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日向と星へ  作者: 色傘そめる
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「すべてを手に入れた少年 すべてを奪われた少女」


 雑居ビルに挟まれた路地裏で日向悠生ひなたゆうせいは仰向けに倒れていた。自衛隊の戦闘服を紺色にした学生部隊の戦闘服は所々破れており、傷だらけの体が荒く上下し、白い息を吐いている。透き通った冬の空気の中に、鼻に突くような路地裏のカビ臭さが際立ち、彼は思わず顔をしかめた。

 夕陽が沈みかけ、群青色をした空を眺めていると、ひとつ、ふたつ、人の影がビルからビルへと飛び渡っていった。その人影の後を追うように巨大な影―――クリーチャーが空を飛んだ。

 化け物、怪物、お化け、モンスター。数十年前から現れた人類の天敵。奴らはどこからとも無く出現し、人を襲い、「クリーチャー」と呼ばれるようになる。曰く、神が人類に与えた罰としての創造物、なのだとか。人類を嘲笑うかのように、現代兵器を無効化できるクリーチャー。その怪物に唯一対抗できるのが、『力場』と呼ばれる力を持つ『異能者』達。

 先ほどまで、日向もビルの屋上で学生部隊の仲間たちとクリーチャー討伐の任務に就いていたのだが、クリーチャーの攻撃から仲間を庇い、屋上から落ちてしまった。いくら『力場』によって身体を強化されたとしても、クリーチャーの攻撃を受け、十階ほどの高さから受身も取れず落下すれば、無事では済まなかった。

 戦闘中の仲間の手を煩わせるわけにはいかないと思い救難信号を出すため通信機に手を伸ばすのだが、壊れてしまったようで反応が無い。仲間から離れ、誰とも連絡を取ることが出来ず、クリーチャーの避難勧告のため一般人のいなくなった街に取り残された日向は酷く心細かった。

 またクリーチャーは常に群れで現れる。今こうして倒れているところへ新たなクリーチャーに襲われないとも限らない。通信機は壊れてしまったが、建物内にある固定電話や公衆電話は生きているはずだ。

 後方の支援部隊と合流するためにも、この場から逃げなくてはならない。傷が痛み、微弱な電流が体を巡るような刺激と、ひりつく傷口から広がっていく熱を歯を食いしばってやり過ごす。

 自分の体を奮い立たせ動こうとした日向の視界に、ビルを挟んだ先の交差点から一つの影が躍り出てきた。影は少し遠いところにあり、ここからでは良く見えないが、その影はまぎれもない人間だ。

 逃げ遅れたのだろう。かなり慌てているみたいだが、走っていてもどうにも鈍間な印象がある。また、頭が白い事や身長が低そうな事から、あの人は年寄りなのだろうと日向は思った。服は全体的にヒラヒラと舞っている事から女性というのも分かる。しかし、今の季節とは似つかわしくなく随分と薄着だ。白いワンピースみたいなもの一枚に見える。それと、足元に見える肌色。この寒空の下まさか裸足なのかと疑う。

 まるで、家で眠っていたところを慌てて飛び出たと言った感じだ。

「なんで、外、出てんだよ。逃げ遅れたなら、家に、居ろって」

 息を切らしながら悪態を吐くが、見つけてしまったからには保護しなければならない。幸い日向も戦線から離脱する身だ。

 老女が交差点を渡り、ビルの影まで入った。姿が見えなくなったところで、老女の走ってきた後ろから、クリーチャーが現れた。

 現れたクリーチャーは、先ほどまで戦っていたクリーチャーではない。

 細身の熊のようで俊敏な印象を与えるが、体長は人の三倍はあろうかと思うほど巨大だ。遠目からでもはっきりと分かるくらいに伸びた、禍々しい爪。足取りはゆったりとしており、手負いの獲物を嬲るように、愉快気に人を追い詰めているように見える。

 膝からガクガクと崩れ落ちていくのを力任せに支え、彼は力を解放した。日向の意思に反応するよう胸の奥、心臓に張り付いた腫瘍が異質な力をポンプする。異能者たちの種子である『異核』が静かに脈打っていた。人間の体が、クリーチャーに対抗するため、戦闘をするために作り変えられる。体の芯から爪先までを、『力場』が人の形で包み込んだ。『力場』が充満し、先ほどまで満足に動く事すらできない体を支えるように体内を埋め尽くす。充足していく力。広がっていく感覚神経。体が震えるほどに興奮している。

「出て来い」

 呟き、掌に意識を集中する。皮膚の内部、筋肉の筋という筋が裏返り、波打ち、薄皮を突き破るように躍動する。掌に心臓が宿ったのではないかと思うほど激しい鼓動。手を包む皮膚が、全てめくれ上がるような錯覚を引き起こし、一本の剣が引き出された。

 異核兵装。心臓に出来た腫瘍、異核が『力場』とは別に生み出す力。対クリーチャー用決戦兵器。

 剣の全長は1.2メートルほど。柄頭の部分はひし形に削り取られたような形状。柄には紺色の布が巻かれグリップを安定させている。鍔はデタラメに鉄塊を継ぎ足したようで、そこから垂直に伸びる片刃は肉厚があり、幅は拳二つ分。

