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HEALERS  作者: KBX
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第一章 日常と非日常

 一台の馬車が、森の中を進んでいた。

 空には雲がまばらで、太陽は森の木々に適度な陽光を浴びせている。その木々は緑色の葉を生い茂らせており、その木漏れ日が小型の馬車とそれを引く男を照らしていた。

 その道は獣道で、馬が歩くには少々過酷な道だった。それでも馬は大地を踏みしめ、男は黙々と木々の合間を歩いていた。

 やがて、森が終わり、馬車は小さな村に辿り着く。


 中央大陸の南部の山の中に、星の村と呼ばれる小さな村がある。村には、中心部の広場を囲うように木製の民家が数件建ち、日が昇る方角に石でできた大きな青い屋根の建物、つまりこの村の教会が建っている。その教会の反対側からは、民家の間から小型の馬車がすれ違えるほどの道が森の中へと伸びている。

 シリア・セルヴィッジは、十五年前にこの村で生まれた。この世界では、名・姓の順なので、シリアが名前、セルヴィッジは名字だ。黒くて短い髪と、同じ色の目を持っている。

「ファイアー!」

 そのシリアは、村の中心部の広場で対峙している二人の少年を眺めていた。二人の年齢はシリアと同じぐらいだろうか。二人とも半袖に短パンという軽装で、その片方、シリアと同じ黒髪の方は、頭に丸い木でできた板を付けており、もう片方、茶髪の方は、長靴をはいている。

 木の板を付けた黒髪の少年がしゃがんだ瞬間、その上をテニスボールぐらいの大きさの小さな火の玉が通過していった。

「ファイアー!」

 茶髪で長靴をはいた少年が黒髪の少年を指差してからもう一度そう叫んだ時、茶髪の少年の指先から小さな火の玉が発射された。ボールを投げるような速度で放たれたそれは、まっすぐに黒髪の少年へ向かって行き、

「っ!」

 黒髪の少年は、とっさにしゃがんだ状態から、相手に向かって右に飛び跳ねた。態勢が崩れ、地面に両手をつく。火の玉は、さっきまで彼がいた地面に着弾し、すぐに消えた。

 それを見て、先ほどから火の玉を飛ばしている茶髪の少年が、指先を黒髪の少年の的に向け直して、

「ファイアー!」

 もう一度叫んだ。茶髪の少年の指先から火の玉が飛んで行く。

 態勢を崩している黒髪の少年は、とっさに左腕を上げ、飛んでくる火の玉の少し先を指差し、

「ソルト!」

 そう叫んだ。


 魔法、という言葉に聞き覚えがあるだろうか。

 古今東西、非科学的な超常現象や超能力は人々にそう呼ばれていた。星の村や、少なくともこの大陸でもそう呼ばれている。

 彼らが使っているものも、魔法の一つだった。

 

 ソルト、と叫んだ、黒髪の少年、ジョン・アルバートの指先から、火の玉よりも一回り小さな白い塊が発射された。白い塊は火の玉に命中し、引火することもなく、お互いが衝撃で弾けとんだ。

 そして、その火の粉が、

「あっちぃぃいいいい!」

 火の玉を撃ち落としたジョンの左手に降りかかった。


 その様子を眺めていたシリアは、慌てて火傷をした少年にかけ寄った。

「だ、大丈夫?」

「大丈夫じゃないから……早くしてくれ、シリア」

 シリアはジョンが言い終わるより前に、火傷をしているジョンの左手を指差して、

「ヒール」

 そう呟いた。すると、火傷をしている左手の症状がみるみる回復していき、一瞬で何事もなかったような状態に戻った。

「ちぇー、俺の負けかぁ。ていうかあんなんで撃ち落とせるのかよ」

 そう言いながら、先ほどから火の玉を飛ばしていた少年が悪びれる事なく二人に近寄った。怪我をしたジョンを心配する素振りはない。

「まあ、たまたま上手くいってよかっ」

 ジョンがそこまで言ってから、途端に言葉を止めた。二秒ほど固まった後、ジョンは自分の腕の様子を見て、何事もないことを確認するとすっくと立ち上がり、

「ふはははは!この漆黒の魔王ダークネス・ファンタズマロードの手にかかれば、その程度のこと雑作もないわ!」

 そう言い放って、左腕を伸ばし、先ほどまで火傷を負っていた左手を開いてよく分からないポーズを取った。

 そこに、

「はいはい、その左手引っ込めないと次は火傷で済まないかもよー?」

 もう一人の観戦者が、呆れた様子で声をかけた。上下共に動きやすそうな赤いジャージ姿で、肩までかかる茜色の髪の少女は、周囲からエストと呼ばれている。

 バカにしたような言い方のエストに、ジョンが演技がかった調子で言い返す。

「む、小娘ごときがこの我を愚弄するか」

「あんたも年齢同じぐらいでしょ。さ、とっととソレ外しなさい」

 エストは漆黒の魔王を名乗るジョンの頭上につけられている的を指差した。ちぇー、と言いながらジョンはアゴにかかっていたヒモをほどいた。すると、ジョンの頭からヒモのついた的が落ち、それを先ほどまで火の玉を飛ばしていた少年の手に渡した。

 そして、

「じゃあ次、あたしの番ね!」

 その様子を見てから、エストはそう言った。


 シリア・セルヴィッジは、ヒールというとても珍しい治癒魔法の使い手で、頭部に的をつけてそれを破壊できたら勝ち、という無茶な遊びが成立するのは彼のおかげである。

 その恩恵にあやかって、彼らは魔法の訓練、もとい『勇者と魔王ごっこ』ができるのである。“勇者”は三回魔法を使って、“魔王”の頭部、もとい的を打ち抜けば“勇者”の勝ち。三回使った時点で的が壊れてなければ、世界征服が完了して、“魔王”の勝ち。という設定だ。


「あたしが勇者をやるわ。イード、あんたが魔王」

「なこと言ったって……」

 イードと呼ばれた少年、イーニッド・ドレイクが、少し困りながらそう答えた。

「……もしかして」

 シリアがそこまで言ってから、エストははっとして、急に青い屋根の建物の方に走り出した。ちょっと忘れ物、と、エストは背中を向けながら言った。残された三人は、それぞれ困った表情で顔を見合わせる。

 彼らが困惑している理由は、彼女が女だから乱暴な遊びは好ましくないということでも、彼女が“勇者”として並外れた実力を持っているからでもなかった。

 彼女は、魔法が使えなかったのである。


 エストは、星の村の教会に住んでいた。

「うちは孤児院じゃないんだよ、まったく……」

 村の教会の管理人は、誰が呼んだか、神父と呼ばれている。なぜそう呼ばれるかも不明で、気づけば文化に浸透していたようだ。この村の神父は、六十を超える老人で、男性。服装はいつも、灰色のセーターに薄い青の長ズボンという、少し暖かそうな普通の服装だ。しかし、話が分かる人であり、子供達のよき理解者だった。

 その神父が、彼女を預かる時にそう呟いたという。今から十二年前の話である。

 彼女を引き渡す際につけられた名前がエストだ。姓はなく、またその名の由来を彼女はまだ知らないが、

「ただいま、神父さん!」

「おお、お帰りエスト。外で遊ぶのはもういいのかい?」

「ううん、ちょっと忘れ物を取りに来ただけ!」

 この神父と、彼女を拾った者だけが知っていた。


 エストは住んでいる教会に戻り、すぐに実験室に向かった。

 この教会の実験室は、ほとんどエストの研究室と化している。

 実験室の壁はどの教会でも、ある特殊な金属で出来ており、ほとんどの魔法では破壊できないようになっている。広さはそれなりで、人が六人は窮屈することなく横になれる程度だ。その特殊な金属でできた床の上には様々な工具が散乱しており、また途中で放棄された作りかけの機械やら完成しているように見える機械、そしてその部品がごった返していた。その開いたスペースに、人が座るためか羽毛が敷かれている。

