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日向と星へ  作者: 色傘そめる
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「シフトチェンジ」



「一つだけ、お願いがあります」

 その一言が予想外で、男は思わず足を止めた。

 閑静な住宅街を抜けた先にある、空き地と建設中のまま放置されているビルに挟まれた道路。辺りに人気は無い。この一言は紛れも無く、少女の背後に立つ男へ向けられたものだ。男は、壁にもたれかかった少女に気づかれることなく接近したと自負している。男のくたびれたスーツから伸びる影すら、少女の視界に入ってはいない。気配を殺した男の接近に、少女が気が付いた様子も無かった。事を起こす直前、何の前触れも無く放たれた言葉は男にとって凶弾に等しい。

 目の前の少女が異能者であることは知っていた。そして、異能者としての戦闘経験が皆無である事も。ほとんど素人と言って構わない人間の意識を奪うことなど、元征伐自衛隊である自分には容易かったはずだ。

 現に少女を監視していた学生部隊の人間は、一瞬の後に意識を奪うことに成功している。心拍数が激変すると信号を送る装置を心臓に埋め込まれているはずなので、殺しはしていなかった。定期連絡が無いことで、少女の身に異変が起きたことが明るみに出るのは時間の問題だが。

 元自衛隊の男が、学生部隊の、それも小等部とも見える少女に虚を突かれた。異能者の外見や経歴は当てに出来ない。十数年戦いに身を置いた男は警戒し、少女が動く前に速やかに対象を誘拐するという目的を優先。

「アナタがどうしてこんな事するのかは、分かりません。知らなくちゃいけない事なのかもしれませんけど、今の私には分かりません」

 だが、理性や理論から外れた場所にある、黒い穴から少女の声を聞けという感情が脳に刺さる。男は少女に、抗い難い歪んだ渦を見た。

 これまでの情報と照らし合わせれば、この異物を押し付けるような感情は恐らく少女から放たれるものだろう。

 頭を締め付ける甘い痛みに、視界がぼやける。

 遠い空から刺す日は薄く、ぼやけた明るさしか届けない。木枯らしにかき消されそうな小さな声で、学生部隊の制服に身を包んだ少女が続けた。

「だけど、やめて下さい。近づかないで、下さい」

 星名ほのかが、振り返る。その様子は奇異だった。男が星名を発見した時には平常だったはずだ。監視者を眠らせるため目を離してはいたが、さほど時間は経っていない。だが今は、目が落ち窪み隈が出来ている。額の汗で髪が張り付き、腹部に手を添え痛みを堪えているように見える。先ほどから壁にもたれかかり、立っている事さえやっと、と言った印象だ。

「お話なら、聞きます。ちゃんと、招いて頂いて、帰してもらえると、約束できるなら」

 男の癖なのか、顎に伸びた無精髭を撫で、黙考する。

 この数秒で何が起きたか男は知る事が叶わないだろうと割り切り、少女へ近づいた。

 先ほどから感じる不快な囁き。少女の声を聞け、という意識も握り潰す。

「なるほどな。この意識の強制力が君の能力という訳だ。この程度ならば律することも可能だが、俺の意識から自分の『力場』を逸らしていたことは賞賛に値する」

 星名が『力場』を展開していることに、男は気が付いていなかった。異能者なら誰しも気が付く『力場』の気配。それを星名は、男が知覚出来ているにも関わらず強制的に意識から外したのだろう。能力を発動させるには、『力場』の展開から異核兵装の実体化が必須。故に、男は星名の『力場』から意識を外され、警戒すべき段階を間違えたまま声を聞けと強制してくる異能の追撃に無防備を晒した。

 男の経験上、恐らく異核兵装はペンダント等のアクセサリー型か遠距離設置型。どちらも剣や槍と言った、媒介を対象の体に通す異核兵装よりも威力が落ちる。

 あまりに強く認識したことなら、見えなくすることは不可能。現に星名は、自分の姿を男の意識から外せていない。

 命令は無力化出来ないが、拘束ごと持ち上げて行動することは可能。学生部隊や能力に目覚めて間もない人間なら、無理をして精神が焼き切れる恐れもある。だが、物理的媒介無しで自分の精神を焼ける威力を兼ね備えた多重、多様な命令を放てる能力者を、男は経験上または歴史上知らない。その例外が、目前の少女である可能性が高い。だからこそ、男は少女へコンタクトを取った。

「情報が正しいとしたら、これしきの規模じゃ無いんだろ。話なら聞く? 馬鹿を言っちゃいけない。君は、動いていて良い類の人間じゃない」

 星名が逃げるために壁から離れ、数歩よろめき、膝を畳み座り込んだ。

「お、腹。お腹が……あ、あ、あ、お腹」

 苦しむ星名にかける情けは無い。これまで、二度も攻撃を受けたのだ。それが例え、拒絶と逃げる手段だったとしても、男は既に星名ほのかを人として見てはいない。

 元より標的として接近している。速やかに目的を完遂するのみだ。

「あぁ、お腹……お腹、減ったぁ」

 あまりにも場違いな言葉に、拍子抜けしそうになるが頭を振り気を持ち直す。もしかすれば、これが星名の戦法かと疑う。最初の一言で虚を突き、一瞬気が緩んだ隙に能力を流し込み意識の連結を破壊する。ともすれば、男は既に攻撃されているかもしれない。次に襲ってくる強制力を撥ね退けるため、精神を研ぎ澄ます。

