外伝 アーズとキリオス
男女の友情は成立しない。
それは封印される以前から思っていたことだ。私が少し色目を使えば男は皆欲情する。その瞬間、そこにあるのは男であり雄だ。理性よりも本能が勝る。男女に友情は存在しない。
「アーズ、ハマナスが近いぞ」
髪の毛の薄くなった老人、ダンが言った。ダンが私に欲情したことは一度もない。
訂正しなくては。
年頃の男に、女との友情は存在しない。
「分かっておる」
私が答えると、ダンはすぐに前を向いた。ダンは召喚士だ。私の方が何百年も年上だが、見た目のせいかダンの方が老成して見えるし、現にダンは私を小娘のように扱う。気に食わないが仕方がない。実際ダンの方針に乗っかって私がいる。そもそも私はダンを操っていない。なのにモンスターと呼ばれる私に力を加担するおかしな奴である。もともとリーフでモンスターの召喚をしたらしく、周りから異端とされ弾きものにされていた。人は迎合したがる。人は異質を弾く。人は尖った力を恐れる。そんなこと、私はわかっていたが、やはり500年以上立ってもそれは変わらないのである。そういう意味では、ダンと私は似ている。
すぐにリーフを私の国にはできまい。リーフは大きく、強大だからだ。リーフの西にあるトネリコ連邦ではグリムヒルデが動いている。私と同じくずっとあの大きな穴に封印されていた、忌々しい言い方をすれば私と同じ人型モンスターだが、あいつは強い。孤高の強さがある。あんなやつとぶつかってはいけない。そこでダンの立てた作戦がこうだ。南の三国、プリランテ、ハマナス、ダマスケナを手中に収めよう、と。南三国ではリーフと比べてモンスターがあまり出ない、つまりモンスターに対する免疫も少なく、私の情報も少ないはずだと。それに、島国ダマスケナは閉鎖的だし、プリランテとハマナスの関係はあまり良くないので、三国間の情報の交流が少ない。プリランテは強力な国だ。まずは、ハマナスかダマスケナか。密航し、プリランテで滞在していると耳寄りの情報が入った。ハマナスをそのカリスマで治めていたジトーが死んだらしい、と。もともとハマナスは乱立していた南の諸国をジトーがまとめた国だ。これは荒れると踏んだダンは、ハマナスを最初の標的に決めた。
ダンの思惑通り、ハマナスは荒れていた。人々はすぐに私の魔法にかかり、裏から操ることは容易だった。この荒れた国の中にあって、一人退屈そうな男が目についた。大斧を持った、頬に傷をつけた男である。ダン曰く、男の名はキリオスと言い、敵に回すと原種を召喚しても負ける可能性があるので直接的な接触は後にまわそう、とのことだった。
人々をたぶらかし、魔法で操り、時にモンスターを召喚し、私とダンはハマナスをさらに混乱させた。大衆は不安の中で、私の魔法にかかった。不安は、動揺は、私の魔法を強力にする。彼らにとっての混乱は、私にとっての支配だった。
「うおりゃあああああ!」
ある時、召喚したペンダグルスが一撃で倒された。
倒したのはキリオスである。初めて、キリオスが嬉々として大斧を振っているのを見た。
「お前か、裏で色々やってんのは!?」
キリオスが爽快に訊ねた。そこに怒りはなく、何か声色は明るい。私はその凄まじい力を警戒しながらも、魔法を使った。
キリオスの様子を伺う。
「なんだ?」
不思議そうに、キリオスは私を見た。
「なんじゃ、お前は!?なぜかからん!」
キリオスに、私の魔法がかからなかった。
「しらねえけどよ」
とキリオスはポリポリと頭を掻いた。
私の魔法は、不安や恐れ、心の惑いや揺れ動きを利用する。
つまり、この男は、すっからかんなのだ。
ダンが背後から現れ言う。
「魔法が効かんか。正攻法でいこう。キリオス、すでにジトーなきハマナスに残る意味もあるまい。手始めにダマスケナとプリランテを獲るが、ついて来る気はあるか?」
「はっはっは、面白え。いいぜ。退屈だったんだ」
とキリオスはニヤリと笑った。
ハマナスを手中に収めると、ダンはガルイーガとペンダグルスを次々に召喚し、繁殖地にした。キリオスは、「ダン爺、あんたやべえ奴だな」とダンを見た。ダンは、楽しそうにガルイーガとペンダグルスを眺めている。確かにこいつが一番やばいなと私も思った。
私は何度かキリオスに魔法をかけようとしたことがある。しかし全く効かない。それに、キリオスもまた、ダンと同じように私を小娘扱いするのである。
「お前はずっと私の年下だぞ!」
「うるせえ!」
こいつに年齢などといったものは関係ないのだろう。そして、私に欲情する様子もない。だが、女を抱かないと言うわけでもなかった。ハマナスにいくらか残った女を、キリオスは時折抱いていた。
「弱い奴に興味はねえんだよ」