 エストはその乱雑な部屋の中から、長い棒状のパーツに腕のようなパーツが二本くっついたものに箱状のパーツと細かいパーツが組み合わさった、黒光りするよく分からない機械を拾い上げると、実験室を後にした。少し重い扉を開けると、今度は広い部屋に出る。ガラス窓は昼間の明るい外の様子を映し出し、沢山の椅子は部屋の隅に片付けられている。この部屋は魔法の知識や考え方、研究内容ついての講義を行なう部屋で、いわゆる講堂と呼ばれるものだ。こちらはこの村でも活用されており、神父が話をしたりするほか、集会などにも利用される。講堂には三つの扉あり、一つは先ほどの実験室へ、もう一つは神父の生活スペースへ、最後の一つは外へと繋がっている。

 エストは、外へと繋がる扉を開け、三人の元に戻った。


 彼女が魔法を使えない理由は至極簡単で、どの魔法を試しても一切の反応がないからである。十二年前、それこそ彼女が教会に住むようになってから、毎日のように試し撃ちをしたが、ついに記録されている全ての魔法を試し尽くし、それでも何の成果も得られなかった。

 というわけで、彼女はこの『勇者と魔王ごっこ』において、“勇者”になることはできなかったのだが、

「ついに『コレ』が完成したわ!」

 彼女、エストはその『コレ』を片手で高く掲げ、三人の前に立った。

「……それ、例の弓矢の改良版?」

 シリアがそう尋ねて、

「そうよ!」

 エストは元気よく返事をした。

 そう、魔法が使えなくても、的さえ打ち抜けば“勇者”になれるのである。

 以前からどうしても“勇者”になってみたかったエストは、山のふもとの港町から仕入れたり神父が持っていた機材を駆使し、『コレ』を作っていた。

 もっとも、ここまでに数々の苦難があったのだが、

「ついに完成したわ!見てなさい……あれ?飛ばない?」

「遠くまで飛ぶようになったわ!矢を変えるから三十分待って!」

「一気に三発連射できるようにしたわ……ちょっ、真っすぐ飛んでよー!」

「……よし、だいぶ真っすぐ飛ぶようになった!でも、ちょっと速度が遅いわね……」

 完成したわ!とエストが宣言してから一年近くが経過し、今に至る。

 シリアが不安そうな顔で、

「ずいぶん形が変わったんだね……前はもっとシンプルだったのに」

「まあね。実用性ってのを求めるとなんでもこうなっちゃうのかもね」

「はぁ……」

 シリアはため息をついた。ジョンとイーニッドも、疑惑の顔を向けている。

 前回の課題は、発射までに時間がかかることだ。細かい作業を数回行わなければ発射できず、実際に動き回る相手に当てることは困難な代物だった。

 エストは、機械の腕の部分に一本ずつ、本体に一本の木の枝をセットした。木の枝はあらかじめ、できるだけ真っすぐになるように削ってあるものだ。エストはそれを構えて、

「さ、準備はいい?」

 シリアとジョンがエストから離れて、イーニッドも少し困り顔のまま的をつけた。

 そして、イーニッドとエストがある程度距離をとってから、

「じゃあ……『勇者よ、来るがいい!』」

 イーニッドが凛とした顔に切り替えて、“魔王”のセリフを言ってから、エストが機械をイーニッドに向けた。

 そして、エストは叫んだ。

「シュート!」

 その瞬間、機械から木の枝が打ち出された。打ち出された後の場所に、腕の部分が持っていた木の枝が再装填され、もう一度打てるようになった。

 そして、飛んでいった木の枝は、

「はおあっ!?」

 イーニッドの股間に直撃した。


 その日は、そのままお開きとなった。

 木の枝が不幸な彼の股間を直撃した後、シリアが慌ててイーニッドにヒールを使い、ジョンは顔を真っ青にしながら自分の股間をおさていた。

 エストはイーニッドを心配する素振りを見せながら、

「うーん……命中精度に難があるわね……でも技術でカバーすれば……」

 などと呟いていた。

「……わざと狙ったわけじゃなくて……よかったよ……」

 傷は癒えてもショックは癒えないイーニッドが、元気がなさそうにそう言った。


「ただいまー」

「お帰り、シリア。夕飯ができてるから、手を洗って来なさい」

「はーい」

 シリアは自分の家に帰って、母親と夕食を済ませる。

 彼は母親との二人暮らしだ。父親は遠い所で働いている、とシリアは聞いているが、実際はいわゆる遠洋漁業を営んでおり、かなり遠くの海まで漁に出ている。たまにセルヴィッジ家宛に港町に魚が届くので、母はシリアが彼の父が漁師であることを知っていると思ているが、彼は特に父について考えることはなかった。

 夕食を終えて、入浴を終えたシリアは早めに寝床についた。

 彼の就寝は早い。というのも、就寝は彼の楽しみのうちの一つでもあった。


 シリアは、雲の上にいた。

「イーニッドさん、災難でしたね」

「まぁ、キミが治せる範囲でよかったよ」

 シリアは、雲の上で誰かと話している。

 その誰かは、薄いピンク色の光の影だ。ぼんやりとしているが、女性の形に見えなくもない。シリアは、その影と、夢の中で会話していた。

「でも、たまに思うんだけど。イードがいなかったら、ああなってたのは僕じゃないかなって」

「うふふ、そうだとしたら、イーニッドさんは守り神ですね」

 光の影に表情はないが、シリアには影が穏やかに笑っているのが分かった。

「そうだね……昔から、それこそヒールが僕に会いに来てくれた時から」

「ええ、マスターが魔法を使えるかもしれないと言って、真っ先に怪我をして飛んできてくれましたよね」

 光の影の正体は、癒しの魔法の精霊、ヒールだ。

 魔法の原理の三説のうち、シリアは精霊説を支持している。というより、精霊説が正しいと知っている。シリアはある日突然癒しの魔法の精霊の夢を見て、実際に次の日に癒しの魔法が使えるようになった。当日は誰も信じてくれず、今でも彼がこの夢の話をしても聞いてくれる大人はほぼいない。イーニッドだけが本気にして、わざとすべってころんですり傷を作り、実際は骨が折れていたが、それを一瞬のうちに治したのだ。

「明日は、どうなるかな」

「さあ……でも、もう朝ですよ、マスター」

「うん、それじゃあ、今日もよろしくね」

「はい」

 ヒールのそんな返事を聞いてから、シリアは目を覚ました。朝だった。


 次の日、朝食の席にて、シリアは母親にあることを頼まれた。

 内容は、ふもとの港町への買い出しだ。村で手に入る物は限られており、村の住民はしばしば港町を往復する。この村から唯一伸びている道は、その港町へと続いている。

 お金と鞄を渡され、シリアは家の外に出る。すぐそこの広場では、既にイーニッドとジョンがいて、何やら会話をしていた。昨日とほぼ変わらない服装で、イーニッドはやはり長靴をはいている。シリアは声をかける。

