羊、よくしゃべる
「ま、待ってください!」
少年が草原を駆けてくる。リクトだ。
羊は興味が失せたように、空を見上げている。
「村の時間を進めてください」
リクトの声にも、羊は無関心である。
「おいおい、聞いてやれよ」
ポックが羊に言うと、羊は何か澄ましたように空を見ている。
「何で時間って止まっちゃったのです?」
ユキがぽつりと訊ねた。
やはり夕日は色鮮やかに丘を染めている。風に、丘がざわりとさざめく。
確かにそうだ。今更だが、なぜ羊は時間を止めたのだ。当の羊の答えを待つが、全くそっぽを向いている。
リクトが沈黙を破る。
「それは、あなたが失恋したからですよね」
羊が、リクトをギロリと見た。
「失恋ん?」
ポックがリクトに説明を求める。リクトが口を開く。
「兄と駆け落ちした、あの女性にあなたは恋をしていた。兄とあの女性が駆け落ちして、だから時間を止めたんだ」
「ふん、一介の人間風情に何がわかる」
とようやく羊はリクトを見た。
「わかります。私は羊飼いで、ずっと、時が止まる前から毎日あなたを見ていたから。それと、あの駆け落ちした夜、二人は橋から転落して死んだそうです」
リクトの言葉に、初めて羊は動揺の色を見せる。
「ほ、本当か?」
「ああ、駆け落ちしようとした男女が橋から落ちて死んだっていう話はあるぜ。30年前ぐらいに」
ポックが説明を加えると、羊は数秒俯き、ゆっくりと空を見上げた。
「あの娘の明日は、なかったのか」
ボソリと羊は呟いた。
「羊が人に恋するってのも、面白い話だな」
「こら、ポック!」
ズケズケと言うポックを諫める。羊をチラリと見るが、そんなに怒っている様子はない、というか、遠い目をしている。さっきまでもそんな目をしていたが、何かを懐かしむような、遠いようで近い映像を見ているような。ふと羊が喋り出す。
「あの娘がな、旦那を無くしてから時折この丘に来るようになった。同じ目をしていたんだ、私と。どこか遠い、何かを探すようで、だが全てを諦めてしまっているような。時折会話をして、私に楽しみができてしまった。男と出て行った時、私は苦しみ悶えた。何日か経って、過去も未来もなければいいと、時間を止めたんだ」
「失恋じゃねえかマジで」
ボソッとポックが言葉をこぼしたので急いで頭を叩く。
「ここの村のものは、もはや明日を望んではいまい。私とともに悩みなき永遠の未明を彷徨うのも良いだろう」
「悩みまくりじゃね?」
またポックが余計なことを言うので叩く。
「全員が全員そうではないです。明日を望む人もいる。あなたが明日を怖がるのに、村人を巻き込まないでください」
リクトが語気強く言った。
星は煌びやかで、恒久の時間がここにありえた。
「羊さんも、村を出るのはどうなのですか?みんないっぱいいるので、寂しくないです!」
ユキがあっけらかんと言った。悪意がない分タチが悪いというか、少しヒヤヒヤする。
「私は出られない。昔世界を回って、そしてこの地にやってきた。ここの牧草地の草しか食べられない性分なのだ」
「偏食な奴だな」
ポックが言った。まあ、そうだな。
「この牧草、オーダムグラスですよね。私の田舎も同じ牧草で。珍しいっちゃ珍しいですが、全くないこともないですよ」
とキヅモさんが足元の草を繁々と見て言った。
「え?」
と羊がキヅモさんをマジマジと見る。
「だってよ。お前も新しい彼女探したら?せめて話し相手くらい」
ポックの言葉に、羊は顔を赤らめている。薄暗くてわからないが、多分。カズさんがつまらなそうにあくびした。早く終われと言わんばかりに。
「娘、私を連れていけ」
羊はキヅモさんを見て言った。
なんで私が、と言わんばかりにチラチラとキヅモさんがこちらを見る。が、断れない空気を察して「ええ、別に、いいですけど」と答えた。
「うむ」
と何か一人で納得して、羊は空を見上げると、ぶわりと浮遊した。
数メートル上に上がると、むにゃむにゃと口を右へ左へ動かすと
「メエエエエエ」
と鳴いた。
「ヤギじゃね?」
ポックがボソリと言ったが、それも大きな風にかき消された。
ふわりと羊は地上に戻ると、
「さあ、朝日がくるぞ」
と向こうを見た。
山間から朝日が恥ずかしそうに少しづつ、顔を覗かせる。
「さ、けえるぞ」
カズさんが言うと、俺たちは従った。なんだか疲れたな。




