羊、怒る。
翌日の夕方、我々一行は夕日に染まる丘へと向かった。シュナが剣を手入れしているのに触発されてか、みんなフル装備で向かう。
「グウォールが残した『日誌』は500年前に書かれたもの。確かにグウォールはなんらかのものを、それはもしかしたらメッセージのようなものかもしれません。この村に残した、と。その羊が、まさか500年ものあいだ生きて
いたとしたら、いや、さすがにそれは」
とキヅモさんはいつもの如くぶつぶつと喋りながらついてくる。もう慣れっこで、みんなわざわざ聞いてはいない。
夕日色の田園の絨毯は相変わらずに美しく、今日という日が何事もなく続けばいいのにと思わされる景色である。いかんいかん。早く明日に行かないと。
羊がやはり一匹、丘の上にいる。あたりは薄暗くなっており、星も出始めていた。毎日と同じように、羊は物憂げに空を見上げている。遠い遠い空を。
「どうやって話しかける?」
俺は誰となしに訊ねた。羊とは少しの距離がまだあった。さて、どうしたものか。
「まあ、考えたってしゃあねえだろ」
ポックがズンズンと歩いていく。いや待てよ。少なくとも半世紀以上は生きているだろう羊。そのスッと伸びた鼻、何か浮世離れした、しかし全てを見通すような理知的にも見える瞳。なんとなくだが人語も理解するような気がする。ポックがいつもの如く無礼に声をかけては機嫌を損ねるかもしれない。
「ポック、俺が声をかけよう」
と俺は足早に羊の元へ。俺たちに興味がないのか、羊の視線は空に向かったままである。
「あ、あの、失礼しますが、いくつか質問がしたいのですが」
羊はやはり視線をこちらには向けず。声が小さかったかと、もう少し声を張り上げ「すみません、質問がありまして」と言った。羊がゆっくりとこちらを向く。長いまつ毛、目尻は小さく下がっている。何か超越したような、全てを見透かすような、視線だった。口をにゃむにゃむと動かすと、大きくあくびをした。
「やい羊!人様がこんだけの人数で来てやってるというのに、なんだあくびしやがって!」
「ちょ、ポック!」
とシュナがポックを諌めるが、時すでに遅し。意外と感情的なのか、羊の目つきはきっとなる。ブルブルブルと頭を振ると、足をポンと地面についた。
途端、世界が黒くなり、ストンと足元が消えたような感覚に陥る。どすんと尻餅をつく。
「な、なんだ!?」
あたりを見渡す。
「大丈夫か、シュナ!?」
シュナが横で同じように尻餅をついている。
「う、うん」
「俺も労われよ」
「ああ、カズさんも」
ともうちょっと後ろにカズさんも尻餅をついていた。
あたりは草原である。森が向こうに見える。大きな影があった。
「ありゃあ、ターシンだ!」
カズさんがその影を指差し言った。赤い瘴気を纏った、巨大なゴリラである。
「タ、ターシンって、すでに」
なんて言ってる間もなく、ターシンがものすごい速さで近づいてくる。横っ飛びでなんとか避ける。
「シュナ、カイ、一旦距離をとるぞ!」
カズさんの指示で後方へ。なんでターシンが。確かモンスター学で習ったが、ターシンはすでに。なんてパニクっていると、気持ちが落ち着く。これは、サントラさんが教えてくれたヒールの応用技で、リラックスと集中力を高める効果がある。カズさんの魔法だ。カズさんはああ見えて、ヒーラーである。
「俺の魔法は頭に入ってんな。自由に戦え、俺のことも使っていい。傷はすぐ治してやる、さあ行ってこい!」
要するに任せた、ってことなんだろう。まあ作戦なんて相談している時間はない。カズさんの魔法は、ヒールと、さらに特殊魔法がもう一つある。
「了解!」
「了解!」
シュナと二人揃って同じ返事をする。
ターシンが突進してくる。俺は棒手裏剣を投げた。ターシンは咆哮をあげながら棒手裏剣を弾くと、尚も向かってくる。シュナも俺も、脇に逃げる。ターシンは、棒立ちのカズさんに向かって突進していく。
ターシンの突進がカズさんにぶつかるその寸前、カズさんが消える。いるはずのカズさんがいなくなり、ターシンはその突進力を持て余して体勢を崩す。シュナがターシンの左足を斬りつける。膝をついたところで、俺がその胸に剣を突き刺した。
カズさんは、いつの間にか俺たちの背後にいた。カズさんの特殊魔法は、空間移動である。距離は限られているが、自身を一瞬で移動することができる。場所の指定に結構集中力が必要らしく、咄嗟に使うとどこに移動するかわからなくなるらしいのと、結構な魔力消費なのでヒーラー的にはあんまり回数は使いたくないとかなんとか。
剣を抜きながらに、シュナがカズさんに尋ねる。
「ターシンって、確か」
「ああ、最後に発見されたのは150年前だとも言われている。なぜ今」
「赤い瘴気を纏っていましたが、確かモンスターではなかったですよね」
今度は俺が訊ねた。
「そうだ。なんだ、カイ、お前座学はからっきしだと聞いていたが、よく知っているじゃないか、ははは」
「悪かったですね、たまたま覚えていて!」
こんな時にも呑気な!
「まあそうだ。東のある一帯に生息していたと言われている。もともと赤い瘴気を発している生き物だったとも言われているが、モンスター発生により赤い瘴気を纏うターシンも同じように危険だとみなされて絶滅に追いやられた。今回は違ったが、ナワバリを犯さなければモンスターのように人に敵意を持って襲ってくるような動物ではなかったそうだ。負の歴史だよ」
いつになく真剣に、カズさんが答えた。なんて言っていると、草原の向こうから「うひゃあああああ」とポックの叫び声が。「助けてええええですうううう」とユキの声も続く。「ぎゃああああ」これはキヅモさんである。3人が走ってくる。その向こうには、大きな大きなペンダグルスが。前に見たペンダグルスの2倍はある。
「あ、ありゃあ原種級だぞ!」
流石のカズさんもめちゃくちゃ焦って言った。
原種。マラキマノー以来か。なんでこんなところに。
逃げててもやられる。とりあえずは足止めして、ユキとポックに体勢を整えてもらわないと。
「シュナ、いくぞ!」
「うん!」
頼もしい返事に、俺は剣を力強く握った。