「おはよう、二人とも」

「おう、シリア。お使いか?」

 イーニッドが、シリアの持っているものを見てそう言った。シリアが返事する。

「うん。二人は?」

「ああ、お前待ちだったんだけどな」

 どうやら二人は、朝一番でまた『勇者と魔王ごっこ』をするつもりだったらしい。しかし、基本的に怪我が多い遊びなので、シリア抜きでは始めることはできなかった。

 それはシリアも理解していたので、

「あー、じゃあ少し遊ぶ?」

 そう気をきかせたが、

「汝の任務を優先すべきだろう。我が野望はその程度のことで潰えはせぬ」

 既にヘンなスイッチが入っているジョンにそう断られた。イーニッドが、

「というか、俺たちも一緒に行くよ。どうせ暇だし」

 そう続けた。断る理由は特になかったので、シリアはこれを承諾した。

「あ、じゃあせっかくだからエストも誘って行こうか」

「うむ」

「おう」

 シリアの提案に、ジョンとイーニッドがそう返事をしてから、

「じゃあ、俺は準備するから、二人でエストを呼びに行っててくれ」

 イーニッドはそう言って、自分の家へと歩き出した。彼が出かける時に持っていくものを二人は承知しているので、シリアとジョンは気にせずエストの住む教会へと向かった。


 結論から言うと、エストは寝ていた。

「昨日の番、やけに熱心に練習しておっての……なんだったかな、矢を打ち出す機械の。それで今はぐっすり寝ておるよ」

 神父さんはそう言った。

 昼頃には目を覚ますだろう、そう神父さんが言って、二人は村の広場に引き返した。

 そこから、出かける準備を終えて自宅から出てくるイーニッドの姿が見えた。


「今日は豊作だね」

 三人が歩いている港町への道は、人通りも少ない。ゆるやかな下り坂を、横に並んで歩いていた。道の周りには木々が生い茂り、時々その隙間から、朝の港町と海が見える。

 港町には大きな通りが東西に伸びているのだが、彼らの道はその大きな通りには合流せず、港町の真北に出るようになっている。 

「ああ、これで八、だな」

 イーニッドは、自分がふんづけた動物のフンを、持参した紙で包んでから持参した袋に入れながらそう答えた。

「いちいち大騒ぎしていた頃が懐かしいね」

 シリアが慣れた口調でそう言った。

 イーニッドの運が悪いのは昨日に始まったことではない。シリアやジョンが知る時からずっと、彼は不運だった。彼がいつも長靴なのは、何をふんでもすぐに洗えるためである。

 九、とイーニッドは自分の足下を確認せずにそう言った。踏んだかどうかが、足の感覚だけで分かるらしい。彼の背負うカバンには、町についた時に靴を洗うための水が入っている。

「この技能、何かの役に立たないかな」

「立たんだろうな」

 ジョンが素早くそうつっこんだ。

 実際、この道のフン掃除での清掃はイーニッドが行なっているようなもので、利用者が少ない道だが、地味に役には立っている。

 そんな自覚もなく、十一、十二……と、イーニッドは呟きながら、今日も道を綺麗に掃除していた。

「昨日のこと、そんなに悔しかったのかなぁ……」

 シリアはふとそう呟いた。

「なんのことだ?十三」

「そうかもしれんが、完成間近の物がそこにあるなら徹夜は当然の選択肢だろう」

 話が読めないイーニッドと、話が読めたジョンがそれぞれ返事をした。

「エストのことだよ。で、完成間近っていうと?」

「今までの問題点は、技術でアレを改良せねば克服できぬ代物だったはずだ。しかし、今回は自らの技量——テクニックでカバーできる問題だ。そして、十分な鍛錬の上で百発百中の兵器と化した時、アレは完成するのだ」

「兵器って……」

 ジョンの説明に、シリアは苦笑いで返した。

 その後も他愛ない会話が続き、今日の昼食まで議論したのち、三人は港町に到着した。イーニッドのカウントは結局、二十で打ち止めとなった。


 この大陸は、中央大陸と呼ばれている。

 世界の中央にあるとされることが由来だが、実際のところは定かではない。しかし、他の大陸に比べて最も気候が安定していることと、その中心部の地形から、この説は有力視されることとなった。

 正円に近い形をしているこの大陸の中心部は、“破滅の大地”と呼ばれている。

「デストラクトオブグラウンド……これほど我が居城に相応しい地はあろうか!」

 そう言って探検に行こうとしたジョンをなんとか引き止めたのが、三年前ほどのことである。

 その名の通り、岩盤が剥き出しとなり、所々漆黒の岩が突き刺さるのみの、殺風景でこの世の終わりを思わせる土地だ。そこには全てを滅ぼす巨大な生き物が住んでいる、とか、神様が住んでいて世界のあらゆるものを創造している、とか、美少女の剣士が修行の場として使っている、とかいう憶測や推測が飛び交い続けている。その「破滅の大地」を囲うように大きな山脈が存在し、その山々からは貴重な鉱物が取れたり、わき水が出て河川を作り出したり、また植物を育て人を住まわせたりしている。

 その山のうち、南側にある一つを南側に下山して、南側に少し歩いたところ、つまり大陸の南端に港町は存在した。


 中央大陸の玄関口というだけあって、港町はかなり大規模な町だ。

 山に近い方、つまり北側は民宿や一般住宅が並び、星の村の何倍もの家が建ち、星の村の何倍もの人が住んでいる。その家々を南に抜けると、大きな青い屋根の建物、通称“教会”がある。教会の前は大きな道が東西に向けて通っており、道の向こうには市場が並んでいる。その向こうに見える、大きな灯台のある埠頭には、今日も大きな商船が何隻も停泊していた。

 なので、市場に真っすぐ行こうとすれば、教会のそばを通ることになる。

「今日も何かやってるみたいだな」

「催しか?」

 そこの前に立てられた看板に、イーニッドとジョンが反応した。二人が足を止めてしまっては、もう一人も足を止めざるをえない。

 イーニッドが、看板の文字を読み始める。ちなみに、彼の長靴は町についた時点で持参した水によって洗われており、フンは住民のゴミ捨て場に捨ててある。

「なになに……『魔物の生い立ち講座……どこから魔物は生まれたのか』」

「魔法関係ないじゃん!」

 シリアが思わずツッコミを入れた。その直後、

「魔物か……面白そうだな」

 ジョンがそう呟き、教会のほうへ足を進めようとした。慌ててイーニッドが止めるが、

「おい、シリアのお使いはどうするんだよ」

「む……しかし、既に催しは始まっているようだぞ」

「まぁ、すぐに売り切れるものじゃないし、買い物は後でも……」

 シリアがそう言ってしまったので、三人は教会に立ち寄る事になった。


 教会の大きさは、町のそれに比例する。

 星の村では一軒家程度の大きさの教会も、港町では一際巨大な建物だ。石で作られた建物の大きな木の扉を開けると玄関があり、その先の廊下にはいくつもの扉があった。その中で、講義中、と書かれた扉に三人は入っていく。

 扉の先は、大広間だった。星の村の教会の講堂の三倍の広さのそこには、すでに大勢の人が長椅子に座っていた。前方に見える大きな黒板の隣で、教壇に登って一人の男が講義を始めていた。

 三人は右側の空いていた長椅子に座った。一番左がジョン、真ん中にシリア、右端がイーニッドだ。

 講義の内容は、魔物の生い立ちについて。


 そもそも魔物とは、七百五十年前に存在したとされる生物のことだ。

 今となってはおとぎ話だが、当時は魔王を名乗る存在がいたらしく、ジョンのような人間を指しているわけではないが、それが引き連れていた生物たちが、魔物と呼ばれている。魔王に仕える生物だから魔物と、一般的には考えられている。その姿は砂でできた人形だったり、木に凶悪な牙がついたものだったり、形を自由に変える液体など様々だ。当時の人々は単純に、砂の魔物、とか、木の魔物、などと呼んでいたが、

「サンドマンに、ウッドファングに、スライムだろ?」

 ジョンがそう呼ぶように、最近はそんな名前でおもちゃやゲームのキャラクターになっていたりした。呼び方は人それぞれで、ジョンの言うサンドマン——砂の魔物は、他の大陸ではゴーレムやスナーンと呼ばれたりする。

「その魔物たちは、なんと!魔法で動いている生物だったのだ!」

 今回の講義の内容は、そんなテーマだった。

 七百五十年前の魔王は既に当時に討伐されたとされており、同時期に魔物もほとんどが姿を消している。しかし極稀に、人前に姿を現す魔物がいるらしく、研究者達の格好の的となっていた。

 その中で分かってきたこととして、ある一種の例外を除いて魔物は全て、動物以外のものと類似している点がある、ということが今回の講義の第一のポイントだ。そして、魔王または他の誰かが何らかの魔法を使い、それらを動物として使役している、という可能性を提唱した。

 そして、その魔法が存在すると考えられた場合、次に行なわれるのは使用者の特徴の推測だ。魔法の使い手には傾向があり、同一の魔法の使い手に性格や趣味、嗜好が似通っている場合が多い。それについての講義がしばらく行なわれ、