 未だに体中が悲鳴をあげており、まともに戦う事が出来るのかという不安があるが、悠長に助けを求めに行くにも時間が無い。自分がやるしかないと、諦めにも似た決意で剣を握り締め、彼はクリーチャーへ向けて走り出した。



■    ■    ■



 燃えるような夕陽の残骸が、無人の町を薄く色づけていた。クリーチャー出現のために出された避難勧告のため、町には一人として人間が存在していないようだが、ゴーストタウンに一人、逃げ遅れた女性が走っていた。

 小柄な身長。痛んだ白髪。寒空の下だが、服装は白のワンピース一枚。足元には何も履いていおらず、車が無造作に止められた大通りを息を切らして通り抜けている。

 老年と思しき女性が走る後ろには、クリーチャー。細身の熊のような体をしているのだが、その体長は現存する熊の三倍ほど。体毛に覆われた手からは、不恰好に伸びた太い爪。

 一歩一歩、追い詰めるように歩を進めるクリーチャーだが、不意に女性目掛けて飛び上がった。クリーチャー自身の身長を越すほど跳躍し、女性の横にある駐車している車がへ体重をかけて着地する。砕けるガラスが飛沫となって辺りに舞い散る。めり込んだルーフと、中ほどから折れたシャフト。前後のタイヤが浮き跳ね、車体はみっともない残骸を晒した。

 衝撃で女性が倒れる。立ち上がることも出来ずに這って逃げる女性を追うためクリーチャーが車の残骸から抜け出た。

 その、脇腹。迅速に剣の刃を滑らせる。

 日向の接近に気がついたのか、クリーチャーは寸でのところで横へ跳躍した。飛び交う数本の体毛と血、蒸発するクリーチャーの傷口。僅かではあるが切っ先はクリーチャーを捉えていた。距離を置いたクリーチャーは日向を威嚇するように唸る。

「大丈夫ッスか?」

 首を捻り、地面に倒れた女性に声をかけて、彼女、いや、少女を見た。

 身長は150センチもあるだろうかというくらいの小柄。痛みの目立つ、肩まではかからない白髪。だが緩くかかったウェーブがしっとりとした印象を出していた。黒目がちの瞳はくりくりとしており、泣いていたのだろう、アイラインを誇張するように瞳の周りが赤く染まっている。肌理細やかで陶器のような肌は夕陽に照らされ、夕陽の赤と白い肌の対比が光りの反射で色を変えていくトパーズを連想させる。量感のある下唇が驚きに開いており、桜で埋まった水面のように揺れていた。そしてむせ返るほどの、身を委ねてしまいたくなる様な甘い香り。

 か細い左手を地面に着き、右手を胸の前に寄せ、脅えと驚きで少女は呆然としている。あどけない顔と仕草に薄い白のワンピース―――ではなく、レース生地のキャミソール。ずれた肩紐が二の腕にかかり、透き通ったキャミソールの下には薄いピンクのショーツが覗いている。ボディラインもくっきりと見る事が出来、思わず日向は喉を鳴らした。下半身に続く括れは優雅なしなやかさを保ち、肉付きの薄い腰から足を均整の取れた人形のように飾り立てている。

(最近の子供は進んでんな……しかし、透けキャミに下着?)

 煩悩を誤魔化した。

(いやいや、クリーチャーが目の前にいるのに、子供に見とれてる場合じゃないって)

 認めた。

 そして日向は本来の目的であるクリーチャーに目を向け、剣―――異核兵装―――を構える。

 捕食の時間を遮られたためクリーチャーは殺気立っているが、日向の剣を見ては警戒しているような動きを見せる。まず、クリーチャーは異核を持った者を優先的に狙う。それは通常の人間よりも異核がクリーチャーにとってのご馳走だからではないか、とは専門家のご意見だ。真相は未だ知れず。

 また、時間をかけてはいられない。クリーチャーは連れ立って行動を起こさないものだが、群れで出没するのが常であり一体にのみ意識を集中していてはならない。仲間がいれば確固撃破のゲリラ戦を展開できるのだが、それも望めない。少女から離れすぎず、巻き添えを与えないように近すぎず、日向の手が届く範囲で戦わなくてはならない。

 じりじりと距離を詰めるクリーチャー。対して日向は少女を庇う様に立ち、後ろを見ずに掌で少女に後退するよう指示を出した。意図が伝わったのか少女が立ち上がる気配がする。

「今は、あんまり離れすぎないで」

 声をかけるが返事はない。

 少女が立ち上がったのを見たクリーチャーが、逃げられると覚ったのか勢い良く走り出し距離を詰めてきた。少女のか細い悲鳴が聞こえる。ある程度までクリーチャーが進んだところで、日向も迎え撃つために飛び出した。

 目の前にいる細身の熊のようなクリーチャーは、大きく迫り出した爪で四肢を使った移動できず、俊敏ではあるが十二分に対応できるスピードだと判断する。

 クリーチャーが指を開き、爪を日向へ向けて突き立てた。まだ距離がある。クリーチャーの攻撃は空振りするだろう。だが、ここでの行動は全て意味の、意図のあることだ。余分な動作をするとは考え辛い。

 全力で走っていなかった日向は右足で道路のコンクリートを踏み抜くようにブレーキをかける。直後、クリーチャーの爪がさらに伸びる。一瞬にして日向はクリーチャーの射程範囲に入った。