 そして、賢明な判断の結果、男は死を免れた。

「ねぇ……」

 低く星名が呟き、振り返る。


「食べて、良ぃ?」


 頭蓋を象る開かれた眼窩。扱けた頬に奈落の影を纏う髑髏の少女が其処に居る。据えられた瞳が宝石のように光沢を放ち、量感のある唇が波打ち、奇態な艶めかしさを醸し出していた。そうである事が正しいように、少女に全てが惹きつけられる。

(跪きワタシヲ千切る犬歯、突き破り汁が、早く、確かに、大事な部位散らされ潰し、唇ざらつく舌の上這う、租借呑み込み温か請う、喉へ、胃の腑へ、排他吐いた歯痛、懇願、欲求、幸福、愛憎、嫉妬、居るべき向かえすぐどうか今入れて流してアナタ)

 暴力的な衝動が二人の関係性を食虫植物と捕食される虫に連動させる。

 奥歯を砕く勢いで食いしばり意識を繋げ、急ぎ星名の首筋を手刀で打ち抜く。首が折れようとも構わない。少女をこの場から除去する。

 揺れる星名の体。汗が額から流れる。恐怖から手応えすら不確か。手刀の勢いで二歩ほど飛ばされ倒れた星名。忘れていた呼吸を再開するため、荒い息を一つ吐いた。

 星名の言葉とともに男の意識を絡め取った力は、先ほどまで男を襲っていたものの比ではない。一瞬でも判断が遅れていたら"溶かされていた"という確信が男にはある。

「耐えることが可能な規模だったが、守るべき場所を間違えば無意味なわけか」

 威力の他に、星名は自身の能力で罠を張っていたのだろう。

 外から襲い掛かってくるものだと男は構えていたが、そうではない。先ほどの攻撃で星名の能力の概要を男は理解するに至る。星名の能力は意識の内側から強制力を発生させ、男の意識に自発を形成するものだった。枷を嵌められていたのではなく、己こそを敵にさせられた。相手からの外圧で精神を歪められる、という認識では駄目だ。自分の中に芽生えたものを、速やかに摘み取らなくてはならない。

 強制と言う単語から、襲い掛かるという言葉を強く結び付けていた。いや、結び付けられていた。星名の感情を押し付けられていると疑った時、男は自分の中にある違和感を一切疑っていなかった。己の感情を疑う事さえ出来れば、そこから理論を構築し防衛する事も可能だった。だが星名は、望まされる能力を、与えられる能力に隠蔽した。

「違和感を潰されたのは、恐らく最初からか。能力を練り上げ、蓄積した力を使うために」

 『力場』から意識を外した命令と、声を聞けという命令は、どこに強制力があるか分かっており、また威力を抑えた攻撃だったため容易に耐える事が来た。だが、別の箇所に意識が集中した状態で急所を狙われていたとしたら。

 星名はこの短時間で、相手の意識から己の『力場』を外し、違和感を自分に向けさせ、男を破壊する力を溜め、声を聞けという命令を発生させた。能力者の負担は相当だっただろう。

「具合が悪くなって当然だ。まさか、何故体調が悪いかと言う違和感も潰していたのか? 恐れ入る。君の強制、いや矯正する能力は、確かに脅威だ」

 息をする星名を確認し、男は安堵する。殺害する勢いの攻撃は、星名の精神攻撃により精度を欠いていたようだ。

 意識を失った星名を担ぎ、その体の柔らかさに足元がおぼつか無くなる。背筋を走る快感にも似た怖気に、依然として男は捕らわれていた。

「ベラドンナ以上に気色の悪いモノは、初めて見るよ」



■    ■    ■



 流行歌のサビがポケットから流れ、携帯電話を取り出した巳荻百花は通話ボタンを押した。

「そっちの状況はどうなってるの? 牧野町にもう検問は敷いてあるの?」

 携帯越しに話しかける巳荻の声には、焦燥感が滲んでいる。苛立たしげな口調に、電話越しの城之崎大地は無機質に応答した。

『さあ、知らんな。俺には俺の仕事がある。それに、十分ほど前にも言ったが、休暇中のお前には関係の無いことだ』

 空港へと続くモノレールは、連休という事もあり利用者が多い。駅の出口では、空港を目指した人の波が出来ている。家族連れ、春休みに入った大学生の集団、町内の寄り合い会で集った老人達は大きなカバンを抱え、空を切り裂く噴流の音に一喜一憂している。対照的に、旅慣れた荷物の少ない利用者やスーツ姿の男女は急ぎ足で空港へ向かっていた。