「以上の可能性がある者が、この『魔物生成』の魔法の使い手となれる可能性がある!」

 というところで、講義は終わった。


「……毎回思うんだけどさ」

 教会を出て、目の前の大きな道を横切って市場に向かうシリアが口を開いた。

「あそこに集まってる人って、ほぼ全員が何かの魔法を使えるわけだよね?」

「ああ、多分な」

 イーニッドがそう答える。

「魔法を使えぬ者が、あれに興味を持つのは難しいだろう」

 ジョンもそう添える。教会を訪れる人間で、魔法が使えない者は、まず魔法の習得に興味を持つだろう。新たなる魔法の理論なんかの講義には、興味を持ちにくいはずだ。

 シリアが、だよね、と返してから、

「じゃあ、新しい魔法が使える人ってのは、あの中からは出ないんじゃ……」

「ああ、多分な……」

 イーニッドが同じ相づちを打った。

「しかし、複数の魔法の使い手——『協奏の詠唱者シンフォニア・カンターレ』が存在する可能性も残されている」

「それ、学名じゃないよね……?」

「無論だ」

 シリアがはぁ、と安堵して胸を撫で下ろした。

「ちなみに、昔はいたらしいぞ」

 ジョンがそう付け加える。昔といっても数千年ほど前の話なのだが、彼はそのことについて説明するよりも、新しい魔法のほうに興味関心が行った。

「しかし、どのような魔法なのだろうな。『モンスタークリエイト』か、『メイクアニマル』、ちょっと長いな……」

 ジョンが新しい魔法の名前の予想を始めたとき、三人は道を渡って市場に到着していた。

 市場には、他の大陸から取り寄せられた様々な品が陳列されている。

 行商人はここから商品を仕入れて北へと運んでいくので、北に比べるとこの町の物価は安い。野菜や魚なども新鮮なものが手に入った。特に野菜は、この大陸の土壌が栽培に向いていないせいか、ほとんどが他大陸からの輸入に依存している。代わりに鉱物や機械の技術が発達しており、それを他大陸に輸出していた。

「さて、予算はこれだけだけど……」

「こんな大量に買えるのかよ、この金で……」

 財布と注文を見たイーニッドが不安げにそう言った。シリアに渡された財布には、何も考えずに買い物すれば注文の半分ほどしか達成できない金額しか入っていなかった。もちろん品物の値段は店によってまちまちであり、賢く買い物をすれば大幅に費用を削減することも可能だ。

「試練というやつだな。参ろうではないか」

 先ほどの魔法の名前を考えるのをあっさりやめたジョンが、そう言って店を回り始めた。


「なんか、あっさり買えたな」

 全ての買い物が終わって、荷物持ちを手伝うイーニッドがそう呟いた。

 三人は帰路についており、港町北部の住宅街を北に歩いていた。現在は昼過ぎで、昼食も既にとっている。

「我の顔パスのお陰だな」

 ジョンが自慢げな顔で自分の成果を偽造するのに、シリアがツッコミを入れる。

「いや、そんなのないでしょ」

「ん、話していなかったか?我はこう見えても昔この町で顔を効かせた貴族の末裔で——」

「はいダウト」

「くっ」

 ジョンが悔しそうにそっぽを向いた。シリアもイーニッドも、小さい頃からジョンとは同じ星の村の育ちだ。貴族という話も間違いなく作り話だ。

 シリアが母から貰って、ジョンが持っている鞄の中は数日内に食べるであろう肉、ちょっとした日用品と薬が入っている。予算の大半を持っていくのは薬だが、今回の買い物が安くついたのも薬のおかげだった。ちなみに、イーニッドのカバンには使った水に代わって海水が入っており、結構重い。

「なんでも、氷の大陸で革命があったらしい」

 そんな重いカバンを背負っているイーニッドがそう言った。市場では別行動だったので、彼の耳にだけ入っていたらしい。

 氷の大陸のことは彼らはよく知らないが、鞄に入っている薬が氷の大陸でよく取れることは知っていた。そこでなぜ革命が起こり、なぜ薬が安くなっているのかは知る由もなかった。

 ふーん、と、シリアが聞き流したところで、どしん、と誰かにぶつかった。

「いたっ」

「きゃっ……」

 シリアがぶつかったのは黒い短髪で黒い服の少女で、二人ともしりもちをついた。少女は、シリアが立ち上がるより早く立ち上がり、

「おいおい、大丈——」

 イーニッドがそう言い終わる前に、何も言わずにその場を走り去っていた。

「……どうしたんだろ、急いでたのかな」

 シリアがそう言いながら立ち上がって、

「ああいう時、いつもぶつかられるのは俺なんだけどな」

 イーニッドが腕組みしながら、何か達観したようにそう言った。

「ふむ。この運命の出会いから新たなる物語ストーリーが……」

 ジョンがそう言い出して、

「いや、小説じゃないんだから」

 シリアがそう言って止めた。その直後、

「……ん?」

 家の影になっている所に、小さな黒い手帳が落ちているのを見つけた。

 さっきぶつかった時に落としたのだろうか。シリアがそう思いながら、何気なく拾って、何気なく中を見てみると、一ページ目にはボールペンでこう書かれていた。

 この手帳を拾った者は死にます。

「……は?」

 シリアと、それを除きこんだ二人は一瞬呆気に取られてから、

「いや、小説ではないのだから、脅しかなにかだろう。見られたくないことが書かれているとか」

 先ほど小説のようなことを言い出したジョンがそう言った。もしくは我が眷属か、と付け加えて。

 まあ、そうだね、とシリアがジョンに言い返して、

「……手帳を拾った者は死ぬ、じゃあ脅しの意味なくないか」

「まあ、そうだね」

 シリアがイーニッドに言い返した。拾った時点で死ぬのなら、中身を読んでも同じである。

 しかしシリアは、拾った手帳を読まずに閉じてからカバンの中に入れて、

「また会ったら返してあげよう」

「……名前も知らない相手と会うかな」 

 イーニッドがそう苦笑しながら返事をして、三人は村への帰り道を歩き始めた。


「む……これは、誰か村に来てるな」

 行きが下り坂なら、帰りは当然上り坂だ。

 イーニッドが五つ目のフンを踏みつけた時点で、そう呟いた。彼は、行きと帰りのフンの量で道を通行した動物の数が分かるほど、この作業に精通していた。もちろん、人間が使役しない動物のものである可能性もあれば、いつもと変わらない量でも徒歩で訪れる人間もいるので、結局は当てずっぽうだが。

 しかし、この日の彼の予感は、結果的に当たっていた。


 村に戻って、イーニッドは長靴を洗い、シリアは買い物の荷物を家に置いているので、ジョンが先行して教会へと、そろそろ起床しているはずのエストを呼びに行った。

 すると、神父の後ろに見知らぬ男性の姿が見えた。港町でシリアにぶつかった少女の服より黒い漆黒のフードに、漆黒のマントをしている。全身黒ずくめで、肌は白かった。その男性の金色の瞳が、ジョンの視線と合って、

