ユキ、怖がる。
紺染めの空に無数の光があった。ひと際強い半輪の光は、辺りの空を薄く照らし、地上にまでもその煌めきを齎す。
景色が止まって見えた。だが、じっとりと空は動いている。それは時の動きがそこにあることを示していた。
その空を、天井を、物憂げに力なく見上げながら、彼は思った。
ーーー朝が、来てしまう。
未明の混迷は、未明の葛藤は、未明の焦燥は、つまり虚ろな明日への恐怖だった。なら、明日が、朝が来なければいい。そうすれば、そこには未明の安寧があるのみだ。過去からの逃避、未来からの逃避。明日がなければ、逃げる必要もない。
ただなだらかに、微かな高揚の伴う自己陶酔に溺れている。その欺瞞に気づきながらも、その欺瞞を押し込め、やはり欺瞞のなかに逃げ込むと、半輪の放つほのかに白い純然たる光を、彼は白々と浴びた。自らの心は、身体は、純白なんだと信じて。
ーーーー
「ここまでだ。あとは歩いていってくんな」
御者に言われ、幌馬車をおずおずと下りる。
「ああ、この先の橋は曰く付きだ、気をつけな」
「ありがとよ、運ちゃん」
カズさんが言うと、「まあ、勇者ってのも大変だねえ」と御者が手綱をしめると、幌馬車は去っていった。
森があった。馬車の通れるほどの道はなく、二列になって道といえるかどうか怪しい道を歩く。
「ほんとに村があんのか、おっさん」
ポックがカズさんに訊ねた。
「ある、はずだ」
とカズさんはややつまりながら答えた。
「おいおい」
とポックはため息をついた。
カズさんが受けた依頼は、人探しであった。家族からの依頼で、とある学者が旅に出て戻らなくなったらしい。ルソン村がどうとかそんなことを旅の出発前に言っていたとのこと。ただ、このルソン村というのが厄介で、地図にはあるもののかなり辺境の地というか、誰もいかないだろう村である。前に行ったマラロス村と地図上では近くだが、山三つほど向こうなので近くとも言い難い。それに、この村だが、近隣との交易がこの30年ほど全くない。
「ほ、本当にこの先にあるんだろうな!」
馬車を下りて小一時間、道はさらに険しくなる。
「あ、あるっつってんだろ!」
ポックの問いに、カズさんは苛立って答えた。
「あ、ほら、橋だ」
先を歩いていたシュナが指を指した。
「ほ、ほらな」
どや顔でカズさんはポックを見た。
「んだよ」
とポックはやや悪態をつきながらも、颯爽と森を抜ける。
「ユキ、大丈夫か?」
最後尾を歩いていたユキの方を振り返る。
「は、はいなのです」
息は荒いながらも、しっかり付いてきている。
横幅30mほどの川があった。石橋がかけられている。柵はない。
「こ、これが、いわく付きの橋、なのですか」
ユキが怖々と言った。
「なんでも、村を出ようとした男女が橋から落ちて死んだそうで、それからこの村を行き来するものがいなくなったとかなんとか」
カズさんが手前の村で聞き取りした話を言った。
「そ、そんな、橋を、今から渡るのですか」
怖がるユキに「そうだ、ユキ!気づけば幽霊がお前の足を掴んで」とカズさんが追い打ちをかける。
「ひ、ひゃあ!」とユキが俺の背後に回る。
「いい大人が何してんだ」
ポックが飽きれたように言った。
いや、それよりもユキはずっとムツキという霊に憑かれていた(?)んだがな。
「ユキ、手繋いでいこ」
シュナが言うと、「は、はいなのです!」とユキはにっこりとシュナの手を握った。
橋を渡る。薄い夕日が空全体に赤みを敷いていた。うっすらと半月が見えた。ここ数日の天気もいいからか、川の流れはそこまで急ではない。無事に橋を渡り終える。再び森があった。村はこの先にあるらしい、とやはり森を歩いていく。傾斜を上り、やはり小一時間歩く。今度はなだらかに下っていくと、森を抜け丘が見えた。渇いた風が小さく拭いた。その頃には、無数の星が空に輝いていた。半月はひと際光が強かった。丘には、点々といくらかの民家があった。
「思ったより時間がかかったな」
暢気にカズさんが言った。
「とりあえず、どっかに泊めてもらおうぜ」
さすがのポックも疲れたように言った
「よし、ポック、どっかの家に泊めてくれるか聞いてこい」
「てめえが行けよおっさん!」
「これも試験の一つだ!」
「んだとこの野郎!」
喧嘩しだす二人に、俺はため息をつき「カズさん、ポック、俺が聞いてきます」と近くの民家に向かった。