 空港を目指す人々は、これからの旅路に様々な思いを馳せている、はずだった。

「関係ないとか言うくらいだったら、城之崎はなんで私に教えたわけ? ほのかが攫われたって」

 星名ほのかが誘拐された。その報を聞いた巳荻は即座に動き出し、空港へと向かった。

 立地関係のため、直結されていないモノレールと空港の隙間。駅の出口に佇む巳荻からは『力場』の気配が滲み出ていた。

『何か情報を持っていないものかと思って、駄目元で連絡を取った。それより、確認したい事がある。さっきも言っていたが、本当にお前は空港の前に居るのか?』

「ええ、さっき着いたばかりだけど」

『なぜ空港を目指した?』

「何でって、牧野町はあんた達が居るでしょ。そっちに加わってもいいけど、空港の方が近かったし。私一人でも、こっちを押さえる事が出来たらって」

 言葉の端を鋭角に発音していた。星名ほのかが誘拐されたことにより、気が急いているのだろうか。それとも、電話口の相手が相手だからだろうか。

 先ほどから、駅の出口は張り詰めた空気に包まれ、空港へと流れていく人々が恐れを隠せないでいた。その発端は、学生部隊の少女から放たれている。『力場』を展開している巳荻が持つ殺気が、辺りを埋め尽くしていた。異能者やクリーチャーでもない一般人にとっては、触れただけで毒になる。原因不明の恐怖感から逃れる人の波は、足早に空港を目指し始めた。

『人を攫っておいて空輸だと? 本気で思っているのか。それに策的能力も無いお前に一体何が出来るんだ』

「いちいち五月蝿いわね。予防線よ。現にそっちも空港はノーマークでしょ。私一人が動いて、どうにかなる様な事じゃないのは分かってるけど何もしないで待っていたくないの」

 また一段と殺気が濃くなる。脅える人々はしかし、恐怖感の発生場所を特定出来ずに巳荻を避けることすら出来ていない。

『そうか、ならばそこに居ろ。しかし、何か状況が変わり次第お前の休暇を貰うぞ。すぐ動けるようにしておけ』

「構わないわ」

 しかし、城之崎から連絡があるのは珍しい。状況が状況だけに本当に何か情報を知りたかったのかもしれないが、それにしても休暇中と知っている巳荻にわざわざ連絡を取るような男だっただろうか。今まで挨拶程度はしていたし仲間としての連帯感もあったが、彼のグループとの交流はほぼ無かった。だが、ここ最近では星名と遊びに行くときなど数度、どこへ行くか、どんな所へ行ってきたなど、城之崎はしつこいくらいに聞いてきていた。

「それより、今回の件。ベラドンナって奴が絡んでると思う?」

『十中八九奴だろうな。何故二ヶ月も期間を空けたのかは分からんが、まんまと星名からお前が目を離した隙に攫われたわけだ。おっと、星名を見張っていたことは、お前だけの秘密だったか? 仄草教諭の指示も無いわけだからな。動機は何だ? 友人のよしみと言う奴か? 違うな。お前は最初から、星名を目の届く場所に置くために近づいた。そうだろう? だが、何もやましい事はない。星名の危険性を、未知の部分を含めて正しく認識していた部分は、日和見の教諭共よりは評価に値する。俺の憶測でしかないがな。しかし、今回の件で少々見方が変わったかもしれん。一人で動くことに限界があることは分かりきっていたはずだ。なのに、お前はあれほど星名にべったりだった日向に釘を刺さなかった。お前がしっかり見張っていろとな。日向のことだ、監視者が居るなら、先生が言うのなら問題は無い、とでも決め付けていたのだろう。まったく、使えないにも程がある。自分にとって面倒な事は誰かがやるだろうと思い込み、甘い汁だけ啜る愚図でしかない。今回はそのツケを払う羽目になるだろう。それは、お前も分かっていたはずだ。だが、お前は日向に対して何もしなかった。これは何だ? まさか星名に対する……ただの嫉妬か?』

「普段ダンマリの癖に、ゴシップ感覚だと良く舌が回るのね。慣れない事して絡まる前に切り落としてあげようか? 言っとくけど、ほのかの危険性を正しく認識せず何もしてこなかったアンタより、ほのかの傍に居てあげた日向の方が何倍もマシよ」

 眉間に集った皺が、より深くなる。携帯電話を握り潰していないのが不思議なほどだ。

『なるほど、お前の言うとおり日向が自然に星名の傍に居る方が勝手がいいな。奴の事だ、見張っていろと言われたら、言葉通り星名の監視を始めるだろう。日向は思ったことが顔に出やすい。ボロを出して星名を不安がらせるのがオチだな』

「あのさ、日向のこと考えるだけで興奮するアンタの話なんて聞きたくないの。気持ち悪いだけだから。余計なこと言わないでくれる。いっつも思うんだけどさ、聞いてて気分が悪いの。わざわざ波風立てて、一体何のつもりよ」

 なぜ、こうも拒絶を続けるのだろうか。日向と城之崎の間に起こったことは理解している。だが、巳荻は考えずには居られない。折角、一緒の学生部隊として生きているのだ。楽しい事が続いた方が良いに決まっている。

 済んでしまったことは、仕方の無い事と割り切れない事も知っている。先ほども城之崎の挑発に乗ってしまった。でも、何故嫌いなのか、何処が嫌いなのか、決定的に負の境界線へ貶めるものを究明し、話がしたい。何も解決策は無いかもしれない。けれど、好きにならなくても良い。嫌わない程度の落とし所なら、見つけることは出来るのではないだろうかと。