「その子は?」

 男性が神父さんにそう言った。

 神父は、ジョンが自分の本名を名乗りたくないことと、男性が多少の無礼を気にしないことを知っていたので、ジョンに自己紹介する機会を譲ってくれた。

「ふぅん、我が名は星々の魔王ファントムスターロードだ。貴様も名乗るがいい!」

 漆黒の、とつけたかったが、自分よりも相手のほうが圧倒的に黒いのでやめておいた。失礼な名乗りに、失礼にも相手に右上を伸ばし、手のひらを見せる。

 男性は、一瞬固まって、はっはっは、と笑ったかと思うと。

「我が名は漆黒の魔王だ。面白き人の子がいるものだな」

 立ち上がり、マントをばさっと右手で払ってそう名乗り出た。フードの下の金色の瞳が光った。

 今まで呆れられはすれ乗ってくる大人はいなかったので、ジョンは怯んだ。

 漆黒の魔王を名乗る男性が、威圧感たっぷりにつかつかとジョンのほうに歩み寄る。その様子を、神父は面白そうに眺めていた。

 男性が、ジョンの目の前に立ち、腕組みをする。ジョンは後ずさりしようとしたが、何故か去勢を張って負けじと腕組みをした。

「はいはい、それまでそれまで」

 神父がそう言って、男性はふっと笑ってからジョンに背を向けて、距離をとった。

 緊張から解き放たれたジョンが、はあーっ、と息を吐く。

「で、どうしたのかな……と、エストか。練習だ、とか言って裏の森に行きおったぞ」

 神父は、ジョンが質問する前に、ジョンが聞きたかったことを教えてくれた。

「あ、はい。ありがとうございます」

 ジョンは神父にそうお礼を言って、教会から出ようとした。

「待て」

 そこに、漆黒の魔王を名乗った男性から、制止の一声がかかった。

 はい、とジョンが振り向くと、男性は自分の着ていたマントを脱いで、

「餞別だ、受け取れ」

 ジョンに投げて寄越した。少し大きなマントだったので、ジョンの顔にかかったそれは彼の視界を奪った。

「え、でも——」

「そのマントが似合う人間になれればよいな」

 漆黒の魔王を名乗る男性は、そう言って奥の部屋に戻って行った。

 その様子を、ジョンは見る事ができずに、

「あ、ありがとうございます……」

 その声も、届かなかった。


「ジョンさん、どうしてしまったんでしょう」

 その日は、ジョンが教会から出てきて、二人に合流するなり、

「ちょっと俺、寝るわ……」

 そう言って、黒い布を持ったジョンは自宅に引きこもってしまった。

 シリアにとってはいつもの、雲の上でヒールと話す夢。昔、精霊はずっと人間達を見ているとヒールは言っていたが、目を離すこともあるらしかった。

 しかし、シリアはジョンの様子がおかしかった理由を知る由もなかった。

 しばらく、うーん、と悩んでから、ヒールが他の話題を切り出して、次の日の朝が来た。


 港町へと買い物に行った三日後、

「シューット!」

 エストは、久しぶりに星の村の広場に姿を表した。

 天気は晴れだが、少し雲が出ており、今は丁度日光を遮っている。風はほとんどなく、不快感を感じさせない気温と相まって、アウトドア日和だった。

 星の村の広場には、ジョンが“魔王”役としてエストと対峙しており、それをシリアとイーニッドが観戦している。いつものようにエストは上下ジャージで、他の三人は半袖と短パン、イーニッドはいつもの長靴。そのイーニッドは、いつ自分のほうに流れ弾が飛んできても大丈夫なように、右腕を伸ばして構えていた。エストのジャージの下のポケットには、木の枝が二本刺さっている。

 エストは例の機械を森の中で練習し、ついに的に当てられるようになったらしい。

 そして、かけ声と共にぷんっ、という音がして、機械につけられていた木の枝はあさっての方向に飛んで行った。

「……ダメじゃん」

 ジョンが、枝の飛んでいった方向を確認せずにそう言った。

「くっ、まだあと二発!」

 エストはそう言って、ポケットの木の枝を抜いて、機械にはめ込んで、放つ。

 そして、二発目と三発目が綺麗に外れた。

「昨日は当たったのに……!」

 エストが悔しそうに言う。そこに、呆れた調子でイーニッドが声をかけた。


 今日も、エストは裏の森にいるらしい。

 一昨日からジョンは外に出てこない。エストの様子でも見てみようと、シリアとイーニッドはエストを探しに裏の森に入った。

 時刻は昼の少し前で、雲一つない青空。風が少し吹いているのが心地よかった。

 裏の森、教会の裏の森なのだが、要するに星の村の北に広がる森林だ。星の村がある山は木々が生い茂っており、真っすぐ抜けられれば破滅の大地へと辿り着くこともできる。

 しかし、彼らが立ち入るのは村の近辺のみで十分だ。

 それでも人を捜すには苦労する広さだが、少し奥に進んだとき、

「いてっ!」

 イーニッドの脇腹に、木の枝が当たった。

 痛みにイーニッドは思わず膝をつくが、大丈夫、とシリアがイーニッドを心配し、人差し指を伸ばそうとして、それには及ばないとばかりにイーニッドはシリアに手のひらを向け、すぐに立ち上がった。

 枝は、綺麗に手入れされており、表面のでこぼこができる限り削られている。シリアが飛んできた方向を見ると、木の横にかすり傷がついているのが見えた。

 かすり傷のついた木の近くまで近寄ったところ、こちらを向いているエストが見えた。

「あれ、シリアにイード、こんなところで何してんの?」

 エストはそう言いながら、こちらに歩いてきた。イーニッドに流れ弾が当たったことは気づいていない。

 シリアは、エストがこちらに近づくのを待ってから話しかける。

「エストを探しに来たんだよ」

「ああ、神父さんから聞かなかった?練習中よ、練習中」

「うん、だから調子はどうかなってね」

 シリアはそう言ってから、エストの持っている例の機械の変化に気づいた。前のものにあった腕の部分腕の部分がなくなり、コンパクトになっている。

 シリアが理由を聞いたところ、

「邪魔だったから取ったのよ」

 エストはそんな返答だったが、それを聞いていたイーニッドは、実際は森の中でぶつけて壊れた可能性が高いな、と思っていた。

「じゃああたし、もうちょっと練習するから」

 そう言いながらエストは何かを探すように目線を動かしてから、イーニッドの近くに落ちている手入れされた木の枝を見つけて、それを拾い上げた。

 そのエストを目線で追いかけていたシリアの視界に、丸の描かれた紙が貼りつけてある木が入った。かすり傷のついた木とは二メートルほど離れている。紙は、破れてもいなければ傷ついてもいなかった。

 シリアがエストの練習方法を理解した時、

「じゃあ、もうすぐ昼飯だろうから、それまで見てるよ」

 イーニッドがエストにそう言った。シリアはどうするか特に考えていなかったが、とりあえずそれでいいかと思い、うんうんと首を縦に振る。

「ええー、気が散るんだけど……」

 そう言いつつも、エストは紙が張ってある木から少し離れて、シリアとイーニッドもエストの後ろに回り込んだ。

 そして、数発撃って、全ての木の枝が的を外した後、昼食を取りに村に戻った。

 その日のその後は、三人とも別行動となった。

 

「当たったのは俺に、だけじゃないか?」

 イーニッドのその言葉に、エストはきょとんとする。

 少し間が空いてから、

「ちゃんと的に当たったわよ?一発」

「一発かよ!」

 イーニッドが素早くつっこんだ。

 ジョンは何の事か分かっていなかったが、どうせイードがまた不運だったんだな、と悟って、何も言わないでおいた。

 シリアはシリアで、今日は平和そうだな、とのんきなことを考えていた。そうですね、という夢の中の声が聞こえたような気がした。


 イーニッドの家は、ごうごうと燃えていた。

 平和じゃなかったね、と、赤く燃えるイーニッドの家を見ながらシリアは考えていた。そうですね、という夢の中の声が聞こえたような気がした。

 経緯はこうだ。

 エストが意地を張ったせいで、お昼を過ぎてしばらくしてから、誰かのお腹の音が鳴って、ようやく遅い昼食をとることとなった。

 しかし、イーニッドの家の扉は開かなかった。エストが撃った流れ弾が、運の悪いところに当たったのだろう、とシリアは考えていた。人が歩いていたら危ないな、とも思った。

 そして、次に見たのは扉に向かってファイアの魔法をぶっぱなすイーニッドの姿だった。

 こうして、今に至る。

 イーニッドは一人暮らしで、星の村の住居はそれなりの距離を離して建てられているので、燃え移ったりする心配はない。イーニッドは空腹の頭で考えずに家に数歩踏み入れてから慌てて出てきたのでそこそこの火傷を負ったが、シリアがヒールの魔法を使ってことなきを得た。

