外伝 カロス6世の思い
雨季が明け、プリランテの中では涼しい季節がきた。爽やかな風がテラスにふく。
「すまんなディオール、忙しい時だろうに」
目尻の少し下がった柔和な目、形の良いすっと伸びた鼻、口元は上品に和やかに微笑んでいる。カロス6世である。
「カロス王。お呼びしていただいて光栄です」
ディオールはすっと頭を下げた。
「ロゼちゃんも、今日はゆっくり食べてね」
カロス6世は、ややかがむとディオールの手を握るロゼに言った。
「お呼びいただき光栄です、カロス王」
と濃紺のドレスを身に纏ったロゼはディオールのしたように頭をすっと下げた。
カロス王がはっはっはと笑い声を上げる。
「ませガキ!」
横槍を入れたのはベルタである。ベルタも招待を受けていた。
「ベルタ、下品。ロゼの方が大人」
とロゼはぷいとベルタからそっぽを向く。
「なんだとこの!」
とベルタがロゼのほっぺをつねる。ロゼもベルタのほっぺをつねり返す。仲がいいのか悪いのか。ベルタは時折ディオール宅を訪ねてきたが、その度にロゼと喧嘩している。4歳の娘に何をそんなにもと思うが、精神年齢が近いのだろうか。
上品にも笑うカロス6世のズボンを引っ張りながら、男の子がチラチラとこちらの様子を伺っている。
「レオ、君も挨拶しないと」
カロス6世が王子レオを前に出した。
ほっぺがぷくりと膨れている。目尻の柔らかさと形の良い鼻は、王にそっくりであった。
「ロゼよ。ロゼ・レバント」
ロゼが堂々と前に出て名を名乗った。
「こら、ロゼ」
とディオールが嗜めようとしたが、カロス6世が「いいんだよ」と微笑んだため、様子を見た。レオが照れながらも言う。
「レ、レオ。レオ・ロレーヌ」
「食事まで時間がある。遊んでくるといいよ」
カロス6世が言うと、ロゼは「行くわよ、レオ!私が隊長よ!」とテラスの階段を下り、広大で手入れの行き届いた庭へと下りていく。レオは、「う、うん」とついていく。
ディオールが、呆れたように「幼稚舎でもああらしい」と言った。
「いいじゃないか、元気があって」とカロス6世は言った。
食事が運ばれてきた。ロゼとレオは尚も遊んでいるので、先に大人たちが食事を始める。昨今の情勢の話、先のモンスター襲来、話はやはり世情の話になる。
「イサークは穏健に見えるがやはりボルトゥ派だ。何を考えているかわからないところがある。シーノはただただうるさい老ぼれだ」
ベルタが言った。ベルタは昔から誰の前でも言葉が汚い。幼少期より天才魔法使いとちやほやされてきたからであろう。カロス6世がそんなことで怒る人ではないことは知っているが、それでもディオールはヒヤヒヤとすることが多い。
「迷惑をかけるな、お前たちには。私が不甲斐ないばかりに」
食事も中頃、カロス6世がぽつりと言葉を落とした。
「いえ、カロス王の責任ではありません」
ディオールが咄嗟にフォローする。
「いや、やはり王というのは兄上のように大きな器を持つものでないといけない。私にはそれがない」
カロス6世の言葉に、ベルタがすかさず言葉を挟む。
「そんなことはありません。先王は素晴らしい方であったことは違いありませんが、先王亡き後の国民の不安を収めたのはカロス王です」
「すでに兄上が国の平安をお前たちと創り上げた後の話だ。私はただ、次の王は誰か、と言う国民の不確定な未来に選択肢の一つとして乗っかっただけだ。私が王になったことにではなく、私の背後にお前たち二人がいるとわかって安心したんだ、国民は。そして今、この非常時に国はふたつに割れている。兄上ならばそうはならなかっただろう」
「先王亡き後数年間は国は治っていました。モンスターの襲来はイレギュラーです。誰が王であっても現在の混乱が起こっていましたよ、カロス王。自らを責めることはありません」
ベルタがやはりフォローするが、カロス王はグラスに口をつけ水をごくりと飲むと、意を決したように言う。