 共に苦を味わってきた者同士と、いがみ合うだけなんて寂しいと。

『それは悪かったな。では、余計でない事でも話そうか。お前にとってはどうかは知らんがな。ベラドンナの戦闘力は未知数な部分もあるが、日向の話を聞く限り、征軍の第一線と遜色は無い。つまりお前や俺と同等の力量だ。星名を抱えているベラドンナ一人なら、お前にも勝ち目はあるだろう。だから言っておく。分かっていると思うが、万が一戦闘になっても殺すなよ』

「私に勝ち目がある? 何言ってんの、時間稼ぎがいいとこじゃない」

『なんだ、お前は自分が弱いと思っているのか? だとしたら、それは単なる嫌味だ』

「そうじゃなくて、実際その目で見たアンタが忘れたの? その女は……」

 思わず言葉を失った。巳荻にしてみれば、この空港前で対象を待つことなど時間の浪費でしかないと考えていた。戦闘能力に特化した自身の役割は、今回の誘拐犯探しに向いていない。だからこそ、休暇を投げ捨て城之崎たちとの合流を選ぶより、逃走ルートに選ばれる確率の低い場所を押さえるためだけに向かった。この空港前の駅へ来たのはただの思いつきでしかなかった。星名から目を離した失態を、慰めるだけの行為でしかないはずだった。

『おい、どうした?』

「ゴメン、切るわね。……その、万が一ってのが来たから。ほのかのこと教えてくれてアリガトね。じゃ、後のこと宜しく。さよなら」

『何? おい、まさか。待て、巳荻!』

 城之崎の声には応えず通話を切り、ごく自然な動作で携帯を仕舞う。それまで人ごみの中を立ち尽くしていた巳荻だが、ゆっくりと歩き出した。ホームにモノレールが着いたのか、先程よりも多い人並みが空港へと向かう。振る舞いは普段通りの、どこにでもいる女子高生。だが、あふれ出る殺気を抑えようともせず、脅える人々を意に介さず前進する。

 数メートル歩いた先、スカートのポケットに入れた手が俊敏に動き、強引に通り過ぎた女性の肩を掴んだ。

「ちょっと伺いたい事があるんですけど、いいですか?」

 顔だけで振り返ると、そこにはベレー帽を被り、黒のコートに身を包んだ女性がいた。帽子から伸びる金髪は染めすぎたのだろうか、ごわついて少々みすぼらしい。

 通り過ぎたときに顔は見た。女性は周囲の人と同様に、巳荻が放つ殺気を得体の知れない恐怖として認識していた。

「どんなご用件でしょうか?」

 しかし、急に呼び止められたにも関わらず女性は振り返らず返した。先ほどまで散漫と放たれていた巳荻の殺気が一点に、目前の女性に集中する。通り過ぎる人々は恐怖感の発生場所を特定できたため、徐々に巳荻と女性を避け始めた。人ごみの中、開けた空間に立つ巳荻と肩を掴まれた女性。得体の知れない恐怖から逃げ延びた人々は、遠巻きに二人を眺めている。

 掴んだ肩を食い込ませるほど指に力を込め、たっぷりと息を吸い込み、問いかける。

「旅行ですか? 随分大きなスーツケースですね。小柄な人、一人くらいなら入りそう」

「ええ、ちょっと海外のほうに」

 今にも暴発を予兆させる濃密な殺気をその身に受けて尚、女性は穏やかに返答する。

「そうですか。……ところでアンタ、髪の毛オレンジ色の異能者知らない?」

 一瞬にして女性は振り返り様に刃物を翻した。応戦、異核兵装実体化。擦れ合う二刀の刃。動脈を狙った巳荻の刃はかわされ、女性の耳から伸びるイヤフォンを切断した。

 女性は一足飛びで距離を開け、二人はにらみ合う。突如、何もない場所から獲物を取り出した二人の攻防に周囲の人々は動揺し、彼女らが異能者であることを理解した人は我先にと逃げ始めた。

 巳荻が実体化した異核兵装は刀。刃渡り七十五センチ。反りが浅く、緩やかに造形された曲線と、波打つ丁子を主体とした刃文。刃の持つ硬質さの中に、流水のような透明感と飛沫の荒涼を閉じている。

 一方女性は片手にスーツケースのハンドル、もう一方の手にレイピアを握っていた。

「ああ、そのオレンジの異能者って、多分私のことね。今は染めているの。変装してみたのよ。似合ってるでしょ?」

「逆に目立ってどうすんの? そんなのどうでもいいんだけど。で、アンタがベラドンナってわけ?」

「正解。でも、どうしてばれたのかしら。不可解だわ」

 言葉とは逆に、興味の欠片もない瞳がサングラス越しから覗いている。

「私の殺気に脅えた振りしても、アタシ異能があるから平気です、って顔に書いてあったわ。まさか、こんな手で本当に当たりを引くとは思わなかったけど」

 無機質さを感じさせていたベラドンナが破顔する。当然ベラドンナも、見抜かれるような"ぎこちなさ"を前面に出した覚えなど無いのだろう。しかし、実際に彼女を捕まえた巳荻の嗅覚に感嘆を隠せないでいる。