「ていうか、イーニッドの家って何があったの?」

 シリアが、どのようなものが家にあるのか、というニュアンスで、隣で座って自宅が燃えている様を見ているイーニッドにきいた。

「ん、両親が離婚して一人って言わなかったか?」

 イーニッドが勘違いしてから、

「ああ、布団と……カバンと水筒と着替えぐらいかな」

「ああ、そこまで被害ないね……」

「いや、今日からどこで寝るんだよ……」

 それでも不幸中の幸いかもしれない、とイーニッドは思った。

「ソルトソルトソルトっ!……くっ、焼け石に塩っ!」

 ジョンは隣で、魔法を連射してから悔しそうにそんなことを言って、エストは

「教会に住ませてもらえば?部屋はまだ開いてたと思うし」

 なんでもないように振る舞って、イーニッドにそんなことを提案していた。しかし、原因が自分の意地と流れ弾によるものだと、エストは気づいていた。

 

 その日の夕方から、雨が振った。

 四人は『勇者と魔王ごっこ』以外の遊びを考案していた。もう少し早く振ってくれればな、とシリアは思って、自宅へと避難する。ジョンも自宅へ戻り、イーニッドとエストは教会へと入っていった。

「実は昨日まで客人が来ておってな、イーニッド君はその部屋に泊まるといい」

 教会に入って、事情の察しがよい神父がそう言いながら、神父の生活スペースの先にある部屋にイーニッドを案内した。

 ふぅ、と一息ついてから、エストは自室、教会の実験室に戻った。

 その日の教会の夕食は、イーニッドへの当てつけなのか、焼き肉だった。神父は、火をつける手間がかからなくていいな、と思った。

 しかし、エストがその夕食を食べにくることはなかった。


「きっとエスト、責任を感じて……」

 エストが教会にいない、という知らせをイーニッドから受けて、シリアとジョンは教会に集まっていた。

 まあ、うっかりファイアした俺が悪いよな。イーニッドはそう思いながら深刻な表情だ。

 まあ、うっかりファイアしたイードが悪いよな。ジョンはそう思いながら深刻な表情だ。

 夕食を終えてから半刻後、雨はざあざあと振り、空はすっかり真っ暗だった。

「夜の森は近づいちゃならんと、教えたはずなんじゃがな……」

 神父はそう言いながら、四人分の傘を持ってきて、そのうち三つをそれぞれに手渡した。

 本来、危険なところに子供を連れて行くのは望ましい行為ではない。しかし、神父にはこの三人がただ待っているはずもないことも知っていた。

 神父の見立てでは、今日のことを省みて、いてもたってもいられず裏の森に練習に出たのだろう、ということだった。三人の意見も、それで一致した。

「じゃあ、探しにいこうかの。恐らく森でまた練習しとるんじゃろ」

 神父は、わしから離れんようにな、と付け加えた。

 四人は、教会の正面からではなく、森に近い裏口から外にでた。


「そういえば、前はどうやってエストを見つけたんだ?」

 森に入ってすぐ、ジョンはシリアとイーニッドにそう尋ねた。

「流れ弾が俺に当たった」

 イーニッドはそう返してから、

「そうか、俺に流れ弾が飛んで来るのを待って……」

 そこまで言ってから、無理かー、と言って発言をやめた。

 夜の森は、暗い。雨がざあざあと降る音と、それが木々に当たる音のみが聞こえて、不気味さを演出している。

 神父が持ち込んだ光源は、中央大陸北方の鉱山で採取される発光石と呼ばれるものだ。衝撃を与えると発光する岩石で、半日ほどで元の状態に戻る。光は石の大きさに比例し、大きいものは灯台などにも利用される。しかし、衝撃を与えなければ発光しない性質上、小さなサイズでランタンのように使用するのが一般的だ。色のバリエーションは豊富で、一般的に見え辛い色のものほど安い。神父の使っているそれは、白く発光する比較的高価な発光石だった。

 それでも夜の森の闇は深く、持ち運べるサイズの発光石では足下の確認程度にしか役に立たなかった。神父たちは、音を頼りに捜索を行なっていた。

 神父が先頭を歩き、神父の右にジョン、左にシリアが歩いている。そして、神父の後ろにイーニッドというフォーメーションだった。一応、神父を除く三人の中で身体能力が一番高いのはイーニッドだ。

「そういえばイーニッド、ファイアで森を照らしたり」

「本日二度目の火事になるよ」

 ジョンの提案は、シリアが冷静に止めた。そもそも、この雨の中で火が使い物になるかは分からなかった。

 一時間ほど近辺を捜索したが、エストの姿は見当たらない。

「入れ違いになったかもしれんな」

 ジョンがそう呟いた。

 雨は止む気配がない。足下も悪く、長靴のイーニッドを除いて足の疲労がそこそこきている。一度教会に戻ろう、ということになるのに時間はかからなかった。

「あ、でもその前に、試さない?」

 神父が方向転換した時、シリアが突然そう言い出した。

 何を、とイーニッドが問い、

「イードが流れ弾が当たりそうなところに行って……」

 シリアが一時間前の自分の冗談を真に受けていたことを知った。

 しかし、それかよ、というイーニッドのため息のようなつっこみは、

「ほう、面白そうじゃの」

 神父の無慈悲な一言の前にかき消された。

 イーニッドが、思わず、え、という声を漏らした後、

「まあ、どうせ帰り道だ。試すのも一興だろう」

 ジョンがそう言って、イーニッドは少し前を歩くことになった。まぁいいけど。イーニッドはそう思った。

 そしてすぐに、

「いてっ」

 イーニッドがそんな声をあげた。

 しかし、それが流れ弾に当たったことによるものではないことは、その場にいた全員に分かった。

 イーニッドは、ころんだのだ。

 ずぶ塗れの森の大地は、当然ながら泥だらけだ。そこに突っ込んだイーニッドの服も、当然どろどろになる。イーニッドは頭から突っ込みかけたが、うまく両手で受け身を取った。

 ジョンは、いつものことのようにしか思わなかった。シリアがすぐにかけよって、でも何でもないんだろうな。そう思った。

 そして、思った通りになった。シリアがすぐにイーニッドの近くにかけよって、

「大丈夫?ヒールしようか?」

 そう問いかけていた。

 イーニッドは、こんなことは慣れっこだった。いつもシリアは心配してくれる、いい奴だな、と思っていた。転んだのが帰り道でよかった、とも思った。怪我は——していないようだ。

 大丈夫だ、問題ない。そう返事をしようとして、

「離れろ!」

 唯一、何につまづいたのかを見ていた神父が、そう叫んだ。


 魔物は、ある一種を除いて動物以外の何かと類似している点がある。

 数日前に、港町の教会で発表された内容は、星の村の神父も当然知っている。

 その“ある一種”は、七百五十年前、魔王の側近と言われ、最強の魔物とも言われていた。

 姿形に個体差はあるが、共通して大きな爬虫類のような体だが大きな翼と尻尾を持ち、凶悪な牙と爪、そして一息で周囲を破滅させる伝説の魔物——

「ドラ……ゴン……」

 本の中の世界でしか見た事がない、こいつだけはフィクションだと思っていたジョンが、本物のドラゴンを目の当たりにして、持っている傘を落とした。

 イーニッドがつまづいたものは、ドラゴンのしっぽだった。

 尻尾は薄暗い木々の奥から生えており、ぴしゃん、と転んでいるイーニッドの足を打った。その尻尾があった隣の木をばりばりとなぎ倒して、三メートルほどの巨体が現れた。

 二本足で立つタイプらしく、木をなぎ倒した腕は体全体に比べると小さい。その代わりに頭部は大きく、人を丸呑みできそうな大きな口に白い牙が光る。体全体は深緑色のウロコで覆われていて、翼を大きく広げてイーニッドの方を見下ろしている。この場にいる誰もが気づかなかったが、左足の樹皮のような大きなウロコとウロコの間に、小さな木の枝が挟まっていた。

