外伝プリランテ 黒い火
夕日がサラの部屋に差している。サラはディオール家よりディナーに招待されていたが、乗り気になれず断った。今日の訓練のことがあったからだ。私は軍にいていいのだろうか。実践に出ることができるのだろうか。敵を殺せない兵士がどうやって自国の民を守る。覚悟が足りないのだろうか。なぜ、刺せなかった。剣は毎日振ってきた。それは訓練のための素振りだったに過ぎないのか。考えても考えても何か答えが見つかるわけでもなく、ただ自分への不甲斐なさが募るだけであった。どこかに答えはあるのか。ないかもしれない。じっとベッドに寝転んでいても時間は過ぎる。明日の演習はどうしよう。そもそも、軍にいてもいいのだろうか。敵を殺せないものがいても、なんの力にもならない。どうしよう。明日と言わず、明後日も明明後日もどうしよう。未来が見えない。布団に無気力に潜る。力が出ない。さっきも少し眠ったんだけど、また眠気に襲われる。鬱だ。考えることを放棄する。
「サラ!」
部屋の扉がどんと開いた。母のミーナがエプロン姿でいた。
気怠げにサラはミーナを見た。
「腑抜けた顔して部屋に篭って!起きなさい!ロゼとセバスさんが迎えに来たわよ!」
「ディナーは断ったよ、ママ」
「兄から聞いたわ。あんたは篭ってると考え過ぎてダメになるタイプよ。外の空気を吸うだけでもいいわ、行きなさい!」
ミーナは快活で豪胆なところがあり、およそ悩みとは無縁な人である。夫に先立たれても、女手一つでサラを育ててきた。強いな、と思いながらも、私は父に似たんだとサラはため息をついた。
「ほら、行った行った!」
ミーナが布団をはぐ。サラは渋々ベッドから立ち上がる。
「おーい。サラー!早くー!」
外からロゼの声がした。セバスも来ていると言う。顔を洗うと、鏡を見た。前髪をなんとなく整える。
「さっきまで寝沈んでたくせに、セバスさんと会うからね」
ミーナがニヤニヤ笑いながら言った。
「ち、違うわよ!」
別にセバスと会うから前髪を気にしたわけではない。そうだ、私だって20の娘なんだ。化粧っ気のないショートヘアーの女軍人だけど、外に出るときくらい前髪だって気にするだろう。というか、寝沈んでたとはどんな表現だ、と思いながらも、サラは自身の気持ちの切り替えの早さに呆れもした。やはりこの母親の娘である。
ロゼとセバスが夕日のもとにいた。
「サラ、早く!」
ロゼは左手を出した。サラは右手でその手を握る。ロゼの逆の手は、セバスが握っていた。
「あら、お似合いね」
と玄関からミーナが言った。
「う、うるさい!」
サラはさっさと実家に背を向けた。セバスは、どんな表情をしているのだろう。どんな感情を。今日の訓練で私を不甲斐ない女だと思っただろうか。サラとセバスが両側からロゼの手を引っ張り上げると、ロゼが得意の空中散歩をする。何度も、何度も。キャッキャと笑うロゼ。プリランテの美しい沿岸を3人で歩いた。潮風は優しく、もちろん悩みももやもやもあった。推薦してくれた叔父・ディオールにどんな顔をして会えば。だけど、いつかは会うわけだし、布団で包まっているよりはやっぱり良かったなとロゼの笑顔に思った。
ディオール邸宅に着いた。緊張した面持ちで、サラはロゼが玄関を開けるのを待った。
「パパ、サラが来たよ!」
玄関にディオールがいた。昼間の厳しい火神ディオールではなく、優しい叔父、ディオールの表情であった。
ロゼとセバスが先に家に入っていく。
「ごめんなさい、叔父さん。せっかく叔父さんが推薦してくれたのに、あんな不甲斐ないことを」
サラの本心であった。ガルイーガを刺せなかった。覚悟がまだまだ足りなかったんだ。これではやっぱり演習にコネで入れられたと思われても仕方がない。
「いや、俺も気負いすぎたところがあった」
今日の訓練時の、ディオールの厳しいを超えた冷たい言い方、言葉、そして怒声。軍部にいるときは確かに家にいる時よりも厳かな様子であるが、今日の訓練ほどに感情を露にしたディオールを見るのはサラも、他の若い兵士も初めてであった。
「それは私らのことを思ってでしょ、ディオールさん」
と背後からゲンが現れた。訓練時はギョロリと威圧的な目に見えたが、まつ毛がくるんと長く、ぱっちりとした目はお茶目な色っぽささえあった。
「ゲンさんもいらしたんで」
サラは、びくりと引き気味に言った。
「さあ、ディーナーにしましょう。サラも入って入って!」
と我が家のようにゲンがサラとディオールを招き入れた。全く軽妙で明るい。訓練時とは大違いである。
長いテーブルに、セバスとロゼだけでなくゴルドウとグラスがいた。とんがり帽子を取ったグラスは後ろ髪を一本に束ねており、涼やかで切長の目はクールで知的でとても綺麗な人であった。
お手伝いのスーザンさんが料理を運んでくる。
「さあ、じゃんじゃん食べましょう。リーフの料理もあるわよ!カンパ〜い!」