「ほのかは、その中ね」

 ベラドンナの持つスーツケースを見ながら確認を促す。荷物のように運ばれる友人に、憤りを隠すことが出来ない。隠すつもりも無い。

「さあ、どうかしら。本当に、この中に星名ほのかが居るのかしら? なんて、私を捕まえたアナタを誤魔化してもしょうがないわよね。正解。星名ほのかは、この中でお休みよ。あらあら、カバンに釘付けじゃない。もしかして、星名ほのかを奪って逃げようだなんて考えてない? そうでしょ。いけない子だわ。私を倒したら、星名ほのかを譲ろうと考えていたのに。もし、星名ほのかと逃げ出すなんて真似したら、このあたりの人間の首をお土産に私も帰っちゃうわよ? 景品は友人、ペナルティは他人。どう? 楽しそうでしょ。だから、さっさと始めましょうか」

 宣言した後、ベラドンナはスーツケースを蹴飛ばし、レイピアを構えた。人ごみの手前まで、スーツケースが転がっていく。

 瞬間、刃で斬り付けた。

 レイピアで刀を去なしたベラドンナは三歩後ずさる。

「はわわ……危ない危ない。あら嫌だわ、四十手前のおばちゃんには、ちょっと過激ね」

 先ほどの、城之崎と会話していた時とは違う、本当の怒りがふくれ上がる。

「下衆なババアは、さっさとくたばりなさい」

 踏み込み右薙ぎの一刀。ベラドンナが手首を返し、刀の峰にレイピアを当て、回り込むように上方向に勢いを削がれる。刀を戻し刺突。体を傾け避けられる。レイピアを持つ腕が後ろへ流れ、ベラドンナの左手が巳荻を掴むため迫り来る。

「考える事、一緒ね」

 ベラドンナの手首を掴み取り、顔を振りあげ鼻頭へ額を衝突させた。

 手首を払ったベラドンナは後ずさり、ひしゃげたサングラスを捨てながら痛みに顔を振る。

「酷い。というか、女の子が頭突きなんてしちゃいけません」

「ババアが"はわわ"なんて言っちゃいけませ、んッ!」

 左切り上げ。これも峰を絡め取られ、レイピアに回り込まれ、勢いを上方向へ削がれる。瞬前、レイピアの流れに逆らわず刀を浮かし、腕の力のみで左薙ぎ。バックステップで回避され、刀がベラドンナの腕を掠めた。

「頭突きは酷かったけど、ひとつだけ分かった事があるの。良い臭いよね、アナタ」

 言い終わる前に突きを放った。

「ひゃん! って言っちゃ駄目?」

 茶目っ気たっぷりに壮絶な回避運動。

「いちいち……今日は本当、五月蝿い連中ばっかり」

「冗談よ。でも、本当にひとつ分かったことがあるの」ベラドンナが嗤う。「アナタ、一人でここに居たのね」

 探られていた。スーツケースに近寄る人間が居ないことを。

 歯牙にかけるほどの存在では無いと巳荻は認識されているのだろうか。誰何も無く、戦闘中も飄々と周囲に意識を飛ばしていた。速度も、先読みにも自信が無ければ出来ない芸当だろう。

 ベラドンナがレイピアを構える。先ほどまでとは重圧感が違う。長引けば征伐自衛隊が動き、不利になるのは明白。巳荻が一人のうちに、一気に勝負を付けるつもりなのだろう。冷たく光る切っ先が、今にも喉元を貫かんばかりに揺れている。

 ベラドンナが踏み込む。予想通り、喉への突き。刀を上げた瞬間、鞭を振り下ろすが如くレイピアが足元を狙う。

「分かりやすかったかしらん」

 フェイントも予測済み。刀で防ぎ、胸元へ刺突。レイピアの腹を当てられ軌道を逸らされる。擦れ合う刃。レイピアを左外へ弾く様に薙ぐ。ベラドンナの腕が回り、突きが帰る。右へステップ、返す刀で逆袈。潜られ、胴への突きが襲う。バックステップで回避。追いかけるレイピアは巳荻の顔へ、一撃、二撃。上体を逸らし回避、風圧が頬を撫で、三撃、刀の腹で切っ先を受け止める。

 横へ弾き、首元へ刀を振るう。ベラドンナは突きの勢いで進む体を、踏み込で停止させる。紙一重で届かない斬撃。カウンターの突きが襲い掛かる。巳荻は後方へ宙返り、中空で体を捻り斬撃を放つ。腕を狙うが外され、側面を向き着地。眼球の寸前に切っ先。

「クッ!」

 全身のバネを使い回避し、ベラドンナの伸びた腕に反撃の刀を振るうが掠めただけ。血だけは派手に飛ぶ。

「焦りすぎね。着地を狙って攻撃が来るのは分かりきってるから、カウンターで腕を落とそうだなんて。あとアナタ、コンパクトに戦っているつもりでしょうけれど、ちょっと大振りよね。クリーチャー慣れしすぎなのよ」

 城之崎の助言通り、ベラドンナは征軍の第一線と遜色ない身体能力を持っている。学生部隊の中では、頭一つ抜けている城之崎や巳荻とスペック的に見れば同格だ。

 踏んできた場数が桁違いというだけで、固く編みこまれた縄を力任せに千切ろうとするような戦いを強いられている。

「私の能力はお友達から聞いているでしょ? あ、アナタ学生部隊よね? その肌の艶で三十路ですとか言った日には、ホンキデコロス」

「ええ、学生部隊で友達から聞いてる。それより、アンタこそ本当に四十手前なの? 若作りしすぎよ」

 日向から聞いた話では、二度レイピアが頬を掠めただけで動きが取れなくなったと言う。相手の持つ毒は即効性が高く、一撃すら貰ってはいけない。相手の能力を意識しすぎだが、本来のクリーチャーを討伐するための戦闘スタイルでは小回りの効くレイピアの動きに付いていけない。

