アーズ渦中 サントラ、潜入
ーーーあれが、人型モンスターアーズ。
その絶世の美女を前にして、サントラは怯える気持ちを抑えた。アーズが両手をあげ、何かを唱えた。その場にいた30人ほどの人々に、赤い瘴気が移っていく。ここだ、とサントラは、俯き小瓶の液体をこっそりと飲み込んだ。サントラの体から、赤い瘴気が生じる。モンスター研究所の発明した赤い瘴気を発することのできる液体である。そこまではいいが、サントラは同時にヒール魔法を自身にかける。アーズの魔法がサントラに移ると、サントラにぐわりと高揚感が生じる。アーズに見惚れるように視線がそちらへ向く。
なに、これ。抗いようのない誘惑。目がとろんと落ちそうになる。そこにいるのは、人型モンスターアーズ。そうであるはずなのに。色んなことが崩れていく。忘却。めんどくさい。ただ、あの人に従っておけば。ただ、言われるがままに。しんどい。疲れた。めんどくさい。眠気、いや、だめ、気を持ってヒールを。
サントラはなんとか気を持ち直す。周りの人たちは、すでに赤い瘴気を発しており、口はぽかんと開き意思なくアーズの方を見ている。サントラも同じように擬態する。この集団の中で、サントラ以外にもう一人勇者組合からの侵入者がいるはずだった。それが誰かはサントラは知らされていない。相手もサントラのことを知らない。バレて拷問にかけられた時に、情報を取られないようにするためだ。集団はそのほとんどがトンドの外れにある村のものたちだった。アーズがその村を襲うと情報を得た勇者組合が、あえて襲撃を阻止せずサントラともう一人のヒール使いを村人になりすませた。そうやって侵入に成功した。襲撃と言っても大きな戦闘はなかった。モンスターが現れ、いく人かの人とアーズが現れ、戦闘訓練の受けていない村人たちはただ唖然と立ち尽くし、そこにアーズが魔法をかければそれで全てのものたちが従った。一団は、列をなしてマラロス村へ向かって歩いた。
サントラは回顧する。
今年の夏、みんなで行ったあの不可解な任務を受けたマラロス村。カイくんが仮免で来ていて、村には結局村長しかおらず、駐屯所ではモンスターの襲撃を受けた。話はあそこから始まったんだった。りっちゃんの情報をもとに勇者組合が調査隊を結成したが、調査隊が襲撃を受け、りっちゃん含め多くの勇者もアーズに操られる結果になってしまった。今から行く場所に、りっちゃんがいる。私の幼馴染で、いつもそばにいてくれた、いなくなって思う、私の、大切な、人。りっちゃんを救いたい。助けたい。プロの勇者としての任務がある。私情を挟んではいけないのはわかってる。だけど。
一団はマラロス村へ着いた。サントラは、焦る気持ちを抑え自身に適宜ヒールをかける。アーズの魔法に抵抗するため。マラロス村に着くと、至って変わっていない村の様子に驚いた。村人が農作業をしている。目に色はなく、何か機械的であった。りっちゃんは、見知った勇者の人たちは、とサントラは探したが、村に彼らの姿はなかった。連れてこられたものたちには住居が与えられた。彼らは常に赤い瘴気を漂わせており、やはり操られているからか、言葉を話すことはなくただただ無機質に生活を送る。アーズが現れた瞬間のみ、恍惚と彼女を見た。赤い瘴気を放たないものたちもいた。普通の人間だが、彼らは操られずともアーズに付き従っている。鎧の大柄な女。黒いパーカーの男。黒いマントを着た顔の見えづらい女。今はいないが、最初の村にはハットを目深に被った老人もいた。他にも何人か、兵士のようなものたちがいた。彼らがこの村で何をしようとしているのか、サントラにはまだ見えなかった。翌晩、一団の中から二人が消えていた。昨日の昼間にはいたはずだけど、とサントラは訝しんだ。夜のうちに消えたのか。その日の夕方、村はずれから声がした。人の声ではない。ガルイーガの声だ、とサントラはすぐにわかった。そして村人が、黒いパーカーの男に連れられていく。そちらに向かって。その夜、サントラはこっそり村を抜けてその声の方へと向かった。茂みに隠れながら、こっそりと。幾らかの松明の火が泳いでみえる。
ーーー大丈夫、慎重に、ゆっくりと
ガルイーガの声が小さく聞こえる。遠目だが、サントラはその様子を見た。膝をつき、嗚咽した。まさか、そんな。ガルイーガが、人を、村人を、食べていた。
「誰だ?」
檻の見張りがこちらへ向かってくる。サントラは息を殺し、なんとか茂みに隠れる。運よくも、背後から羊が現れた。
「なんだ、羊か。羊?」
見張りは羊に疑問を持ちながらも、あまりに羊がフガフガと葉っぱを食べているので興味を失い戻っていった。ほっと息をつくサントラを、羊がはたと見た。その目は、ただの羊ではなかった。
「やはりオーダムグラスはうまいな」
確かに、羊はそう言った。ように聞こえたが、そのまま去っていったのでサントラは本当に言ったのかどうかわからなくなった。羊に助けられて、そしてその羊がしゃべっていて。神様の使いかなにかななのか、などと考えながらも、人を食べるガルイーガを思い出し、嗚咽をなんとか我慢しながら村へと戻った。