 突進してくるクリーチャーの爪の間を縫うように、クリーチャーへ剣を振るう。指を裂かれたクリーチャーは勢いを殺すことなく突進し、反対の腕で日向をなぎ払うためスイング。

 豪速で迫る腕を、しゃがんで潜り抜け、反撃の突きを放つ。深々とクリーチャーの胴体に突き刺さる剣。しかしクリーチャーは、なぎ払おうとした腕を返し日向をはね跳ばした。

 道路を少女の元まで転がった。眩暈が日向を襲う。先ほどの戦闘で付けられた傷もあって、満足に動けそうに無い。この状態ではクリーチャーを殺しきれないと日向は判断した。もとより単騎でのクリーチャー制圧など、学生部隊の日向には荷が重過ぎる。

 クリーチャーの腹部の傷が蒸発している。失われた器官や外傷を修復しているのだ。いずれクリーチャーは元通りに動けるくらい回復するだろう。この状態での追撃は好機かも知れないが、クリーチャーの大幅な体力を鑑みた場合、危険なのは明白。

 また、新たなクリーチャーが現れないとは限らない。時間が経てば不利になるのは日向達だ。

 幸いクリーチャーはうずくまる様にしながら日向たちを威嚇している。手早く異核兵装を体内にしまい込み、少女を抱き上げた。

「ふぁうッ」と少女が驚きの声を上げている。

「ちょっと、我慢してくれよ」

 うずくまるクリーチャーへ意識を向けながら、日向はその場から駆け出した。



■    ■    ■



 ブリーフィングで聞いた今回のクリーチャー被害の範囲を思い出す。警戒区域を抜けるため、少女を抱きかかえながら日向は走り続けていた。ビルの山に夕陽が飲み込まれ、濃い群青色が空を覆い、寒さも増してきたように思う。

 しばらく走った後、襲ってきたクリーチャーが追って来ないことを確認し少女を降ろした。少女は薄いキャミソール一枚の格好をしており、歯の根も合わないほど震えている。日向は自分の上着を少女に羽織らせ、裸足の彼女の履き物をどうするか悩んでいた。

「ここって結構、警戒区域の真ん中あたりだからさ、救護が来るまでしばらく待たなきゃいけないけど、大丈夫かな?」

 狭い道を隠れるように歩いたところで、そこへクリーチャーが出没しては身動きがとれずに危険だ。また、車やバイクという移動手段も不意を突かれた時に少女へ危害が及ぶため二人は大通りを堂々と歩いていた。

「はい……大丈夫、だと、思います」

 まだショックから立ち直っていないのか少女の歯切れは悪い。

 大丈夫なはずは無いだろう。この寒空の下で殺されるかもしれない恐怖から必死に逃げていたのだ。何とか彼女を元気付けるため日向は少女に話しかけた。

「俺さ、怪我しちゃってて今度襲われたら助かんないんだ。だから、そん時は頑張って一人で逃げてくれ」

「そんな……ッ!」

 脅かしてどうする。

 少女は今にも泣きそうな表情をしている。本音が出てしまった日向は「嘘、今の嘘だから。ちょっとくらい大丈夫」と必死に弁解をしている。だが、先ほどの、あまりにも早い撤退を目の前で見ていた少女には聞こえていないようだ。どうしたものかと悩んでいる日向に、今度は少女の方が話しかけてきた。

「あ、の……」日向の姿を見ながら問う。「学生部隊の方、ですよね?」

「ん、ああ、そうだよ。悪いね、頼りなくってさ」ヘラヘラと笑いながら答えた。「いつか俺も軍隊に入るからさ、そんとき頼ってよ」

 日向の軽い言葉で、また少女が不安がる。先ほどと同じく慌てて取り繕おうとする。うろたえながら弁明する日向の姿に、少女の気持ちが少し和らいだ気配がした。それから近くにある喫茶店に入り、公衆電話から救難要請の連絡を学校側へ入れた後、気まずい間を取り繕うための自己紹介を始めた。少女の名前は「星名ほのか」と言うそうだ。驚いたことに、日向と同じ16歳だという。

「星名さんは、どうして逃げ遅れちゃったの?」

 話しながら喫茶店を出る。出歩くのは危険だが、狭い室内に居る時にクリーチャーが発生してはひとたまりも無い。

「実は、眠ってしまっていて」恥ずかしげに星名がうつむく。「そういえば、学生部隊の人がいるってことは、もう戦いも終わりなんですよね?」

 星名の言葉に日向が僅かに思案し、「どうなんだろうな」と曖昧に返した。

 全国に発生するクリーチャーに対処するため軍隊は分散しており、さらに異能者の数も多くないと言うことで軍人の卵である学生部隊が出動する。警戒区域の周辺で市民の誘導や軍隊の支援、数の少なくなったクリーチャーの掃討に参加するのが主だった仕事だ。故に、学生部隊が警戒区域の只中にいると言うことは、局面は既に殲滅戦に移行しているということだ。

 だが、今回のクリーチャー討伐には学生部隊が中心として活動しており、軍隊の人間は参加していない。時悪く、大規模なクリーチャーの発生が重なったため、隣町で支援活動をしていた学生部隊がそのまま今回の任務に就いた。