とにかく訓練時とは打って変わって陽気なゲンが言うと、食事が始まった。セバスはスーザンさんの手伝いをしている。ロゼは最初サラとディオールの間に収まっていたが、さっさと食事を終えるとグラスのとんがり帽子を被って遊び始めた。
「こら、ロゼ」
ディオールが嗜める。
「いいんです。子供のすることですから」
とグラスは言ったが、ロゼがとうとう帽子を踏んづけ始めるとグラスは無言で立ち上がり、ロゼから帽子をくるりんと取った。じっとロゼはグラスを見る。グラスもその涼やかな目でロゼを見る。ロゼがグラスの帽子を取ろうとジャンプすると、グラスは届かない位置まで帽子を上げる。頑張って何度もジャンプするが、意地悪にもグラスはちょうどロゼの届かないところで帽子を持ち、ニヤリと笑っている。意外と精神年齢が低そうだ。
「パパ、あれ買って!あれ欲しい!」
ロゼがディオールに泣きついた。
「んんん?あの帽子かい?」
とその大きな顔をロゼに近づけたのは、二杯目のお酒を空にしたゲンであった。びくりとロゼはサラの後ろに隠れた。ゲンは苦手らしい。ゴルドウは、黙って食べていたかと思うとセバスが運んできた料理をみんなに丁寧に分けていたりして、「ゴルドウさん、僕がしますので」とセバスが恐縮するが、ゴルドウは分けるのをやめることはなかった。何にせよ、思ったより朗らかでいい人たちだなとサラはほっと食事を進める。
「サラ、ちゃんと明日も来なさいよ」
ゲンがサラに言った。酔ってるからか、訓練中以外はこうなのか、少し女性的な口調であった。
「あ、は、はい。でも、私」
「まあ、今日のはちょっと私たちもやり過ぎたわ。ねえゴルドウ」
ゲンがゴルドウをチラリと見て、返事を待たずにすぐにサラのほうに視線を戻す。ゴルドウは小さく頷いて、オレンジジュースを飲んだ。お酒はダメらしい。
「いいんでしょうか。あの時刺せなかったのは、私だけで」
「いいのよ。戦いの中でその時がくるわ。ちょっと今回のやり方は私たちも反省してるわ。モンスターとはいえ、すでに弱っているものを刺せ、なんてのはよくなかった。それに、あなたの剣に宿る意思。毎日振ってたのでしょう。ディオールさんも誇ってたわよ」
ゲンの言葉に、ディオールがこほんと恥ずかしそうに咳をした。
「今日だってあんたが落ち込んでるって言うからディオールさん、心配してね。あんたと剣を交えた私から一言言ってくれないかって」
「ご、ゴホンゴホン、ゲン殿」
さらに恥ずかしそうにするディオールに「あら、ちょっとお酒のペースが早かったわね」とゲンは杯を置いた。
叔父さんがそんなにも心配を。嬉しかった。だけどまだ、引っかかるものはあった。今日の失態を明日の実践で取り返せるのだろうか。もやもやと吹っ切れないサラの様子に、ゲンは
「セバスはどう思うの?」
と尋ねた。
かちゃりと料理を置きながら、セバスは言う。
「いざ戦闘となれば、誰かを守りたいと強く思えば、剣は自ずと動きます。サラさんのような方なら、心配ないかと」
「サラのことよく見ているじゃない」
「よくロゼと遊んでくれてますから」
とゲンのいじりにもどこ吹く風でセバスは返した。
「ま、そう言うことよ、サラ」
ゲンがウインクすると
「は、はい。ありがとうございます!」
私はプリランテが好きで、国の人が、ママが、叔父さんが、スーザンさんが、そしてロゼが好きで、この国をこの生活を守りたくて。戦うことに理由がある。私は、戦える。その時がきたら、この国ために。そのために剣を振ってきたんだ。サラに、完全とは言えないまでも、自信が戻る。
「サラ、あんたの魔法は?」
ゲンが尋ねた。
「火です」
「ディオールさんと同じじゃない。火は遺伝しやすいって言うしね」
「まだまだ、叔父さんの足元にも及ばないけど」
「いや、サラは魔法もかなりのものだ。むしろ剣術よりもそちらに長けている」
「あの火神・ディオールがそこまで言うとはね。明日は平野に出る。魔法も存分に使ってちょうだい。セバスは風ね。グラスにご鞭撻願いたいわ」
ゲンの言葉に、それまでロゼと帽子の取り合いをしていたグラスがこちらを見た。ゲンに食ってかかるような視線で、言う。
「私が習うってこと?」
「そうよ。風魔法に関してはセバスが一つ上よ」
「グラス、帽子!帽子!」
とむすっとしているグラスもなんのその、ロゼがグラスに掴みかかる。それでも取れず、「帽子!」と怒ったように手を伸ばした。その時、ぶわりと部屋の温度が上がる。黒い火が、ロゼの手から放出される。ロゼは、火を放出するとふらりと気を失い倒れる。
「ロゼ!」
真っ先に反応したのはセバスだった。ロゼをなんとか受け止める。
天井に黒い火が引火する。グラスはすぐさま呪文を唱えると、右手を伸ばし水を放出する。火が鎮火する。
一瞬の出来事に、唖然とサラはその光景を見ていた。