 足に一撃を貰ったイーニッドは、

「ぎゃあ!」

 と悲鳴を上げた。

 シリアはイーニッドの悲鳴に一瞬怯んでから、すぐにイーニッドにヒールをかける。すぐに折れていた骨は再生し、イーニッドは立ち上がった。

 そして、ドラゴンと対峙した。

 イーニッドは、ドラゴンに対する知識が全くない。面と向かった相手は、ただの怪物でしかなかった。思考が停止する。

 そのとき、シリアがイーニッドの手を引っ張って、一目散に逃げ出した。

 動物は、逃げるものがいれば後を追うもので、このドラゴンもそうだった。

 幸い、足は速くないタイプらしい。空を飛ぶこともなく、走ってシリアとイーニッドを追いかける。

 そして、ドラゴンを後ろから見ていたジョンと神父の視界から消えていった。


 雨は、いつの間にか止んでいた。

 ドラゴンから逃げ切っていたことに気づいたのは、イーニッドが再び転んでからだった。

「うばっ!?」

 それなりの速度を出していたイーニッドが、今度は派手に胸から地面にダイビングを決めた。辺りの土は乾いていたようで、泥の被害はそれほどないが、その分イーニッドに与える衝撃が先ほどの転倒より増した。

 すぐ後ろを走っていたシリアは、転ばずにイーニッドの側に駆け寄る。ヒールの必要がそれでもないことをイーニッドが告げて、二人は自分たちが走って来た方向を見た。

 まず、ドラゴンは見当たらなかった。無意識のうちにイーニッドは木々の間を抜けていたので、巨体のドラゴンをうまく撒けたのだろう。

 次に、イーニッドがつまづいたものを見ると、それは、大地にうつぶせで伏している人間だった。

 暗くてよく分からないが、長い髪。二人と同年代と思われるその人間は、少女のような小柄な体格で、実際のところは二人がよく知る少女だった。

「エスト……?」

 シリアがそう呟いて、少女はうう、とうめき声を上げる。

 驚きと共に、イーニッドが大きな声で話しかけた。

「エストか!探したんだぞ!」

 しかし、返ってくるエストの返事は弱く、

「逃げ……て……」

 それでも、顔を二人のほうに向けてからそう言った。

 どうしたものかとシリアが焦っているところ、彼の頭に、足です、という囁き声が聞こえてきた。

 シリアがエストの足を確認すると、ジャージを履いた左足の膝から下がジャージごと抉りとられて、そこから大量に出血している。恐らく、先ほどのドラゴンにやられたものだろう。その光景にシリアは一瞬息を詰まらせるが、すぐに目を閉じて指を差し、

「ヒール」

 そう呟いた。

 その瞬間、エストの足はみるみる再生し、ものの三秒ほどですっかり元通りになった。それでも、流れて失われた血は戻っておらず、立ち上がってもフラフラしていた。

 そして、シリアを激しいめまいが襲った。思わず倒れそうになるが、なんとか踏みとどまる。イーニッドはその、魔法の回数制限が近い兆候を見逃さなかった。

「……これ以上、あのドラゴンに出会うとやばいな」

「……あんたたちも、会ったんだ」

 ドラゴンの言葉に反応したエストはそう言いつつ、辺りを見渡す。何か、落とし物を捜しているようだった。

 その様子を見て、シリアは意図に気づいた。例の矢を打ち出す機械を捜しているのだ。

「……落とし物?」

「うん。『アレ』、この辺に落ちてると思うんだけど……」

「ああ、ちょっと火つけるか?」

 イーニッドはそう言って、近くにあった棒を拾い上げた。ファイアの魔法で火をつけるつもりだったが、

「あ、たいまつの代わりなら」

 エストがそう言って、ジャージのポケットに数本刺さっている木の枝を取り出した。いつも矢の代わりに打ち出しているものだ。

 エストはそれを渡そうとして、

「……それ」

 イーニッドが何に火をつけようとしているかに気がついた。

 イーニッドが持っていた棒状のものは、エストが探していた『アレ』だった。


 三人のなかで、帰り道を知る者は誰もいなかった。

 走ってきた方向を戻るとしても、またあのドラゴンと遭遇するのが怖い。

 辺りは暗く、夜の闇はさらに深くなってゆく。木々に囲まれ視界は悪く、足下は緩やかな斜面になっている。土は乾いており、雨が降っていたのが嘘のようだ。

 イーニッドは、エストから受け取った木の枝を持って、ファイアの魔法で火をつけてたいまつを作った。ただの木の枝でも火はほどよく燃えるもので、足下を照らす役割は果たせそうだった。イーニッドが物を持つと落としてダメにするのを他の二人はよく分かっているので、たいまつをシリアが、火のついていない木の枝をエストが持っている。

「いざとなったら、これを投げつけて……無理かなぁ」

 火のついた枝を持っているシリアがそう言って、ため息をついた。

「神父さんがなんとかしてくれてないかなぁ」

 シリアは、ドラゴンに関する知識を引っぱりだしながらそう呟いた。

 ドラゴンには、さまざまな種類がある。

 主に生息地によって種類は決まっており、火山には火のドラゴン、雪と氷の大地には氷のドラゴン、といった具合だ。森に生息するものは、木のドラゴンになる。

 シリアの知識は、本やゲームで得たジョンの知識を聞いただけのものだ。よって、先ほどのドラゴン達についての知識も人の描いた空想のものにすぎず、様々な説がる。例えば火のドラゴンなら火龍やらファイアドラゴンやらメテオワイバーンやら格好いい名称がつけられており、その攻撃の方法も火を吐いたり地面からマグマを吹き出したりで様々だ。木のドラゴンも例外ではなく、木龍やらウッドドラゴンやら好き放題呼ばれ、打撃攻撃が主体だったり大地から根を伸ばして攻撃したり様々だ。正確なことは実際に相対した者にしか分からない。

 しかし、

「そんなすぐ、一晩で片付けられる相手じゃないんだろう?」

 イーニッドのその発言は、否定することができなかった。

 木のドラゴンは往々にして生命力が高いイメージで伝えられている。更に、堅い樹皮のようなウロコの防御力は、弱点であるはずの火の攻撃すら通らないとされていた。

「でも、確か木のドラゴンって温厚な性格っていう設定のはずなんだけど」

「そりゃあ物語の中だけの話だろう。魔物だぜ、温厚なやつがいるかよ」

 シリアの疑問に、イーニッドが答える。イーニッドには、つまづいただけで足を砕いてくる相手が温厚な性格とはとてもではないが思えなかった。

「それでも、何か暴れている理由があるはずだよ」

 シリアはそう言うものの、見当は全くついていない。

 しかし、エストには心当たりがあった。

「……多分だけど」

 そう切り出して、二人の注意を引く。エストは、右手に持っている例の機械を胸の前まで持ち上げて、

「これ、練習してた時の流れ弾かなー、って」

 そう言うエストに、シリアは少し首を傾げる。確かに、人間に流れ弾に当たれば怒り出すのなら、分かる。しかし、ドラゴンが木の枝が当たっただけで怒り出すだろうか。ドラゴンのウロコは、総じて堅い。鏃のついた鉄の矢ならともかく、木の枝程度なら弾き返してしまうはずだ。

 結局、エストに返事ができないまま、少しの時間が流れた。

「……ん?」

 三人の静寂を、何かに気がついたイーニッドが破った。どうしたの、とシリアが聞く前に、

「山、なんだからさ、坂道を下ればふもとに着くんじゃないか?」

 イーニッドはそんな意見を出した。

 周りの木々で忘れがちだが、ここは南部の山のうちの一つだ。下山すれば、当然海が見えてくる。港町の灯台が、光を放つところが見えるはずだ。

「あ、なるほど」

「ああ、そっか」

 シリアとエストは、忘れていた、と言わんばかりの反応で、実際に忘れていた。

 そうと決まれば移動しよう、ということで三人は動き出した。たいまつを持っているシリアが先頭、エストが真ん中、イーニッドが最後尾だ。だいたいイーニッドが前を走るから転ぶんだよな、と、シリアは思った。