「美容の秘訣? 野菜ジュースのおかげだわ!! アナタも飲みなさい、野菜ジュース! アレは良い物よ。どういった効能があるのかは定かではないのだけれど、私の美容を保っているのは、野菜のパワーがあるからと言っても過言ではないの!! 嫌いだからあんまり飲んでないけど!!」

「効能は定かだし、飲んでないなら人間の言葉を喋らないで」

「後半ちょっと飛躍したけど、律儀ねアナタ。前髪もパッツンだし」

「関係ないから前髪」

「まあいいわ。それより、次のステップに進んでみましょうか」

 ベラドンナが低い姿勢から突きを放つ。体を捻り、射線をずらして反撃。刀はベラドンナの胸元に吸い込まれる、寸前、レイピアの壁が遮った。

 刀をずらされ、レイピアが襲いかかり後方へ飛び距離を取る。ベラドンナの腕が、追撃のレイピアを振るうため鞭のように撓る。存分に伸縮運動を使った突きが放たれ、防ぐために刀を構える。だが、急遽レイピアは方向を変え、弧を描くように軌道が逸れ、横薙ぎの一撃が襲う。

 避けることは出来ない。刀で防御。レイピアは刀に当たり滑るように軌道を変えるが、突きが襲ってくるであろうタイミングをことごとく外していく。

 結局、レイピアの斬り上げが襲ってくるが、突きを無意識に想定していた巳荻は対処にワンテンポ遅れる。刀で防ぎ、反撃を試みるが、鋭い刺突に虚を衝かれる。

「この……!」

 変則的かつ縦横無尽に振り回される鋼の軌道が、出鱈目な箱を作るよう方位を狭める。跳躍し距離を取るが、ベラドンナの滑るような歩行に、剣の結界へミリ単位で絡め取られてゆく。

 振り下ろす斬撃はレイピアに防がれる。正面から衝突する二筋の軌道。しかし、威力の最大点を絶妙に外される。

 ベラドンナは戦闘方針を変更した。突き以外の攻撃方法で切り結んできている。一瞬裏をかかれ、ベラドンナに押し込まれる流れになってしまったが、いつまでも対応できない巳荻ではない。

 僅かにだが、レイピアの方位から逃れつつある。このまま流れを引き戻し、己の不得手ではない間合いで反撃を待つ。

 逆に不利な状況に陥っているのはベラドンナだ。先ほどから数度、真正面から刀とレイピアを打ち合わせている。細身のレイピアで精巧に作られた刀に打ち当たれば、いずれレイピアは折れ曲がるだろう。ベラドンナの狙いは、それ以前に巳荻を仕留める事のはずだ。

 相手は一撃でも入れれば勝ち。巳荻は何としても、この剣の結界から逃れなければならない。防御に全神経を注ぎ、吹き荒れ、引きずり込むレイピアの剣舞を引き剥がしていく。

 レイピアの強度も限界が近いのだろうか、ベラドンナも突きの回数が多くなっている。しかし手数が絞られるといっても、刺突は最も効率よく殺傷する手段に変わりは無い。

 避けるまでには体勢を整えきれていない巳荻は力任せに刀を引き戻し、相手の刃にぶつけ半歩距離を取る。

 そして強引にレイピアを弾いた先、完全に巳荻の間合いへと場面が入れ替わる。

「はああぁっ!」

 渾身の力で刃を振るう。ベラドンナの流れは防いだ。尋常ではない反射神経を持つベラドンナ相手では回避されるだろうが、追撃の二手三手で今度はこちらの流れに引きずり込む。

 豪速で振るわれる刀は、全てを砕く勢いでベラドンナに襲い掛かる。

 しかし、彼女が選んだのは回避ではない。レイピアを構えて、右手一本で両の手を使う巳荻の刀を防いだ。

 確かにレイピアを曲げるはずの力が込められていた一刀は、微動だにしない細い鋼に静止を受けた。

「嘘……」

 防がれただけではない。片手の力のみで、ベラドンナは巳荻を弾き飛ばした。

「あら、意外そうな顔。まさか、異核兵装同士では、現存の武器と耐久度は変わらないとでも思ってた?」

「……なるほど、『力場』の絶対値を変えているのね」

 異能者の中には、異核兵装を持つものと持たざるものが居る。異核兵装を持たない隊員は、クリーチャーと戦う時、主に支給された槍を使用する。しかし、クリーチャーに『力場』の恩恵の無い攻撃手段は無効化されてしまう。

 そこでクリーチャーに対抗する手段として、槍に己の『力場』を浸透させる。それにより、現存する武器に『力場』を留める"器"を作成し、"器"に『力場』を流し込むことによって、異核兵装と同じくクリーチャーを害する状態に出来る。

 長い年月を重ね、己の『力場』を削り武器に固着させ"器"を作ってゆく。その過程で、自分自身を包む『力場』の上限を失う事になる。全身に渡る『力場』の値を百とすると、二十を"器"に変換し武器に与えることにより、自身は八十の出力しか持たず、どうしても身体能力は最初から異核兵装を持つ者よりも劣ってしまう。