 数十年来、クリーチャーの群は一定範囲につき一箇所にしか出現する事は無かったのだが、現在同時間帯で別の地域に渡りクリーチャーが発生している。前代未聞の事態に陥り、自衛隊も学生部隊も浮き足立ち、情報も錯綜している。

 先ほど公衆電話で学校側に連絡を入れたとき、受話器の奥から聞こえる声も随分混乱しており戦況を確認する所ではなかった。

 しかし星名を不安がらせまいと、日向は出来るだけ明るく話しかけた。住んでいる場所、好きな事、学生部隊としての生活。日向の言葉に星名は多彩な表情で相槌を打ち、小動物のような仕草で様々な事をねだる様に聞きたがった。だが、日向が、ボーリング、カラオケ、公開中の映画、ファーストフードの新メニューなど、学生なら誰しも話題にするような事を言った時、星名は不自然に黙り込み、別の話題へと逸らした。

「日向さんのお家もこのあたりですよね……家族の方は大丈夫なんですか?」

「いや、連絡は取る暇も無かったよ。まあ、ちゃんと避難できてるって。星名さんみたいにうっかり眠ってなければ、だけど」

「ああッ。酷いですよ」

 日向を見上げ、精一杯の抗議として大きな瞳で睨んでくる星名に謝りなだめようとする。冗談を言ってはみたが、実際は少し不安な気持ちが強い。心配なのは父だ。母一人なら問題はないのだが父が居ると厄介なことになる。無事避難していてくれることを日向は祈ることしか出来ない。

「しっかし、星名さんも災難だったよな」

「ホント、大変ですよ」クスクスと星名が笑う。「でも、日向さんが助けてくれるから大丈夫です」

 自信満々、と言った風に星名が胸を逸らすのを日向は苦笑しながら見ていた。

「まったくその通り、災難だわ。そして大丈夫じゃない。主に私が」

 良く通る歯切れの良い声が聞こえ、日向と星名は思わず顔を見合わせて、声が聞こえた後方へ振り向いた。

 大通りの交差点。その中心に、一人の女性が佇んでいた。オレンジに染めている長い髪を左右で束ね、黒を基調とし裾にアクセントとして白のフリルが付いたゴシック調の服装に身を包んでいる。レースの手袋をはめ、足元は編み上げのブーツ。顔の堀が若干深いことや、エメラルドグリーンの瞳の色から西洋人だということが分かる。

 年齢が判別し辛い。日向より年上にも見えるし、年下にも見える。

 しかし、彼女を何より際立たせているのは手に持ったレイピアだ。幅2.5センチ。全長120センチの細身の凶器。十字架を模した柄に、手の甲を覆う湾曲した金属の蔦。古い時代、街での護衛や決闘の為に使われた獲物。そして、古風な武器を現代で持ち歩く人間といったら一種類しかいない。

「抜き身でそんなモン持ち歩くなよ」自然、日向が星名の前に出て、掌から剣を取り出した。「アブネーだろ?」

「理不尽ね」機械のように、表情を変化させずに女が続ける。「アナタ自分の剣を持ち出しておいて、それはおかしいと思わない?」

 警戒区域を平然としながら凶器を持ち歩く。十中八九、彼女も日向と同じ異能者だろう。

 私服であることや部隊照合も無い事から、正規登録されている異能者でないことは明らか。知らずに汗が頬を滑り落ちる。女は無表情だが、むき出しの殺気を隠そうとしていない。

 数十年前、クリーチャーが出現した時期と同時に心臓に異質な腫瘍を持つ人類が現れた。腫瘍が増殖させるのは、細胞ではなく『力場』。腫瘍を持つものは感覚的に『力場』を自らの体に生む事が出来る。未だ原因が定かではない力を持つ彼らは異能者と呼ばれ、現代兵器では対抗できなかったクリーチャーから人類を守り続けてきた。

「ようやくチャンスが巡ってきたかと思えば」機械のような女が日向たちに近づく。「最後の最後までついていないわ。ねえ、あなた、そこをどいてくれないかしら?」

「何が狙いだ」女の発言から危険意識を底上げする。「クリーチャーの警戒区域を出歩く異能犯罪者なんて、初めてだ」

 異質な腫瘍が放つ『力場』の能力を私利私欲に使う者も存在した。人類の想像を超える超人的な身体能力や、そして異能者の中でも限られた者が扱える―――日向や女が取り出した武器―――「異核兵装」の特異な能力は人の際限無い欲望を刺激し、数多の犯罪者を生み出した。

「ごめんなさい」女の眉根が寄る。「私、焦っているの。そう焦ってる。だから手際良く終わらせて頂戴」

 日向は星名の方を振り返り「そこで待ってて」と微笑みかけたが、星名は不安げに頷いた。

 女がレイピアの刃を地面と水平に構える。日向も女へ近づき、剣を正面へ向けた。

「手合わせをする前に聞きたいことがあるのだけど、いいかしら?」

「なんだ?」

 ベラドンナは自衛隊の標準装備で無い日向の剣を見た。異核兵装に対する好機の眼差しが注がれる。

「ずばり、あなたの能力は何?」

「キノコを食べるとでかくなる」

「配管工の成せる業……! であるならば、お花を摘ませるわけには行かないわ。だって火を投げられては堪らないもの」

 ブツブツと独り言を言う女がキモかったので切り付けた。

「答えるわけねーだろがっ!」

 袈裟に振るった剣を、女は後方へ跳躍して避けた。

 ふわりと女が着ているゴシック調の服が揺れる。バックステップで回避した女を追い剣を振り下ろす。剣の軌道が標的を捉える前に、女がステップの低い放物線を殺し片足で着地。レイピアを剣の面に合わせるように振われ、女に迫った剣は傾き去なされた。

