外伝 プリランテの太陽は、燦々と変わらず
ぐちゃぐちゃになった左腕、ヨークに斬られた腹、それでも、ディオールはカロス王の元へなんとか歩いていく。
カロス王の息は、すでになかった。
サラがそのそばに倒れていた。赤い瘴気は抜け、気を失っている。ディオールは、茫然自失のまま、はたと振り返った。
高笑いするアーズと、その後ろで茶色いマントの老人、ダンが地面に手をかざしている。
大きな口の一つ目の生き物が、地面より現れる。
「キリオスは拾っていかないのか?」
アーズがダンに尋ねた。
「拾えるほど余裕はないぞ。それにあいつは自分でなんとかするじゃろう」
「そうかのう」
とアーズはなんとなく心配そうに上を見ながらも、その奇怪な生き物の大きな口に吸い込まれるように消えた。ヨークが続くと、最後にはダンが吸い込まれるように消えた。その生き物はごくんと飲み込むように嚥下すると、数秒のうちにパタリと消えた。
絶望に対する拒否反応、それは現実からの逃避だった。
何か、演劇を見るように、別世界のことのように、ディオールはアーズたちの一連の動きを見ていた。彼らがいなくなると、地下に沈黙が残った。それまでの戦闘からは考えられないほどの、沈黙。崩れた階段の方から、数人の足音がした。絶望が、現実が、ディオールに揺り戻る。左腕に激痛が戻る。腹がどくどくと痛い。ねっぽうが中央で倒れている。その向こうで、やはり唖然と立っていることしかできないイサークがいた。シーノはまだ気を失っているようだった。階段を降りてくる複数の足音。ベルタの声も聞こえる。
ーーーまだ、間に合う。
ディオールはサラの剣を拾った。カロス王の血に染まった剣だった。
「何を、ディオールさん」
イサークが悲痛な声で言った。
「イサーク、口裏を合わせろ」
とディオールは、サラが斬った痕を上書きするように、深くカロス王の死体を斬りつけた。
ベルタが、幾人かの兵士を引き連れて現れる。地下に降りた彼らは、はたと足を止める。それまで気を失っていたシーノが目を覚まし立ち上がる。
「これは、一体、どういうことじゃ?」
シーノは、唖然とディオールに尋ねた。
ディオールは、ゼエゼエと息荒く答える。
「俺が、王を、殺した」
イサークがはっとディオールを見るが、ディオールは睨み返すのみであった。
「嘘をつけ!その傷はなんだ!?ねっぽうの死体はどう説明する!なんで、どういう」
ベルタが涙声でディオールに駆け寄り、さらに言葉を紡ぐ。
「なぜ、サラが倒れている。ヨークはどうした!?おい、地下を遮断しろ!」
その間にも、兵士が何人も地下へ降りてきていた。地下に広がる光景に、皆が足を止めた。
シーノが死体となったカロス王を検分する。
「王を斬ったのは、誰じゃ?」
「俺だ。俺が、斬った」
「やめろディオール!ヨークが原因だろう!アーズがいたんだ!何かがあったに」
ディオールに右腕で強引に抱き寄せられると、ベルタは言葉を止めた。ベルタの目から、涙が溢れる。ディオールの腕の中で、その大きな懐に体を預け、プライドの塊のベルタが、少女のように泣いた。
ディオールは、小声でベルタに言う。
「セバスとロゼを逃がせ。すぐに被害が及ぶ」
「ディオール、なんで、あんたは、嫌だ」
「最後だ。最後ぐらい、俺の言うことを聞け」
ベルタは、ぐずりと鼻をすするとディオールを見上げた。初めて抱かれた夜に戻ったように。ディオールも、ベルタを見た。初めて抱いた夜に戻ったように。今ばかりは、愛しあった時間ばかりが思い出された。二人はその一瞬に、人生の恍惚と、その儚さを持った。
嘆きを振り払うように、ベルタはディオールの胸から離れると地上へと向かった。ベルタの涙が、露となり落ちた。
ディオールは、消え行くベルタの温もりに、すでに先のない生への執着を持った。それはディオールの心をひどく締め付けた。棘のついた紐で、これでもかと強く、心の臓が破裂するほどに強く、締め付けた。苦しい。苦しかった。今にもベルタを呼び止めて、そばに戻ってほしかった。その温もりをまた感じたかった。だが、ベルタの気丈な、大きな背中が、ディオールに最後に残った理性を働かせた。苦しみをそのままに、ただ苦しむという選択が、サラの叔父としての、プリランテの軍長としての、ディオール・レバントとしての、ベルタの最愛の男としての、選択であった。
「ディオール」
シーノが、何か物憂げにディオールの答えを待った。ディオールは言う。
「アーズが現れた。ヨークはすでに敵だった。アーズに操られ、俺は王を斬った。事の顛末だ」
「刑は免れんぞ」
「わかっている」
「連れて行け」
シーノが言うと、兵士たちがおずおずとディオールを連行する。
いまだに呆然としているイサークに、すれ違いざまディオールは言う。
「ボルトゥ派でお前がまとめろ。一人でも多くの国民を逃がせ。あと」と少しため、さらに言葉を紡ぐ。
「サラとミーナを、なんとか、頼む」
イサークは、俯いたまま、こくりと小さく頷いた。
ーーー
『メメント・モリ』にプリランテの街は、人々は賑わっている。
地下墓室を出たディオールは、その街の賑わいを、声を、幸せを、遠くではあるが聞いた。その瞬間、遂に理性は崩れる。ガクガクと足が震え、嗚咽が走った。膝を地面につき、蹲るように地面に頭をついた。止めどなく涙が溢れた。周りの目など気にせず、泣いた。どうしようもなかった。どうしようもない。もう、何もかもが遅かった。左腕はぐちゃぐちゃだった。もう、力もない。何をすることも、もう。その遠くから聞こえる街の賑わいが、どこまでもディオールを苦しめた。プリランテでの思い出が、幸せが、ふれあいが、死んでいった仲間が、今ここにいる仲間が、その全てがディオールを苦しめた。払っても払っても、苦しみは延々とディオールを犯し続ける。苦しみに臓器が黒く染まり、何度も胃液が逆流し、やがて感情は限界を超えると、ディオールは白目を剥き、だらしなく口を開いたまま、地面に倒れた。そのゴツゴツとしているはずの地面は、境目のない、とろみのついた液体のように、ディオールの体と混ざり合った。草や花、木々と同じように。石や砂、土と同じように。
プリランテの太陽はやはり燦々とあり、雲ひとつない空だった。