 また、他人の作成した"器"に自分の『力場』を流し込んだところで、『力場』は"器"に留まる事は無い。厳密に言えば『力場』はそこに在るのだが、武器に固着されることが無い。乗用車の燃料タンクに軽油を流し込んでいるようなものだ。車が動くことは無い。

 つまり、ベラドンナは異核兵装を持たないものと同じことをしているのだろう。恐らく、レイピアと武器を持つ右腕の"器"を全身から移設しているため、強度と腕力が巳荻を上回っている。

 リスクを伴う"器"の移設。ただ威力を求めて腕を強化したとしても、剣は全身の筋肉を使用するものであるため、練達なバランス感覚が課題だ。その点、ベラドンナは理想と言ってもいい"器"の形状を手に入れている。

(それでも、私と同じくらいの動きをして見せているってことは、『力場』自体の総量がこちらより一割ほど多い)

「こんなもの、正直ハンデみたいなものだと思わない? 嫌になるわよね。細い剣でクリーチャーと戦わなきゃいけない訳だし、ヤクザな商売してる所為で一対多数の場面も多いし。でも、だからこそ、こんな能力を与えられたのかしら」

「与えられた? ヤクザな商売してても、神様とかは信じてるの?」

「いいえ、私が信仰しているものは」ベラドンナが胸に手を当てる。「ここよ」

 胸の奥、心臓に鎮座するもの。

「そんなものに、救いなんて無いわよ。台風や雷と同じ、ただの災害でしかない。クリーチャーって言う別の災害を防ぐためのモノ、なんてみんな言ってるけど、望んでいない人間にまで押し付けてたら世話無いわ。当たり構わず不幸を撒き散らす、原因不明の負の氾濫。無くなっちゃった方が良いに決まってる。クリーチャーも、これも……」

「どうしてアナタは異能を否定するの? だなんて、答えるまでもないわよね。アナタは押し付けられて巻き込まれたクチだと。アナタはクリーチャーに何かを奪われたわけじゃないのでしょ? 失ったわけでも無い。ただ、その可能性に脅えてしまっているだけ。だけど、尻尾を巻いて逃げ出す事もせず戦っているのは実際大したものよ? その若さで、それだけの強さを持っているのだから。本当なら異核を使うことすら嫌だったけれど、勘のいいアナタだから気付いてしまったんでしょ? 自分に才能がある事を。だから研鑽を積み、慄然とする懸念を潰しにかかる道を選んだ。一見意欲的だけど、アナタが戦っているのは臆病風に吹かれただけでしかなく、その上、自分の望みが叶わないから駄々を捏ねる子供でしかない」

「五月蝿いな。だからって、誰も何もしなかったら、日常すら守れやしないじゃない」

「あら、もしかして否定じゃ無くて、等閑に付したいだけかしら? アナタが日常を守るために戦っていると思い込んでいるのだったら、今すぐ止しなさい。そんなもの、とっくの昔に破綻しているわ。その事を見て見ぬ振りして、本気で日常とやらを守っていると思っているのかしら」

「陳腐な物言い。私はオバサンと違ってね、生まれたときからクリーチャーがいたのよ。これが私の日常なの」

「違うわ、違う。分かっているクセに、どうしてそんなことを言うのかしら。アナタが守りたかった日常は、異核に憑かれる前の事を指しているんじゃ無いの? 異能者になってからどうだったかしら? まず、それまでの友人とは切れたわよね。異能者と一般人のわだかまりは拭えない。非難轟々の異能者による自衛隊に学生部隊と、口先三寸だけのクリーチャーの餌に過ぎない人間達。アナタが守りたかったという日常は、前者になってしまったことで瓦解しているの。表面上は変わらない振りをして、その実断絶されてしまった関係に気付いていたんでしょ。そこで、新しく与えられた日常をアナタは守ろうとしている。けれど、脅えてしまったアナタは取り繕うことに必死なんじゃないかしら。昔のように過ごしたいと。アナタ、異能に対して向き合ったことはある? 無いでしょうね。異能者だから、一般人だから、ではなく、その個人と自分は付き合っているなんて言い訳をして、異能者であることから目を逸らし続けている。そんな力を使っているクセにね」

「妄想で、適当なことベラベラ喋るのはいい加減にしてよね。私が取り繕ってる? そんなことに、みんなを利用なんかしていない」

「そうね、私の憶測でしかない。でもね、一つだけ言わせて頂戴。どうしてアナタ、こんな所に一人で居たの? 私が来たから良かったようなものの、そうでなかったら、星名ほのかについて何も知ることが出来なかったわよ。何のために、ここに居たのかしら。怖かった? 友人を失う事が。その周りの人々が悲しむのが。だったら、どうして仲間達と合流しなかったの? すぐ傍で、繋ぎとめておけばよかったじゃない。けれどアナタは、そうしなかった。異能から起こる不測の事態に怯えて、目を背け、虚栄心を満たすために、ここに居ることで日常を守っているだなんてポーズをとる。中途半端よね。戦う道を選んだというのに、いざとなれば我関せず。だったら、最初からそれらしく耳と目くらい塞いでいなさい。目障りよ」

