外伝 プリランテ 若き軍人サラ
耳にかかるかかからないかほどの、年頃の女の子にしては短い赤い髪の毛を夕日に染めながら、サラの額には汗が光っていた。休みの日にも毎日欠かさず行う素振りに、その掌は固く、また、特に上腕から肩にかけての筋肉はやはり年頃の女の子とはかけ離れたものがあった。
「サラ、兄さんの家に届け物をしてちょうだい」
母のミーナに言われ、サラは素振りを止めた。「わかったわ」と額の汗を拭い、シャワーを浴びて家を出た。
三年前、突如母ミーナの兄であり、サラの叔父にあたるディオール・レバントに子どもができたと連絡があった。それまで浮いた話もなく、歳も40半ばの無骨で真面目一辺倒な叔父に子どもが。驚くミーナとともに叔父を訪ねると、確かに赤い髪の赤子がいた。赤い髪。レバント家には赤い髪のものが多い。現に、叔父もそうであったし、ミーナもサラもそうであった。普段から寡黙な叔父ではあるが、ミーナの矢継ぎ早な問に、答えに窮しているようだった。お手伝いさんのスーザンも困ったように右へ左へ。赤子の母親は誰なのか。いつどこで生まれたのか。そしてなにより、さらにおかしなことがあった。赤子を抱いている黒髪の男がいた。誰だ。ミーナとサラは、訝しげに男を見たが、男は苦笑いするばかりであった。叔父もまた、「新しく雇った執事だ」としか答えなかった。男は優しい笑顔を赤子に向けているが、どこか傷ついたような弱々しさが彼の影にあった。以来、サラはその男と赤子を見張るように、叔父の家に行くことが増えた。その度に、男は貼付けた小さな笑顔を浮かべ、小さくサラにお辞儀する。その笑顔が、その男にある影が、サラを苛立たせた。男の名前をセバスチャンと言い、赤毛の赤子はロゼといった。
叔父の家は、サラの家から歩いて15分ほどの距離のところにあった。海辺の小洒落た家だった。叔父の趣味と言うより、かい性のミーナが見立てた家だった。サラが白い扉をノックすると「サラ!」と赤毛の小さな女の子が元気良く扉から現れた。
「ロゼ、届け物よ」
サラは、母ミーナから渡された焼き菓子をロゼに渡した。
部屋の奥に男がいた。黒髪の、すらっと伸びた身長。
「サラさん、ありがとうございます」
と男、セバスチャンは涼やかな声で言った。人々は彼のことをセバス、と短くして呼んだ。
「こんにちわ、セバスさん。スーザンさんは?」
サラは、お手伝いのスーザンを目で探す。
「先ほど帰られたところで」
セバスの貼付けた笑顔は、表の見えない表情は、この三年間ずっと変わらない。
三年の月日はあっというまに過ぎた。赤子の成長は早く、最初は大将軍ディオール・レバントのもとに突如現れた赤子を訝しげに見ていた周囲も、そのかわいらしさとディオールの無骨さのギャップにか、すぐに微笑ましい視線を送るようになった。そして、周囲が謎の男セバスを受け入れるのも早かった。セバスが出歩くことはほとんどなかったが、その整った顔立ちとそのどことなく漂う影が色っぽさを際立たせ、叔父の周囲のものに小さな噂になっていた。サラの母親ミーナもまた、セバスは好青年だとあっさりと掌を返していた。ただ、やはりサラは、なんとなくいけ好かないなとセバスを見ていた。まず、正体がわからない。足しげく通っているサラでさえ、この男が何をしているのか、どういった経歴なのか、性格、趣味趣向、全く見えなかった。
「サラ、見てて!セバスが敵なんだ!ロゼはセバスをばったばった倒すの!」
とロゼはサラに嬉しそうに言った。おもちゃの剣を掲げ、セバスに向かっていく。
「ふっふっふ、私の前でそんな剣では倒せませんぞ」
とおどけたようにセバスはクッションを盾のように構える。ロゼは構わず、「やあ!」と可愛らしい声を上げ、セバスを切った。「うひゃあああ」とひょうきんな声を上げ、セバスが倒れる。「やった!やっ、あ」歓喜の声を上げるロゼは、その転がったクッションに足下を崩す。「ロゼ!」とサラが寄るよりも早く、セバスがロゼの体をさっと支えた。
セバスの、ロゼを見るその眼差し。
ロゼを見るその目は、一人の執事としての情を超えているように見えた。それはサラの知っている、父の目であり、母の目であった。その目の中にある意志を、気持ちを、感情を隠すように、再びセバスはおどけた声でピエロになる。
「ひひひひひ、私が仕掛けた罠にかかったな!」
「なにおう!」
とロゼは再び剣を振り上げると、セバスはやはり再び素っ頓狂な声を上げて倒れるのだった。
「ただいま」
と低くもよく通る声が玄関でした。ディオールが帰宅したのだ。
「パパ!」
ロゼが剣を放り出し、玄関へ向かう。ディオールのもとへ走っていくロゼの背中を、何かもの悲しげにも、しかし優しさと温かさを持ってセバスは見ている。
ディオールは、少し照れながら「お、おお、ロゼ」と抱きしめた。