 剣をあしらったレイピアは日向の胴を襲う。急ぎ剣を引き戻しレイピアを防ぐ。弾く様に薙ぎ払い、日向は後方へ飛んだ。

 女が地を這うように走り追撃。低い姿勢からの突きが胴へ・首へ・顔へ。日向は下半身を軸に、体を横へ反らせ・首を射線から外し・顔を引き戻し回避。

 四度目の突きのモーションに入った女。鞭のようにしなる女の腕が手に持つ凶器を正確に直進させる。合わせるために日向は斬り上げる。敵が持つ細身のレイピアよりも、日向の無骨な剣の方が威力で勝るのは明白。突きの速度に目は慣れてきているため、後は追うのみだ。迫るレイピアの切っ先、迎え撃つ刃。弧を描いた剣が細い凶器を弾く―――瞬間、女の手首が返る。しなり直進する腕はそのまま、柔軟な手首の力だけで切っ先を回し、迎え撃つ剣を避け、回り込むようにレイピアが日向の眼球を狙う。

 僅かに横に避けた日向だが、こめかみの肉を持っていかれる。裂かれ、飛び散る鮮血。日向はバランスを崩し地面に片手を着く。見下ろす女へ目掛け、肩と腕の筋肉を使い低姿勢から平突きを放つ。女がバックステップをし、直進する剣の刃にレイピアを縦方向に押し当てた。レイピアの刃の上を、剣の刃が滑るように進み軌道を逸らされる。レイピアの上を走る剣。中空で女がレイピアの刃を返し、頬が裂かれた。

 流れ出る二筋の血。

 着地し、気だるげに佇む女はだらりと両手を垂らし日向を眺めている。

 自分が負傷していた事を言い訳に出来ないほどの決定的な技量の差。自分が積み上げてきたものよりも高みに居る者への畏怖を感じる。僅か数度の攻防で、剣技での勝機は無いという確信が出た。

 女の弱点を挙げるなら異核兵装、細身のレイピアだろう。まともに打ち合えば数合でレイピアは使い物にならなくなるはずだ。異能が生み出した武器同士の場合に限り、耐久度や切れ味等は現実のものとほぼ変わらない力関係を持つ。だが目前の敵は、武器の特性を生かした動きで日向のそれを上回る。

 どのような策を使えば、この状況を打開できるか思案するが出てくるのは時間稼ぎという結論のみだ。時間が経てば、もしかすれば別のクリーチャーが現れ戦闘どころでは無くなり、星名を連れて逃げる事も出来るかもしれない。或いは、救難要請を聞いた日向の仲間たちが駆けつけてくれるかもしれない。どちらにしろ他人頼りの情けない話に嫌気が刺す。

 後に残る打開策は一つ―――と考えたが、剣を構える日向から、女が目を逸らした。星名が立っている方を向き、悠然と歩き出す。

「まてッ!」

 追いかけようとする日向だが、不意に胃の中に鉛が流されるような感覚に襲われ、その場で嘔吐した。

 胃から喉へ雪崩れて来る吐瀉物は勢い良くアスファルトに広がる。目に涙が浮かび、二度、三度と逆流する様を眺めた。頭の中へ唐突に現れた鈍痛に平衡感覚を奪われ膝を着く。背筋から肩を覆い尽くすように広がる悪寒と、空になった胃から次いで吐き出そうとする働きが内臓を締め上げるような痛みを寄越す。

「残念、ね。しばらくあなた動けないわ。大人しくしていなさい」

 急激な体調不良。恐らく女の持つ異核兵装の能力。レイピアの刃に毒があったのだろう。

 異能から生み出されたものなら、異能でしか対処のしようが無い。致死性の猛毒なら脅威だが、女の言葉から一時的なものだと判断する。

 急に景色が遠くなり、甲高い音が頭の中を飽和する。耳が聞こえ辛くなり、視界の周りがぼやけて中心だけがハッキリと見えるものだから景色が遠いと感じるのだろうか、などと妙に冷静な頭で考えながら、星名の前に立つ女を睨んでいた。

「さあ、ようやく不要な者が全て消えてくれたわ。あらためまして星名ほのか。私はベラドンナ。そうベラドンナと言うの。アナタの、新しいパートナー」

 星名が後ずさり、だが目を逸らせず、震える瞳でベラドンナを見ていた。

「けど、その前に、ね? 試させて頂戴」

 ベラドンナがレイピアを掲げ、星名に向かって振り下ろした。

「きゃああああああああ」

 甲高い悲鳴を上げ、星名がうずくまる。だが、いつまで経ってもレイピアが星名を襲うことは無い。凶器を振り下ろす途中で、ベラドンナは腕を止めていた。

「手を放そうがダメ、『力場』を消してもダメ、後は……大体分かったわ。予想通り、いやそれ以上ね。もういいわ、離して頂戴」

 ベラドンナが意味の分からない事を呟いている。星名は恐る恐る顔を上げ、立ち尽くしているベラドンナを理解できないといった表情で見上げた。

「え……? ちょっと、ねえ。放してよ放しなさいって。動けないじゃない私。もういいの。ね、お願い。……んんと。まさか、というより、殺気も見抜けなければ、能力も満足に扱えない、なんて言わないわよね?」