とキリオスが何かの折に言った。こいつにとっては、強さこそが絶対なのだ。時折気が向いた時に女を抱くが、私はなぜかその範疇にないらしい。そう思ったとき、キリオスと接する時の私の心は軽くなった。意識して警戒していたわけではないが、無意識のうちにあった異性という壁が、なくなったのである。キリオスはいまだに私を子供扱いしてくるが、ともに酒を飲み、飯を食い、それは、異性の友達であった。
男女の友情は成立する。
何百年生きたか忘れたが、ここにきて私は考えを改めた。
ハマナスを手中に収め、今度はダマスケナへと渡った。
ハマナスほど簡単ではなかったが、王に取り入ることができたので、そこからは容易かった。ただ、大きな壁が最後に残った。
セリーナ・アレバロである。
今までにない強大な敵であった。時代が時代なら、私と同じようにあの大穴にあいつも封印されていたのではないだろうか。
セリーナと対峙し、キリオスの表情に変化があった。
元々頬に傷をつけられた因縁の相手であるが、キリオスのセリーナを見る目は、口では因縁を嘯くが、尊敬の念が込められているような気がした。尊敬、憧憬、とにかく、高嶺の花を見るような、万人が私に向けていたような目を、キリオスはセリーナに向けているのである。キリオスにあるそれは、男女の恋とは違う感情なのかもしれない。だが、キリオスはセリーナに、少なくともそのセリーナの強さに恋をしているようだった。
何か、心がずきりと傷んだ。
すぐに首を振り、その痛みを、感情を振り払った。
セリーナは、その最愛の人、フェルナンド公爵の手によって倒された。
セリーナを回復させ、操る。ダンの提案だった。キリオスは苦い顔をしていたが、何も言わない。キリオスはセリーナと、それこそ四半世紀前から戦ってきた相手である。戦場の人々には私の知らない感慨があるのだろう。私は、自らの感情を隠すように、淡々とダンの提案に乗った。それからというもの、キリオスに対して私は仮面を被った。その仮面を何度も自分で否定しようとした。だが、その否定は仮面を重ねるだけの結果になり、一貫した態度のなくなった自分に、自分を見失いそうにもなった。キリオスは、しかしいつもと変わらなかった。そもそも大きな興味を私に抱いていないのだろう。私は、とにかく自身にどうしようもなく募るその感情を否定した。
プリランテの地下墓室。もうすぐで、プリランテも私の国になる。原種のねっぽうは死んだが、それでもカロス王殺しと、その罪をディオールに着せることに成功した。ダンがデメガマ口を召喚した。この奇妙な生き物の大きな口は、ワープホールのように、こいつが今根城にしている場所に繋がっている。私は地下墓室を去る直前、キリオスが気になった。キリオスは地上で今も戦っているかもしれない。大穴に封印されて数百年、そこから解放されてまた数百年。封印される前の記憶は、鮮明ではない。両親はおらず、体を売って生きてきた。魔法が身についてからは、人を操って生きてきた。確か、そんな人生だった。心配。誰かを心配することが、こんなにも辛いとは。私は私だけで生きていければよかったのに。人を知ってしまうことは、こんなにも辛いなんて。
男女の友情は、成立しない。
キリオスは、敗れていた。殺されていた。
ぽっかりと穴が空いた。呆然と、すぐにキリオスの死体回収を命じた。
「イサークとの約束がある。当分は国の深部へのモンスターの侵入はダメだ」
とダンは最初反対したが、私の様子がそれだけおかしかったのだろう。ダンはついに死体回収に応じた。
モンスターを襲撃させ、キリオスの死体を回収した。
一人の死が、だからなんだというのか。私は何千何万と死に追いやってきたではないか。
だけど、どうしようもなく心が苦しい。生まれてこの方、人に踏み込まずに生きてきたんだ。その麻薬のような暖かさを知らずに。その中毒性を知らずに。私は、キリオスと関わってしまった。人に踏み込んでしまった。飯を食った時間が、ただ船に乗って移動していた時間が、ぼうっと焚き火を見ていた時間が、どうしてこうも、キリオスがそばにいただけで愛おしい時間になってしまった。
人の命は儚い。
だが、私は、モンスターなんだ。
あの、生きたまま大穴に封印されていた数百年の苦しみは、ずっとある。暗闇から光を見た時、どうしようもなく思った。生を、そして、人々への憎悪を。それは、ずっと消えずにある。キリオスは死んだんだ。ただ、それだけのこと。キリオスが、この世界のどこかにいるわけじゃない。キリオスと他の人は、違う。キリオスは、もういないんだ。そこにいるのは、他の人間だけ。私が恨むべき人間だけ。私が利用すべき人間だけ。
「何を思う、アーズよ」
ダンが問うた。
「支配よ。私の支配下に全て置く。玉座から人間どもを高笑いしてやるわ」
これでいい。
私が全て、支配する。




