霹靂
激しくなる雨脚に風も伴い窓ガラスが細動を起こす。教室の皆も徐々に異常に気づき始め、外を確認する仕草の回数が増した。
いよいよ本降りだぞと誰しもが思った瞬間、
閃光が教室を貫く。
どよめく室内。
瞬間、轟く。
下腹に響く衝撃。
芯がゆれる。
ゆれる。
つんざく高音。
金切り声。
耐えるガラス。
瞬間閑静を超え、生徒があたりを見渡す。360°の視界を展開して各々顔を見合いそして噴き出す。
「びっくりした。すごかった。まだ震えてやがる。怖い。こんなの初めて。お腹痛い。笑えてくるぜ。大丈夫?ああ。おおう。またくるぜ。やめてよもぅ。次きたら打ち負かすぐらいに叫んでやろうぜ。いいね。やったろう。やったろう。ははは」
悲鳴が上がる。
佐々木のものだった。
視線が集まる。
原因が一目瞭然だった。
昂が倒れていたのだ。
床のタイルを鮮やかな朱色に染めて。
全員の困惑の溜息と、せき止められた息の音が漏れ出す。委員長が叫ぶ。
「きゅ、救急車ッ」―――――――
ここはどこだ。
何があった。
確か授業を受けていた。あまりにも辛いから外を眺めていた。雨脚が強くて、雷も盛んだった。
そしたら視界が白くなって、、、
あれ、まだ白いまんまだ。
けど、さっきと違う。明らかに違う。
貫くような白じゃない。
まるで天女の羽衣のような優しい淡白。
流れがある。
向こうからだ。
向こうから流れが来てる。
行こう。
昂は手を横に大きくかいてこの羽衣の中を泳いだ。瑪瑙に琥珀が混ざった色が向こうから流れ込んできた。
もっと泳ぐ。
すぐそこに琥珀を背負った淡い昂と同じ位の背の人影が見えた。昂は尋ねる。
「だれ」
「ボクは御使い」
「だれの」
「分からない」
「ふざけているのか」
「いいや」
「じゃあなんだって言うんだ」
「次元そのものなんだ。いくら御使いといえども次元は支配できない。だからボクには認識できない。概念といえばいいかな。有無のどちらでもあるもの。それがボクの主さ」
「その御使いが俺をここに連れたのか」
「そうゆうことさ」
「そのよく分からないのが俺に何をしろっていうんだ」
「それは君が決める」
「そろそろ訳分からないぞ。こんな大層なトコ呼んどいて何も無しなわけが無いだろう」
「君はこれから選択を強いられる。ボクはそのきっかけを与えるために君をここに呼んだんだ」
「きっかけって。なんだよそれ」
「すぐにわかる。さぁ、そろそろ時間だ。」
徐々に影から引き離されていく。
「これから君にはあらゆる災厄が降りかかる事だろう。その中で自分の答えを導いて欲しい。使い方は君に委ねる。もう1人の方はもうコツをある程度掴んだようだから警戒してね」
「待ってくれ!」
羽衣が黒ずんできた。
「キミは一体」
「ボクの名はエイリ。それだけだ。君に託すよ。世界の運命をね」
視界が漆黒に包まれ光が遠のいていく。
目の前が完全に無くなった時、昂は醒めた。
いつの間にかまぶたの裏側を見つめていたようだった。
どこか懐かしい清潔感のある白灰色の天井。その天井に吊る白色の棒にカーテンがかかっていた。向こう側が見えない不透明なスカイブルー。
感覚が戻ってきて身体が横たわっていることに気づいた昂は、上半身を重く起こした。やはり病院のようだった。
傍らに涙を流し顔を歪めた母親と、起き上がる自分の姿を見て鳩が豆鉄砲を食らったかのような様子の医師がいた事に気づいた。母はその場で泣き崩れおいおいと嗚咽した。
「ありえない」
医師が思わず口にしてしまった自分の言葉にしまったと驚いて慌てて口を右手で覆う。が、すぐに気を取り直し昂に話しかけた。
「どんな気分だい」
「長い夢から醒めた気分です」
「自分が誰だか分かるかい」
「分かります」
医師は手鏡を昂に見せた。
「これは誰だい」
「僕です。あの、僕はどうなったんですか。確か学校で英語の授業を受けてて、それで·····」
「記憶も体調も自己認識も問題無しか」
医師がさも不思議なように言ったので昂は再び尋ねた。
「あの、僕は」
「あなた一回死んだのよ。」
さっきまで泣いていた母がいつの間にか戻って、ハンカチで鼻と口を覆いながら実に腑に落ちない事を言い出した。
「え?死んだって」
「昂くん。落ち着いて聞いてくれ。これから話すことは全て正真正銘の事実だ」
と、医師は戸惑いを隠せない様子で真実を話した。主な内容はこうだった。
昂は教室に閃光が放たれたとほぼ同時に倒れた。
その時、床は血で濡れていたのでその場に居合わせた生徒達が救急車を呼んだ。
意識がなく、身体も全く動かないのですぐに緊急治療室に運び込まれた。先程の医師が主治医であった。