 平坦な声の調子で言うものだからイマイチ分かり辛いが、どうやら焦っているようだ。

「泣いてしまいそうだわ」

 日向は地面に着いた手に力を入れ、立ち上がった。よろける足で歩を進める。接近に気づいたベラドンナが、首だけを日向のほうに向けた。

「あら、まだいたの? 殺さず生かしておいてあげたのに。這ってでも逃げれば、見逃してあげるわよ」

「見逃してやるかどうかは、もう俺が決めることだぜ?」

 何故か動けなくなったベラドンナに向かい、足に渾身の力を込め、走り出した。

「ズルくない?」

「トドメを刺さない、テメーが間抜けだ」

 揺れる景色、こちらを向く星名、睨むベラドンナ、胃の中を暴れまわる痛み。心臓に憑いた腫瘍から、全ての力をポンプする。手の平から感覚としての管が生える。剣に『力場』の管を打ち込み、全身から一斉に『力場』を射ち込む。異核兵装に収束されていく力。刃にも感覚が生えたように、全身の意識が剣に宿る。耐えかねるように、押し寄せる力を解放した。

「『討て』えええええぇぇ!!」

 ベラドンナに向かい、剣を、力を振るう。刹那、ベラドンナが星名の腹をブーツで蹴飛ばし、星名が崩れ落ちた。そして、先ほどまでパントマイムのように動かなかったベラドンナの腕が動きを取り戻し、日向の剣を真っ向から防ぐ。

 鋼がぶつかり合う硬質な音が響き、力負けをしたベラドンナは後方へ吹き飛び倒れた。日向も力を使い果たし、その場に膝を着く。

 ベラドンナが体を起こし立ち上がるが、すぐその場に膝を着き、胸を押さえて苦しみだした。

「まさか、これがアナタの能力? 確認するまでも無いか。精神汚染、ね。随分と、不明瞭だわ」

 日向の異核兵装に備わっているのは、『討つ』という概念を対象に撃ち込む能力。例え与えたのが浅い傷でも、また攻撃を防がれたとしても、"討たれた"余波は相手の精神を襲い、戦意を削ぎ取る。場合によっては相手を即、死に至らしめることも可能だ。

「相手の心を削る能力。……けれど今のアナタじゃ、それ以上は無理みたいね」

 ベラドンナが苦悶の表情を見せながらも、完全に立ち上がった。

 手足の先が痺れ、全身を倦怠感が包んでいる。これ以上、日向は『力場』を展開するだけの余力も残っていなかった。

「逃げてくれッ」

 星名へと叫ぶ日向へ向かい、ベラドンナがゆっくりと歩み寄る。

 心臓に腫瘍が出来、『力場』の恩恵を初めて受けた時、これで全てが上手く行くと日向は信じることができた。選ばれたものの特権としての、『力場』という魅力に心を奪われた。クリーチャーを討伐するために編成された、征伐自衛隊を養成する学生部隊の校舎は近所にあるのだが、日向は寮に住まいを移し、煩わしい家族からも逃げることに成功した。

 しかし万能感が構築したのは、現実との大きな落差だけだった。

 クリーチャーを倒したところで、避難させた人間からの苦情が山のように寄せられ、力を持っていると言うだけで以前の友人たちにも距離を取られた。我が身可愛さの人間ばかりが溢れ、その行動に怒りを向けると同時に、また日向自身の罪悪感を浮き彫りにする。家から出て、寮に入った日向を両親は恨んでいるだろうか。まだ十六の学生なのだから、腫瘍を持つ異能者なのだからと言い訳をして、父のことを母に押し付け都合よく逃げてしまった。

 また、同じ異能を持つ者たちと過ごすことによって、越えることの出来ない壁を持った人間が大勢いる事も知り、自分だけが特別なのでは無いという現実が突きつけられる。どれだけの努力をしようと周りは自分よりも優れ、多くの人を救い、多くのクリーチャーを屠った。

 次第に劣等感から諦めへと変わり、限界を定め、仕方の無い事だという逃げ口上に至る。

 昔あった勢いは、もう見る影も無い。

 今現在も、なぜ見ず知らずの人の為に殺されならなければいけないのか、そればかりを考える。屋上から落ちてから、星名のことを見つけることさえなければ、クリーチャーを倒した仲間達と合流できたかもしれない。星名さえ居なければ、自分はかび臭い路地裏に倒れたままでいられたのだ。

「日向……さん、ぃやぁ……」

 震えるようなか細い声が聞こえる。これも、仕方の無い事だ。

 だからこそ、手持ちの駒でやりくりしなくてはならない。これ以上、状況を悪化させずに現状を保つ。出来ない自分は、出来ない自分なりに、この息苦しい現実へ出来る範囲で最善の一手を与えなくてはならない。