「『メメント・モリ』をボルトゥにしてもらおうと思う」
唖然と、ディオールとベルタはカロス6世を見た。『メメント・モリ』はプリランテの祖霊祭であるが、時の王が霊廟地下墓室に祈りを捧げる儀式があった。その象徴的な儀式の役目をボルトゥに譲ろうと言うのである。
「何故、そんなことを」
ディオールが問うた。
「王位をボルトゥに譲ろうと思う」
「いけません、混乱に輪をかけます。王位を譲ろうなどと。それに、『メメント・モリ』まで10日もありません」
ディオールが言うと、ベルタがさらに言う。
「ボルトゥ派は権力に目が眩み、ボルトゥを利用しているだけです。力を持てば国はもっと悪い方向にいくでしょう。再考すべきです」
「ボルトゥ派はそうかもしれない。が、ボルトゥはそうではないだろう。兄上に似て立派な王になろう」
カロス王の言うとおり、ボルトゥは先王に似て質実剛健、人柄の評判もよかった。
「私はつなぎの王だ。それに平時なら良かったかもしれないが、今は緊急時だ。ボルトゥのような若く前に立つものがよかろう。お前たち二人がボルトゥ派に帰依してくれるなら、混乱も最小限に収まる。私の派閥のものは、私についてきたものたちではない。お前たちについてきたものたちだから」
「そんなことはありません」
ベルタがすぐさま否定する。
庭から子供達の声が聞こえた。分厚い雲が轟々と動くと、テラスを影が覆う。
カロス王は子供達を優しく見ると、「国をいち早く一つにしたい。お前たちには迷惑をかける。が、頼む」とベルタとディオールに頭を下げた。咄嗟にベルタとディオールは立ち上がり、「カロス王、やめてください」と恐縮する。カロス王の決意の強さが、その表情、言葉に現れていた。頭を下げならがに、カロス王は言葉を紡ぐ。
「最後の我儘だ、ディオール、ベルタ。ずっと弱い王ですまなかった」
「王は、王は我儘など言ったことありません。むしろ私たちのわがままで」
ベルタが言葉を止めた。それ以上言葉が出てこなかった。
ディオールも、その時思った。ボルトゥ派と俺たちはなんら変わりなかったのかもしれない。俺とベルタも、先王からの路線を継続するために権力に固執し、カロス王を玉座に持ち上げたんだ。そしてこの緊急時に国をいち早く一つにするために、ボルトゥに王を委譲し俺とベルタが帰依するというのは、一つの打開策としてあると思った。国のことを考えているのはやはりカロス王のように思えた。
頬を土で汚したロゼが、王子レオを引っ張って連れてくる。
「パパ、お腹すいた!」
「ロゼ、手を洗っておいで」
ディオールはなんとか父親としての顔を作りロゼとレオを見送ると、表情を戻し、王に言う。
「カロス王、『メメント・モリ』までには時間がありません。多忙の時期とあってやはりここで方々に手回しができない。王を慕うものは多くいるのです。『メメント・モリ』後、ひと月を持って私とベルタでそのものたちを説得します。その時に王位委譲を」
「レオ、早く早く!」
ロゼがレオをやはり引っ張ってくる。
「う、うん」とレオは照れながらもやってくる。
「わかった。『メメント・モリ』には出よう。最後まで迷惑をかけたな」
カロス王は、ディオールとベルタの心中を察したのか、さらに言葉を紡ぐ。
「ディオール、ベルタ。そんな大層なことじゃない。私は、一個人に戻りたかっただけだ。エゴの塊だよ、私は」
とレオを優しく撫でた。レオは不思議そうにカロス王を見た。
そこには、幸せな親子がいた。どこまでも優しい父親と子供。先王の亡き後、カロス王を平穏から引っ張ってきた自分に、ディオールはようやく後悔した。王になろうと自らを奮い立たせ、頑張っていたカロス王。ボルトゥが成人した今、カロス王は立派に役目を果たし終えているのだ。
「カロス王」
ディオールの言葉を切るように、ロゼは言う。
「私が王様になるんだ!レオは隣に居させてあげる!」
レオもまた、照れたように頷いた。
やはりカロス王は微笑んでいた。