 三人は、山を下り切った。

 森を抜けて、見える空には星が輝いている。足下は岩盤のようで、堅い。そして少し前には、どういうわけか岩の壁がそそり立っていた。

「は……?」

 期待していた光景とは別のものに遭遇したシリアが、茫然とする。エストとイーニッドも、驚きを隠せなかった。

 不可解な状況にその場の全員が戸惑う中、突然シリアの体の中で警鐘が鳴った気がした。否、今も鳴り続けている感覚だ。そしてすぐに、その理由に気づいた。

「“破滅の大地”だっ!僕たち、反対側に来ちゃったんだよ!」

 シリアがそう叫んで、イーニッドとエストは再び驚いて、急いで目の前の岩の壁から離れた。雨がいつの間にか止んでいたのは、山の反対側に来ていたせいだったのだ。

 イーニッドはパニックを起こして、そのまま叫びながら森の中へ引き返そうと走り出したが、

「意外と、なんともないわね……」

 妙に冷静なエストがそう言ったのが聞こえて、足を止めた。

 確かに、そう呟いて、シリアが足下の岩盤をげしげしと踏みつける。所詮、これも伝承の一つだったのか。もしくは、もっと奥まで踏み込むと本当に帰れないのか。それを防ぐ為に、誰かが岩の壁を作ったのか。様々な推測が、シリアの脳内をかけめぐった。

 そして、冷静になってから、シリアの脳内で鳴り響いていた警鐘が消えた。

 辺りを見渡してみると、石の壁は端が見えず、これ以上内陸に侵入するのは無理そうだということが分かった。岩の壁を登るのも難しそうで、乗り越えたところで命の保証はない。

 しかし、今さっき降りて来た山の周囲を回れば、森の中に入らずに反対側の港町に到着できるだろう。その作戦を、パニックは落ち着いたが緊張が解けないイーニッドと、やはり冷静なエストに話し、山のほうに体を向けたところで、

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 森の中から現れた、最も鉢合わせしたくない者の咆哮を、まともに受けることになった。


 ドラゴンの咆哮は、山を越えて聞こえるほど大きい。

 それを近距離で受けて、鼓膜が無事で済むはずはなかった。

 幸い、手ぶらだったイーニッドは両手で耳を塞げたものの、脳の中でまだキンキンいっている。シリアとエストは、完全に耳をやられて倒れていた。

 しかし、イーニッドは倒れている彼らを見ることなく、ドラゴンと対峙する。

 イーニッドは、先ほど気づかなかった、左足のウロコの間に挟まっている木の枝を見つけた。あれが刺さったから怒っていたのか。イーニッドはそう思った直後、その左足が持ち上げられるのを見た。

 とっさに後ろに飛んで、ドラゴンの下からえぐるような頭突きをかわす。イーニッドは態勢を崩したが、相手の動きは落ち着いて見れば遅いことが分かった。

「ヒール!ヒール!」

 その間、気がついたシリアが鼓膜を回復させていた。イーニッドにもヒールをかけようとしたが、大丈夫だ、と、シリアの魔法が限界に近いことを知っているイーニッドは止めた。

 意識を取り戻したエストが立ち上がって、

「くっ、こうなれば!」

 例の機械を構えて、ドラゴンのほうに向けた。

 シリアが慌てて、

「ちょっ、戦う気!?」

「この状況になったら逃げられないわよ!シューット!」

 困惑するシリアを無視して、エストは機械から木の枝を放った。練習の成果が出たのか、見事にドラゴンの正面に木の枝は飛んで行き、ぱしっ、と弾かれた。

「くっ」

 エストは次弾を装填しようとしたが、すぐに中断して機械と木の枝を放ってドラゴンに向かって左側に走り出した。ドラゴンの注意は、エストに向いている。

 即死するような怪我は、癒しの魔法では治せない。それでもシリアは、そうならないことを祈ってエストに人差し指を向けていた。

 もう一人、人差し指をドラゴンに向けるイーニッドが、

「ファイアー!」

 そう言って、指先から小さな火球を飛ばした。ドラゴンの翼にヒットするものの、たちまち炎はかき消される。ドラゴンはそちらは無視して、エストを狙って移動し始めた。

 シリアは、その様子を見て、木のドラゴンは火を弱点とすることを思い出して、しかしなぜ簡単に弾かれるかが分からなかった。実は雨水で濡れた体に火が通らなかっただけなのだが、この時シリアは気がつかなかった。

 エストに接近したドラゴンは、エストにかみつき攻撃を繰り返す。しかし、エストは走りながら距離をとって、余裕をもってその攻撃をかわしていた。彼女の身体能力はさほど高くないはずだが、それでも対等に渡り合えているように見えるのは、このドラゴンが防御を得意としているからである。今のエストに、このドラゴンを傷つける術はなかった。

 イーニッドは、ウロコの隙間に攻撃を差し込めばダメージを与えられることに気がついていた。しかし、ファイアでは隙間を狙うのは至難の技で、火球が大きすぎてウロコに阻まれることになる。

 そんなイーニッドの視界に、エストが持っていた例の機械が映った。

 これだ、と思ったイーニッドは、その機械の近くに移動し、それを拾い上げる。正確にウロコの隙間を狙うのは至難の技だが、何発か撃てば当たるだろう。そう考えていた。

 以前、エストが森で練習していた光景を覚えているイーニッドは、見よう見まねで機械に落ちていた木の枝をセットする。意外と簡単に収まって、ドラゴンに向けて機械の先を向けた。

「ファイア!」

 イーニッドはいつもの癖でそう叫んで、違ったことに気がついてからすぐに、

「シュート!」

 そう言い直した。

 すると、なんと発射された木の枝が、紅い炎に包まれた。そのままドラゴンのほうに真っすぐ飛んで行き、ドラゴンの左の胴体のウロコの間にヒットした。

「ぎゃおおおおおおおおおお!」

 ドラゴンが悲鳴を上げる。ドラゴンはそのまま森の中へ走っていき、三人の視界から消えた。

 その光景に、シリアとイーニッドはぽかんとしていた。

 エストは息を切らせて、確認しているヒマもない。しかし、自分たちがドラゴンを退けたということを、この場にいる全員が理解した。

「た、助かった……」

 エストがそう言って、その場に座り込んだ。イーニッドとシリアがそばにかけよって、シリアが回復は必要かと聞いたところ、エストから少し休めば大丈夫という返事がきた。

「それにしても、すごいじゃないイード!あれ、どうやったのよ!?」

「いや、俺も何がなんだか……」

 エストがイーニッドを褒めて、シリアもうんうんと首を振る。イーニッドは、本当にどうなったか分からず困惑するのみだった。

 これが、今に伝わる『注文魔法』の始まりである。


 ジョンは、森の中で友人を探していた。

 雨はまだ振り続け、傘と発光石を持っている。冷える体を、黒いマントであたためていた。

 三日前に貰ったマントは、驚くほど汚れない。水も弾く。頑丈なマントであることを発見したのは、二日ほどかけたジョンの研究の成果だった。

 ジョンと神父が一度村に戻った直後、大きな咆哮が星の村まで聞こえた。

 それがドラゴンのものだと直感したジョンは、神父が止めるのを聞かずに飛び出した。

 しばらく夜の森を歩くと、ドシドシという大きな足音が聞こえた。

 来る、と、ジョンは直感した。

 ジョンは発光石を置き、右手でマントの端を掴んで、そのまま右腕を体の前に回した。

 ドラゴンが、先ほど森の中でイーニッドとシリアを追いかけていったドラゴンがこちらに突進してきていた。動きは素早くなく、まだ避けられる、そう思える距離でドラゴンは静止した。

 ジョンが、ドラゴンを見上げる。

 ジョンには、ドラゴンが怖くもあったが、それ以上に憧れの対象でもあった。大きな翼、堅そうなウロコ。牙と爪と見て行くうちに、足に刺さっている枝に気がついた。

 ドラゴンは、動かない。

「……これか?」

 ジョンが近寄ると、ドラゴンは枝が刺さっている左足を差し出した。ジョンは少し背伸びをして、枝を抜いてやる。枝は、あっさりとドラゴンのウロコの隙間から抜けた。

 ドラゴンは、満足したかのように翼を伸ばすと、ジョンから少し離れてから飛んで行った。大きな翼を羽ばたかせて、雨を切り、すぐに夜の闇へと溶けていった。

 ジョンは、しばしその光景に見とれてから、

「……あいつがまっすぐ来たとすると、この先に……?」

 そう言って、友人達の捜索を再開した。


 そして二年後、一人の青年とその母が、この大陸にやって来る。


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