(だけど……本当は……)

 ベラドンナが近づき、レイピアを掲げる。今度は先ほどのように腕を止めることもないだろう。

 星名とのやり取りは一体何だったのだろうかと思いを馳せる。ベラドンナの言葉から察するに、恐らく星名も能力者であり、星名の能力を欲しいが為に日向と戦闘をした、と言ったところだろうか。だとすれば、星名も同じ学び舎へ来ることになるのだろうか。それともベラドンナにさらわれてしまうのだろうかと考えるが、今から死ぬ自分には関係の無い事だと思考を手放す。

「さよなら」

 短くベラドンナが言った瞬間、日向の周りに熱風が吹きつけた。

 砂漠にでも放り出されたような気温の上昇。全身を焼かれる様な痛みに腕をかき抱く。熱に呼吸を遮られ、引きつり何度も息を吸ったが、しばらく酸素は肺を満たす事は無かった。一瞬遅れて、泣いた様に吹き出る汗が全身を伝う。

 素早く後方へ飛んだベラドンナが、日向の後ろを睨んでいた。

「本当に、最後の最後までツイていないわ」

 一気に熱が引く。急激な気温の上昇と肌を焼く熱量には心当たりがある。搾り出すように、いつの間にか後ろに立っていたクラスメイトに声をかけた。

「助かった、城之崎」

 紺色の戦闘服を着た男が日向の前へ歩み出た。

「今回、予想外の事ばかりが起きる。クリーチャーの大量発生。そして多発。最後に、警戒区域を出歩く異能犯罪者」

 逆立てた短髪の下に、相手を射抜く獰猛な目。輪郭を支える堅牢な下顎がたくましさを現していた。手には2メートルほどの槍。いや、槍の穂先に直線を象った斧頭と、反対側に野太い突起を備えたハルバートを手に、筋肉の鎧を身に纏った長身の城之崎大地が立っていた。

「異常な事態が集中しすぎている。偶発的にではなく、何らかの繋がりがあるはずだ。答えろ、貴様は何が狙いだ」

「あらあらまあまあ、まるで私が元凶みたいな物言いね。ただ単に便乗したかっただけだと言うのに。でも、それも失敗に終わっちゃったのかしらん」

 城之崎は一瞬星名に目線を送り、再びベラドンナに問う。

「なぜ、あの女を斬ろうとした? なぜ急にやめる? 私怨にしては感情の起伏がまるで感じられなかった。あの女には何がある?」

「悪い人。ちゃっかり見ていたのじゃない」

「駆けつけた時に丁度貴様の腕が止まる所だった。状況判断がつかず様子を見ていたが……それにしても話す気はまるで無い様だな」

「だとしたらどうするの? 力尽くで吐かせる気かしら」

「悪くない提案だ」

 城之崎はハルバートを構え、辺りを熱で歪ませる。城之崎の能力が鎌首を擡げるのを見たベラドンナは、やれやれと言った風に肩を竦めた。

「お断りだわ。アナタのようなタフガイ好みじゃないの。目的の一つは達成したようなものだし。あとそれに、アナタのお仲間も近づいてきているようだから、そうね、お暇しようかしら」

 微かに複数の足音が聞こえる。日向の仲間たちがやってきているのだろう。

「逃がすとでも思うか?」

「まったく持って思っていないわ。けど思い出してごらんなさい少年。ここは、警戒区域」

 日向と城之崎の向かいに居るベラドンナの中心、遮るように仄暗い染みが現れた。

 染みは渦を巻き、肥大し、口を開けるようにめくれ上がり、黒い影をボトリと吐き出した。

「まあ大変。クリーチャーが現れたわ。気をつけて避難しないと。でも大丈夫。学生部隊の方が救ってくれるはずよ」

 驚愕に城之崎の目が見開かれる。

「まさか、貴様が呼んだのか?」

 ベラドンナの窮地を救うように発生したクリーチャーは、確かにタイミングが良すぎる。先ほどの城之崎の言葉通り、一連の異常事態に何かしらの裏があるとしたら、その原因の一端を目撃したようなものだ。

「それではさようなら。また会いましょうね、星名ほのか」



■    ■    ■



 突然現れたクリーチャーを城之崎と他の仲間たちが倒した後、その場で救助が来るまで休憩を取った。散らばった仲間たちに連絡を取ると、どうやら目ぼしいクリーチャーは殲滅出来たようだ。

 クリーチャーの殲滅任務には四人一組のチームで動くことが原則となっており、日向と共に行動していた仲間たちも無事に生き残っているようだった。

 この後は、索敵能力を持った仲間が警戒区域にクリーチャーが残っていないかどうかを調べることになる。

 日向が未だ満足に動けない状態であった事から座り込み、戦況の行方と自身の体調、そして隣にいる彼女を気にしていた。そして、座り込む日向へ城之崎が近づいてきた。

「失態だな日向。なぜ単独で行動した。お前の独断の所為で、部隊の仲間たちが危険になるんだぞ」

「しょうがないだろ。ビルの上で戦ってて、そこから落ちたんだ。追いかけ様も無かったし、怪我でまともに動けそうに無かった。通信機も壊れてたしな。そん時に星名さんがクリーチャーに襲われてたんだ」