 刀を振り下ろす。だが、真っ向から受けられ、至近距離でにらみ合う。

「もう消えなさいッ! アンタは必要ない。どうだっていい。こっちはクリーチャーだけでいっぱいいっぱいなのよ。これ以上余計な事しないでよッ!」

 刃が擦れ合う。だが、意表を付かれた先程とは違い、今度は力負けをしない。するわけにはいかない。他人の心に、土足で上がりこむような真似をしたこの女は、速やかに取り除く。

「頭空っぽで素敵ね。自分から隙を見せておいて、突かれたら駄々をこねる。どこまで我が侭なのかしら」

 ベラドンナを弾き飛ばすが、それは彼女が自ら後ろへ引いただけだ。

 逃がしはしない。即座に距離を詰め、斬撃を叩き込む。ベラドンナは回避せず、レイピアを構えた。そして、またしても剣撃が防がれる―――ことは無かった。

 鋭くベラドンナに迫る刀は、水面のように小さな波紋を広げたかと思うとレイピアを透過した。鋼の壁をすり抜けた斬撃はベラドンナを襲い、驚嘆にベラドンナの瞳が開かれる。

 後ろへ避けるベラドンナの左瞼を、刃が裂いた。

「チッ……片目くらい寄越しなさいよ」

 瞼から血を流したベラドンナが、不適に笑う。

「演技が下手なのは、お互い様よね。私って能力があるから何とかなるかもしれません、って顔に書いてあったわ」

 巳荻の異能。刃の物質透過。あらゆる物体を通り抜け、自在に実体化をすることが出来る。しかし、他人の異核兵装に刀が重なる場合に限り、透過は可能だが、実体化が不可能になる。

「いくらアンタが強化しようが関係ない。私は誰にも止められない」

「そうして都合の悪い部分だけ、するりと無かった事にする。実にアナタらしい能力ね」

「なによ偉そうに。アンタみたいに周りなんてお構い無しに自分のやりたい事やって、犯罪にまで手を染めるようになっちゃお終いなのよ!」

 踏み込み、刺突を放つ。片目は奪うことは出来なかったが、瞼を裂いた事によってベラドンナの視界は低下している。血に濡れた左側を集中的に狙い、刀を振るう。

 こちらを嘲笑う口元と、どこまでも無感動なエメラルドグリーンの瞳。襲いかかるレイピア。踊るようなステップ。先読みの軌道から、ことごとく逸脱する目の覚めるような底知れない技量。

 効率を求めて最短距離に斬撃を結んでゆく。どこまでも鋭利に、直線を目指して。しかし刀は空を切る。紙一重が遥か彼方に感じた。届いたと思えば、詰まらない切り傷をベラドンナに与えるのみ。次第に息が荒くなり、汗が目に沁みる。疲労は蓄積されていない。体はまだ動ける。十分すぎるほど体力は余っているはずだが、徐々に刀が大振りになってゆく。斬るのではなく叩くように愚鈍。動悸だけは激しさを増す。

 錆び付いた腕を力任せに揺さぶり振るうが、躍動する勢いを御しきれていない。

 押し込んでいるのは巳荻のはずだが、倍以上の反撃に一歩を踏み込むことが出来ない。巳荻とは逆に、ベラドンナの腕は伸びやかにボルテージを上げていく。さらにベラドンナの攻め手が増え、防戦に回らざるをえない。

「ハイ、おしまい」

 気がつけば、太股からレイピアが伸びていた。ベラドンナの口元に、愉悦を隠しきれない舌が唇を舐める。

「うわあああッ!」

 刀を振るい、避けられ、レイピアから尾を引く鮮血。踏み込み、斬る、斬る、斬る、痛覚を無視、腕を下ろしたベラドンナ、滲む視界、刀が空を斬る音、残響として頭蓋を埋め、胃から迫り上げる熱。

 刀が指から滑り落ち、膝を突き、背が丸まる。襲い掛かる寒気。染み渡ってゆく毒素。

「う、うぼ、が、ハァッ、アッ……ングッ、ン! あっ、はぁっ!」

 喉からあふれ出る物を嚥下した。

「上手にゴックン出来た御褒美ね♪」

 蹲る巳荻の顔にベラドンナのブーツが迫る。鼻の下を襲う衝撃と、馬鹿みたいに青い空が視界を目まぐるしく過ぎてゆく。倒れこみ、痛みに変わった寒気を押さえ込む。

 遠い場所で、ベラドンナの声が聞こえた。

「ああ、アナタもお持ち帰りしたいわね。手足くらい落とせば、一緒にカバンの中に入るかしら? あ、大丈夫よ。後で繋げてあげるから。それから沢山、楽しいことをしましょう。って思ったんだけど……無理みたい」

 さらに遠いところで、突如群衆の悲鳴が響いた。

 何が起きているのか、定まらない視界で理解ができない。

 鈍くなった腕の感覚を、ぼやけた視界を頼りに引き当て、手を着き、立ち上がる。自重にすら耐えられず、足元が覚束無い。

「それじゃあ、さようなら。また今度会えたら、お名前を聞かせてね」

 背を向けたベラドンナが走り出す。遠く離れてゆく背中に手を伸ばそうとし、巳荻は唇を噛んだ。



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