アーズ渦中 サントラ、潜入⑦
小さな影がサントラに、リラードに近づいていた。
サントラは、ただただリラードにヒールをかけ続けた。リラードの背中は、ガルイーガによって大きくえぐれていた。昔サントラを庇った時の傷をさらに大きくえぐるほどの。あらゆる液体がサントラの顔より止めどなく溢れた。ただ必死に、必死に、必死に、ヒールをかけ続けた。そして冷たくなっていくリラードの体に、叫んだ。
「りっちゃん、りっちゃん、りっちゃん!」
声にならない声を上げながら、サントラは意識を失った。
はたとサントラは目を覚ました。あたりは昼間の光に包まれていた。夜であるはずだったのに、夜の草原であったはずなのに。隣にはリラードが柔らかい笑顔でサントラを見ていた。サントラは、リラードの笑顔に、その懐かしくも身に馴染んだ安心感と、そして。サントラはあたりを見た。そこには家があった。同じような家が並んでいる。馬車が走っている。どこにでもあるような住宅街であった。その遊び場のなさそうな道で、子供達が集まってかくれんぼをしている。家の隅に、街灯の柱の影に、軒先の下に隠れたり。子供たちの中にはまだ小さいサントラとリラードもいる。リラードにくっつくようにサントラがついてく。そこは紛れもない、サントラとリラードの故郷の町であった。二人の思い出だった。変哲もないそのストリートが、彼らにとってかけがえのない大切な場所であった。ただぼうっと、二人はその時間を、幼い自分たちを眺めていた。夕方になり、そして夜が近くなる。ゆっくりと、そして一瞬に過ぎ行くその時間の中で、サントラはぼんやりと理解した。サントラの目に涙が再び溢れてきた。子供達が帰っていく。
ーーー終わらないで。もっと一緒に。もっと、りっちゃんと
子供達がいなくなると、通りにはサントラとリラードだけになった。
「りっちゃんは、りっちゃんは、私のせいで」
「違うぞ、サントラ」
リラードの眼差しはずっと優しい。サントラは、普段の優しく穏やかな彼女ではなくなり、何か駄々を捏ねるような言い方で言う。
「違うくない。勇者になったのだって、私のせいで。りっちゃんは昔からなんでもできたのに」
「違うんだよ、サントラ」
「違うくない!」
涙をこぼしながら、サントラは叫んだ。普段温厚で穏やかなサントラが叫んだのは、人生で、初めてだったかもしれない。流石のリラードも少し驚いたが、次には大きく笑った。何がおかしいの、とサントラが訊ねると
「いや、20年一緒でも新たな一面が見れるなんて、よかったと思ってな。だからこそ口惜しくもある」
「何が」
「もっとサントラのことを知れたのに」
夕日がゆっくりと沈んでいく。暗くなる辺りに、リラードの姿も徐々に消えていく。
「待って、待って、りっちゃん!私が、りっちゃん、ずっとりっちゃんに甘えてて、りっちゃんに頼っちゃって。いつもりっちゃんはすごくて、悲しいそうなところも、辛そうな姿も見せなくて。りっちゃんはいつも私に笑ってくれて。りっちゃんが笑ってくれたら、私も嬉しかった。でもりっちゃんがりっちゃんが操られているのを見て、辛そうなのを見て、私もとっても辛くなって、やっと、、、お願い、りっちゃん」
「サントラ、ずっと俺の夢は」
「お願い、りっちゃん」
「お前のためにいることだった」
「私のために、死なないで」
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「私のために、死なないで」
リラードは、サントラの言葉を聞いて、はっと表情を変えた。そして涙を流した。
それはサントラの最後の言葉に、リラードの中で大きな驚きがあったからだ。サントラに対して、決して弱いところを見せないようにしてきたリラードが、感情の発露のままに涙を流した。
自分はサントラのためにいる。どこでどう変わっていったのか、自分の存在意義をサントラへの自己犠牲に求めていたのかも知れない。サントラもそう思っているだろう、と思っていた。サントラ自身のために、りっちゃんは、自分はいるんだ、と。俺とサントラは幼い頃から一緒で、だから自分といるとサントラは安心できて。今日、命を投げ打ってまで自分を助けにきたサントラに驚きと喜びを覚えてしまった。そして、最後の言葉に自然と涙が溢れた。サントラへの想いが一方向でなかったことに、そしてその時新たな感情が芽生えた。故に思う。自己犠牲という傲慢を。ただ、自らの傲慢のためにも、この方法しかなかったことを。この感情はなんだ。この想いは、なんだ。サントラが、そこにいる。サントラが。
リラードは自身も涙を流しながら、泣きじゃくるサントラを、想いを込めた。それは光となって辺りを包んだ。優しい、大きな光となって。
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月が草原を照らしている。すでにサントラとリラードの故郷はない。一際大きなガルイーガの影があった。黒いパーカーの男と、気を失ったサントラと、息絶えたリラードがいた。
小さな影が、一匹の羊が、二人のそばで涙を流していた。