「なぜ怪我をしたまま動いた。下手をすれば二人とも死ぬところだろう。仲間を待たずに行動するなということくらい、分からないものか? お前はどこで修練を積んだんだ」

「遅かったんだよッ、それじゃあ!」

 いつものやり取り。以前に、日向は部隊の仲間たちから離れて行動することがあった。警戒区域の外周で市民を誘導していた時、迷子の子供がいるからと一人探しに部隊から離れ、その隙に仲間たちがクリーチャーに襲われてしまったことがある。部隊の仲間たちは無事だったが、日向が一人抜けてしまった所為で苦戦を強いられる結果となった。その時、同じチームにいたのが城之崎だ。以来、ことあるごとに城之崎は日向に食って掛かるようになった。

「ふん、まあいい。それよりも、そこの、星名だったな。なぜあの女に狙われていた」

「わざわざお前に話す事じゃないだろ。どうせ先生たちにも事情を話さなきゃいけないんだ」

 命を助けてもらった日向だが、先ほどのやり取りから城之崎に対してトゲのある言葉を返してしまう。

 星名の方は、先ほどから座り込んでいる日向の後ろに、落ち着かない様子で立っていた。

 しばらく黙りこみ睨み合う日向と城之崎だったが、城之崎が他の仲間に呼ばれ二人の前を後にした。

 立ち去る城之崎を恨みがましく睨んでいた日向だが、後ろから視線を感じ星名の方へ振り向く。

「とりあえず、さ、もう大丈夫だから。ああけど、ちょっと聞きたいことあるから、この後も付き合ってもらうけど、構わないよな?」

 日向の言葉に星名は曖昧に頷いた。それ以上日向は話しかけようとせず黙り込んでいると、星名が蕾の様な口を開いた。

「あ、の。私、嬉しかったです。日向さんに助けてもらって。本当に。守ってもらったし、お話もしてもらったし……だから、ありがとうございます」

 無性に居たたまれなくなり、うつむく。先ほど日向はベラドンナに殺されそうになった時、星名のことなど助けなければ良かったと思ってしまっていた。身勝手な自分を励まそうとしてくれる星名へ対し、身を縮める申し訳なさで一杯になる。

 感謝をされるような人間ではない。いつでも、どこでも逃げてばかりの人生だ。唐突にもたらされた異能に甘え、人に誇れるほど努力をした覚えはない。血の滲む様な訓練も、誰かに言われたから行っていたに過ぎない。

 ここにいれば楽だから、何も考えずに済む。犬のように投げられたボールを必死で追いかけ、咥えて帰るだけ。ボールが池に入り、取れないと悟るとすぐに引き返した。ボールなんて幾らでもあるのだから。

 与えられた役割すら満足に出来ず、城之崎とも仲違いをしてしまった。いくら謝罪しても聞いてもらえず、行動で示すしかないとは思うが嫌われていると言うプレッシャーから萎縮してしまう部分もある。

 星名の言葉に返事も出来ず、ただ黙って下を向いていた日向の手が取られる。冷え切ってしまった手を、星名の小さな、僅かに湿り気のある両手が包み込んだ。

「大丈夫ですか?」

 彼女の手も、また冷たかった。

「ん、ああ、大丈夫。結構頑丈に出来てるからさ、心配しないで」

 他人の手をいきなり握るなんてどうかしてると思っても、包み込む手を払う気にはなれず、女性特有の甘い匂いと柔らかな手に、重たくなった手をいつまでも預けていたかった。

「でも、こんなに怪我してます。私を守ってくれた時と、それより前とで。だから、大丈夫だなんて信用できません」

 眉を吊り上げ星名が言うが、どこか駄々をこねる子供のような表情に見え、思わず笑いがこみ上げた。

「なんで笑うんですか! ここは笑うとこじゃありませんッ! 健気に心配する私に日向さんが感動する場面です! ……ああッ! なんですか、その微妙なモノを見る目は! なんなんですかッ」

「いやごめん。怒らないでくれ。感動してるってホント」

「笑いを堪えながら言われても説得力がありません……ああ! ニカッって笑うのも駄目です!」

「サービスだよ」

「結構ですッ!」

 星名が >< ←こんな目をしていた。

 気がつくと、遠くから車のエンジン音が聞こえる。救護隊のトラックがやってきていた。

 冷たい風が撫でるように過ぎていく。うっすらと残った夕陽がビルの陰から漏れ、空を青く染める。体内に入り込んだ毒が薄れていく感覚。吐き気も収まり、立ち上がることも出来そうだった。

 困惑する現状。日向達にとって、初めての学生部隊主導の任務。初めてクリーチャーではない、敵として現れた人間。

 城之崎が見せる敵意。それは両親からも向けられているのだろうかと言う不安。突きつけられていく己の無力さに震え、耳と目を閉じ蹲っていたい衝動に駆られる。

「寒いですね」

「うん、俺も寒くて死にそう。もうちょっと寄らない?」

「……はい」

 頬を染めた彼女が、そっと日向へ近づいた。

 凍えてしまいそうな現実の中で、星名と繋がれた手のひらだけが、少しずつ暖かみを帯びていった。



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