出血は頭部から発生していて調べてみると頭頂部に半径1cmほどの美しい円形の穴がポッカリ空いていた。
更に調べてみると穴は深く、脳幹又は視床下部の深さまで到達していた。本来、人体に銃弾などが当たった際、弾は骨とぶつかり反射してあらゆる内蔵に穴を空けるのだが、今回は見事に脳幹の深さで留まっていた。
この時点で昂の死亡は確定していた。
医師は穴の奥底にエメラルドのような玉を見つけ、それを摘出し、止血し傷口を縫合した。駆けつけていた母に死亡の報告をしようと緊急治療室から退室しようとしたその時、助手が医師を呼び止めた。
どうやら脈がまだあり、微かだが手を握る動作をしているとのことだった。
医師はにわかに信じられなかった。
脳幹や視床下部の破壊は自律神経その他生命活動の停止即ち死そのものであるため、脈がまだあるのはありえないのだ。
しかし確かに心電図は示していた。しかも心拍数約60、ほぼ安静状態の数値を示しており乱れもないので不整脈でもなかった。
医師は困惑し動揺したが信用せざるを得ないので、オペを終了し、母に状況を伝え病室に運んだ。
運び込まれて30分もしないうちに昂は目覚めた。
昂は呆然と正面に向いて遠くを眺め、静止した。医師は俯き、自分でも訳の分からなかった話をしてしまった昂を気に病んだ。母はまた泣き始める。
静かに時が進んで、医師が尋ねる。
「君に見せたいものがあるんだ。いいかい」
昂はほぼ思考せず頷いた。目の前に中に美しい光沢のあるどこか引力のあるエメラルドグリーンの玉が入ったシャーレが持ち込まれた。
「君の頭から出てきたものだ。おそらくこれが元凶だ。エメラルドの様だがどうも違う物質のようなのだ。これからこれを鑑定して正体を判明させる。その時は君に伝えるよ」
と言って医師は助手にシャーレを渡した。
その後、昂は精密検査を受け異常がないと診断されたが、万が一の為に1週間の入院が決まった。
その間昂はエイリと名乗った眩い影の発言について考察した。
果たしてあれが現実なのか幻覚なのか、もし現実ならあれはなんなのだ、きっかけとはなんだ、もう1人いるのか、次元が違うとはなんだ、思考にふけっては食べて寝ての入院生活であった。
やがて1週間経ち退院する時になった。お世話になった看護婦や医師に挨拶し、出迎えた母の車に乗って病院を後にした。
看板が見えたので思い出した。
篠原総合病院。篠原はここら一帯の地名を指す。
昂は2歳のころタンスに誤って指を挟んでしまいここに母の運転する車で送り込まれたことがある。その時の障害で昂の右手の人差し指の先端が少し変形してしまった。ただ、よく見れば変形している事に気づくくらいの違いであった為、日常生活に支障は無かった。
昂は2歳の自分の愚かでいじらしい事故を思い出し、右の人差し指をじっと見た。少し疼く指を左手で血を止めるように固く握った時、母が話し始めた。
「本当に良かったよ。お母さんダメかと思ったよ」
バックミラー越しにこちらを見つめた。昂は目を逸らした。
「頼むからもうお世話にならないでおくれよ」
16年前も同じ事を言われた気がする。昂は黙ったまんまだ。
「明日の朝はお父さん帰ってくるからしゃんとしな」
父は単身赴任で北海道へと渡っていた。
久々の父親だが特に何も思わなかった。
父との関係は良くも悪くも、いや血の繋がり以上の関係があるのかどうかが疑わしかった。何かと家に居ない時が多く、帰ってきても互いに一言、二言程度の挨拶で済ませていた。
公園へ一緒に遊びに行ったこともなく、幼い昂のことは母に任せっきりである。
母はそんな様子の父には何も言わないでいた。黙って母親としての責務を全うしてくれた。今どき珍しいえせ亭主関白家庭であった。
照りつける夕陽が眩しくて、その向こうに小さい頃の残滓が目に映りそうだったのでたまらなくて車窓から直線で構成された景色を眺めた。
がたがたと車の振動に身を任せ深い紺色とそれに侵食していく6,000℃の融鉄の空にしばらく見蕩れた。
自宅に着き、夕飯を食べ、風呂に入り、1週間の思考の迷走が効いたのか直ぐに死ぬように眠りについた。
その頃、篠原総合病院ではある連絡が入った。
それは例の玉が送られた鑑定機関からであり、玉が消失したとの報告だった。
エル・ロイ
もし願はくは
エル・ロイ
お声を頂戴
エル・ロイ
何故お前は
エル・ロイ
何故人は
エル・ロイ
木の実を食べるのか
嗚呼
エル・ロイ
熱があるようだ
なぁ
エル・ロイ
交換しよう
エル・ロイ
我が血と
我が霊をもって
この悪しき身体に
福音をもたらし給う
叶わぬか
ならもういい