アーズ渦中 ダン、受け止める。
空は白い。大気にはやや霧がこもっている。ダンはアーズとともに森の少し入ったところにある赤い瘴気の地へと向かった。攫ってきた勇者たちには継続して魔力を注ぎ込ませており、ヤシャと幾らかの兵士がその見張りについてた。土地の一部分から確かに赤い瘴気が生じている。やはり、死んだ勇者を埋めた箇所から生じていた。
先ほどと違い、アーズの口数はめっぽう少なかった。張り詰めた空気がなんとなく彼女の周りにあった。
「いけそうか?」
とダンはアーズに尋ねた。
アーズはダンの方を見ずに、「これがあれば、大いなる光が」などと独り言のように言いながらその赤い瘴気生じる箇所へと歩を進める。そのアーズの様子は、ダンの目から期待に満ちているように見えた。
「大いなる光を起こせたとして、全てが叶うわけではないぞ」
ダンは、淡々と忠告した。アーズが何をしようが、ダンは構わない。ただ、失敗をそのまま見過ごすのは嫌であった。
「わかっておる」
とアーズは何か視線をそらすように、消え入るような声で答えた。アーズの声色に、表情に、ダンは小さな驚きを覚えた。特にこの数日のアーズの様子から、なんとなくだが、ダンはアーズがキリオスを生き返らせようとしているのではないかと思っていたからだ。だからこその忠告でもあった。大いなる光は、奇跡を起こすと言われている。だが、一度死んだ命は、例え大いなる光を使用したとしても生き返ることはない。それはあらゆる知識を吸収したダンが出した推論的結論であった。この様子だと、アーズもまたそのことは理解していそうであった。であるならば、キリオスの蘇生が不可能とわかっているのであれば、アーズは大いなる光で何をしようというのか。やはり。
その時、西の方角がにわかに賑やかになった。あたりの兵士がざわつき始める。大柄な女兵士が走ってやってきた。ヤシャと同じく、南の国ハマナスで拾った孤児のミューリである。
「アーズ様、ダン様」
「どうした、ミューリ」
ダンが訊ねた。ミューリは、呼吸を整えやや小声になり言う。
「西の森より、国軍が攻めてきました。数は把握できておりません」
ミューリの報告を耳聡く聞いた近くにいた兵士がざわつき始める。
土地に魔力を注いでいた勇者たちも、それを見てなんらかの異変を疑いこちらの様子を伺っている。
そうこうしているうちにも、西の森から国軍の声が聞こえてくる。
「腑抜けの国軍か」
と言葉はきついながらも、アーズの口調は至って落ち着いていた。
ルート王国は大した戦いが100年近くなかったため、国軍は実践経験も乏しく、さらにいえば対モンスターの訓練もあまりしていないと聞く。先に起きたモンスター大恐慌の時にも、国軍は全く役に立たなかった。だが、とダンは考える。この早すぎるタイミング、国軍はいつでも出撃できる準備をしており、逃げた女勇者からなんらかの情報を得て出撃に踏み切ったに違いない。勇者組合と国軍は長らく関係が悪く、いがみ合っていると思っていたが。
「国軍は勇者組合と連携しているな。情報が流れているに違いない。敵部隊にはアーズ、お前の対策にヒールを使うものを配置しているだろう。ミューリ、敵部隊に勇者の姿はあったか?」
「いえ、私の見る限りでは」
ふむ、とダンはうなずく。国軍に勇者が混じっていればなんとなくわかる。国軍は武具一式お揃いだが、勇者は特性個性によって違う。それに、今は別の人型モンスターグリムヒルデが暴れており、そちらに勇者はかなりの人員を費やしているはずだ。さらに、国軍もそんなに大軍ではないとダンは推測した。こんなに近くに大軍を配置していたならばこちら側が早くに察知していただろうし、西から聞こえる音もそれほどの人数を感じさせない。ならば、とダンは言う。
「ルルが戻っているはずだ。伝えろ。ガルイーガとペンダグルスを前面に戦わせろ、と。第二世代を出しても構わん」
「わかりました」
とミューリはすぐさま走り出した。
「待て、ミューリ」
とアーズはミューリを止め、
「お前とヤシャはキリオスのいる家を守れ。他の兵士をルルの元へやれ」
と言った。
ミューリは「はっ」と頷くと、近くの兵士をルルへの遣いに遣り、ヤシャとともに森を出た。
事態を察知したのか、勇者たちが逃げ出し始めた。見張りの兵士も慌てふためいている。しかしアーズは彼らに制裁を加えることはなく、落ち着き払っている。
「いいのか、アーズ」
「この地さえできれば、あの光さえ出せれば、全て些細なことよ。しばし付き合え、ダン」
そのアーズの言葉には、儚さがあった。
そしてアーズは、その赤い瘴気生じる地に手をついた。
国軍が迫っている。攫ってきた勇者たちも逃げ出した。兵も右往左往している。事態は刻一刻と迫っていた。ここまできてもまだ、ダンにはアーズが大いなる光を使って何をするのかわからなかった。国軍を追っ払い、リーフ市への攻撃に使用する魔法を使う。それが一番あり得るような気がした。だが、そうでないような気もした。
アーズの周囲に赤い瘴気が立ち込めた。
魔力がぐわりと上がる。
アーズがその真ん中に立っていた。
「ダン。怖いな」
アーズはダンを見た。
いつものアーズが言う、無邪気な弱音ではなかった。かまってほしさからくる欺瞞的な弱音でもなかった。それまでのアーズには、不死のアーズには、老いのないアーズにはあるはずのないと思っていた、何か大人びた、耐えに耐えてきた、それでも耐えられくて漏れでた本音であった。そのアーズの最後の支えに、その言葉を受け止めるために、自分はいるのだなとダンは思った。今の自分だからこそ、アーズの気持ちが強くわかった。




