出る時は笑顔だったんだろう。なぜその時の森の景色は覚えているんだろう。後ろにレイがいたからだ。偉そうに私は、時折後ろを振り返ってはレイにがんばれ、なんて言った。レイは辛そうな顔をして必死に歩いていた。それでも、光が見えた時、森の終わりが見えた時、レイのその笑顔が。
光が見えた。森を抜けると、戦闘の痕が幾らか残っていた。兵士が、ペンダグルスが、ガルイーガが向こうで倒れていた。太陽を遮る高木はなく、光が燦々とグラスに降り注いだ。グラスは立ち尽くした。レイの死体はなかった。だが、ここがレイの最期の場所だとグラスは直感的にわかった。歩みを止めた瞬間、グラスの感情を抑えていたものがなくなった。膝がガクガクと震えだす。地面に膝をつくと、止めどなく涙を流した。地面にのめり込むほどに額がが落ち、嘔気に口はこれでもかと開いた。喪失の泥沼は、グラスへ怒りを齎す。自身への、そしてモンスターへの。息は荒く、顔は泥だらけで、よだれが口端にあった。怒りを留めるように、グラスは丹田に力を込めた。歯茎から出血するほどに噛み締めた。ゆっくりと立ち上がった。
「すまなかった」
誰となしにグラスは言った。そしてマラロス村へと向かい歩き出した。カズは無言で続いた。
そこに倒れている兵士は、昔知ったるプリランテの兵士であったが、グラスが気づくことはなかった。そこになにもなかったかのように、グラスは一瞥もなく歩き去った。