ロゼがやって来て3年が経つが、叔父のいつまで経っても何か小さなぎこちなさを感じるロゼへの態度にサラはいつも違和感を覚える。単純に、40過ぎて初めての子ども、そういえば私が小さかったときも、叔父はぎこちなく緊張した感じがあったなと思い出す。そもそも叔父という人は、子どもが得意ではないのだろうとわかりやすい答えを出すと自身を納得させる。
「叔父さん、これ、ママから」
サラは、ミーナから託された紙袋をディオールに渡した。「ロゼももらったよ!」とロゼは先ほどサラからもらった焼き菓子をディオールに見せた。
「リーフ産の焼き菓子か」
ディオールは焼き菓子を見て言った。
サラが答える。
「袋にはリーフの特産品が色々入ってる。明日スーザンさんにでも作ってもらって」
「リーフ?」
ロゼが聴き慣れない言葉に反応する。サラが答える。
「砂漠の向こう、海の向こうにある大きな都市よ、ロゼ」
その間にも、セバスは夕食のためのお皿を並べている。
「セバスさん、私は今日は夕食遠慮しておくわ」
「なんで、サラもご飯一緒に食べよ!」
ロゼに言われると、サラも何とも言えなくなる。
「いいだろう、サラ。少し話もある」
と珍しくディオールから話があると言われ、「わかったわ」とサラもテーブルに座った。
夕食を終えると、ロゼはリビングで走り回っている。3年前は無機質で最低限の家具しか置いていなかった無駄に広いリビングも、小さな室内公園と化している。かちゃかちゃと、セバスが洗い物をする音がある。
「叔父さんが話って珍しいね」
サラは、少しの緊張を持って言った。大将軍ディオール・レバント。昨今の平和なプリランテにあって、その戦果は伝説ともなっている。30年前、野心強き南方諸国の進出を退け、また、島国ダマスケナに攻め入ろうとするハマナスをダマスケナの軍とともに打ち破った。時折現れるモンスターに対しても、ディオールの功績は郡を抜いていた。
サラもまた、若き軍人の一人であった。無骨で無口だけど優しい叔父さん。だが、仕事となればそれは偉大な大将軍が目の前にいるのだった。その安心と緊張が行き交う関係にあって、今日は緊張が強く高まっている。
「今回のリーフからの商船、勇者の一団も来ている」
勇者。プリランテではあまり聞かないことばだった。モンスターと、その奥にいるであろう魔王を専門に、戦う、研究することを目的としたルート王国にある職業だ。ただ、その統制は保たれておらず、何でも屋の荒い傭兵のようなイメージもある。
「大丈夫なの?目的は?」
「正式に勇者組合から派遣されている。今後モンスターとの戦闘を考えて、プリランテからリーフに直々に依頼した。モンスター研究に置いてはプリランテは一歩も二歩も遅れている」
昨今、ほとんど現れることのなかったモンスターの目撃情報が増えたのは確かだ。
「で、それで?」
「サラをその研修に推薦しておいた」
「ほ、本当!?」
若い一兵卒の私を。だが、喜び一転、サラに不安が生じる。
「でも、私はまたコネだと思われちゃうんじゃ」
ディオールは、優しい微笑みをサラに向け、言う。
「そういうやっかみを言う人たちもいるだろう。だが、サラの実力は世代でも抜きん出ている。見ている人はちゃんと見ている。それに、これからはモンスターとの戦いになってくる。周りの声は気にすることはない。学び、吸収し、獲得してほしい」
淡々と、だが力のこもった強い声でもあった。サラに、熱いものがこみ上げる。
「わかったわ、叔父さん。本当にありがとう」
「セバスも行く」
ディオールの言葉に、サラは驚き言葉を発しようとしたが、それよりも早く、皿洗いをしていたセバスが振り向き言う。
「わ、私もですか!?」
セバスの反応に、サラは初めて親近感が沸いた。いつもの仮面は消え、本当に驚いていた。
「ああ」
とやはり淡々とディオールは答える。
「な、なんでセバスさんも」
「そもそもリーフからの勇者団の派遣、セバスの話を聞いて私が打診した。それに、国内の若い世代ではセバスが一番モンスターに詳しいだろう」
とディオールはずずっとコーヒーを飲む。叔父は、無骨で優しいが、時折周囲を気にせず走り出すことがある。
「しかし、私が行ってもよろしいのでしょうか」
「大丈夫だ。周旋してある」
とディオールは少し欠けたコーヒーカップをことりと置いた。昔サラが誕生日にあげたコーヒーカップを10年以上使っている。
セバスは洗い物に戻る。かちゃりとお皿の音が小さくする。
サラは、改まってセバスを見た。過去に何があったかは知らないが、このなよっとした男が軍のものと混じって戦闘の教授を受ける。大丈夫だろうか。その背中に目が止まる。着やせするタイプなのだろうか、よく見るとごつりとした背中をしているなとサラは思った。
「さっきのお菓子、食べていい!?」
ロゼがひょっこり現れ、ディオールに訊ねた。
「う、うむ」
とディオールはぎこちなく頷いた。ロゼは喜々として先ほどサラからもらった焼き菓子の袋を開ける。
「ありがとう、サラ」
とにっこりと笑い、丁寧に焼き菓子を食べ始めた。
礼儀正しい子に育っているが、スーザンさんのおかげだろうか、と男二人をちらりと見た。




