鎖で繋ぐ愛の形
何度考えても、あの日どんな選択を選べばよかったのか……わからないでいる。どうしてこうなってしまったのか、虚ろな目で見つめるそれは硬く、酷く冷たい。
元々人懐っこい性格で、誰にでもホイホイとついて行くような、危なっかしい子供だったらしい。双子の弟はそんな私の見張り役で、私が知らない相手に挨拶したら鋭い眼光で睨みつけて相手が逃げて行くようにする。弟は目つきの悪い子で、そのせいでよく誤解されることも多かった。だけど、私は弟が本当は優しい事を知っていた。弟は、私がわかってくれるならそれでいいと言っていた。今思えば、こうなる前触れみたいなものだったのかもしれない。
弟は、どこへ行くにも私についてくる。それが煩わしいと思った事は、一度もない。
ある時、幼稚園で弟が私と同じ組の男の子に怪我をさせたことがあった。怪我は酷いもので、よくある突き飛ばして……とかのレベルを超えていた。とてもじゃないけど、幼稚園児が追わせられるような怪我ではなかった。
その男の子は、私が家で母に向かって「好きな人なんだー」と話していた相手だった。
目つきが悪くて誤解される事が多かった弟は、これをキッカケに幼稚園内で孤立した。双子の姉である私から離れていく子も、多かった。私は、休み時間になると隣の組に飛んで行って弟を慰めた。「ごめんなさい、悪気はなかったんだ」と泣く弟を見て、あれは不幸な事故で、決して弟に悪気があったわけではないのだと思った。
それから十年が経ち、私が中学三年の時。その頃は、もう弟は私にベタベタする事もなくなり、寧ろ冷たい感じだった。思春期なのだと、気にしないでいたけど。
「雨音」
「どうしたの、時雨」
弟――時雨は、いつからか私と二人きりの時だけ私を名前で呼ぶようになった。弟もお年頃なのだし、小さい頃みたいに「姉ちゃん」と呼ぶのが恥ずかしいのだと思っていた。家族の前では「姉貴」と呼ぶ。多分、変化を見せるのが照れくさいんだろうと考えていた。時雨は、私のベッドに座る。その顔は、いつになく真剣だった。何か、相談事かと思い私は椅子からベッドに移動する。
「どうしたの?」
「雨音……。僕、雨音の事が好きなんだ」
「……? 真剣な顔で、どうしたの。私も時雨の事、好きだよ?」
それはもちろん、姉弟としてに決まっている。そう、思っていた。だけど、時雨は苦しそうに顔を歪める。ビックリして時雨に触れようとしたら、その手を掴まれた。その力強さに、思わず動きが固まる。
時雨の手はゴツゴツしていて、まさに男の手って感じがした。小さい頃みたいに手を繋ぐこともなくなったから、時雨がこんなに成長してるなんて思っていなかった。
「違う。僕は雨音の事、異性として好きなんだ」
「へ、え? ……え? いやいやいや、落ち着こうよ時雨」
落ち着いていないのは私のほうだった。時雨の突然の告白に、動揺して一旦座りなおそうと立ちあがった瞬間、膝がガクンと抜けた。バランスを崩して転びそうになるところを、慌てて立ちあがった時雨に支えてもらう。咄嗟にしがみついた時雨の体はガッチリとしていて、石鹸の香りがふわりと漂う。お風呂上がりだったのか、なんて場違いな感想を抱く。
私は時雨に支えてもらいながらベッドに座り直して、まずはお礼を言う。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。それで、雨音は僕の事……どう思ってる?」
さりげなく腰に手を回され、ホールドされる。私は相手が弟だと言う事を忘れるぐらい、ドキドキしてしまう。頬が熱くなるのを感じて、顔が真っ赤になっているのを想像する。時雨は、身内びいきじゃないけどイケメンに部類されると思う。鼻筋が整っていて、目元がキリッと引きしまっていて……染めていないのに、色素が薄いのか茶色がかった髪と目。対する姉の私の顔はどこにでもいるような平凡な顔。肩まで伸びたおかっぱみたいな黒髪に、丸い黒目。普通だ。
声はあくまで平常心を保ったように見せる。声が上ずらないようにゆっくりと深呼吸を繰り返いし、腰に回された熱い手の事は一旦忘れる。
「私は、時雨の事……いい弟だと思ってる。異性として意識した事は、一度もない」
こう言う時は、キッパリ断って期待を持たせないのが一番だ。……と、言う事を以前モテモテの時雨が言っていた。まさかブーメランとして自分に返ってくるとは、思いもしていなかっただろう。時雨は、目を見張って、それから俯く。お、大人しい態度見せても無駄だからね! 私は騙されないぞ、時雨はいつもおねだりを聞いてほしい時に一度大人しい素振りを見せるのだ。十五年も一緒にいれば、わかると言うものである。
「そっか……じゃぁ」
顔を上げた時雨の顔は、ニヤリと不敵に笑っていた。ゾクリとして思わず、時雨から体を離そうとして腰に手を回されている事を思いだす。ぐっと体を引き寄せられる。
「じゃぁ、これから異性として意識してもらうように頑張るわ」
「な、何言って……!」
体を密着させた状態で、ベッドに押し倒される。抵抗するも、男の力に敵うはずもなく……。時雨の、熱い吐息がかかる。顔を背けようとすると、頬を時雨の両手で包みこまれる。真っ直ぐ時雨を見る形になって、お風呂で逆上せたような感覚に落ちる。時雨はゆっくりと顔を近づけ、私の首筋にリップ音を立てて口づけを落とす。
「雨音は、僕のもの。誰もあげない誰にも渡さない」
「しぐ、れ……」
今まで聞いた事のない、時雨の熱のこもった言葉。ドキリと心臓が大きく跳ねる。
「ねぇ雨音、雨音は高校行ったら一人暮らしする予定でしょ? 僕もついて行くよ。同棲しよう」
名案を思い付いたとでも言いたげな時雨の顔を、殴ってやりたいと思ったのは初めてだった。時雨はニッコリと微笑んで、私の耳元で囁く。熱い吐息がかかって、思わず体がビクリと反応する。
「雨音は僕のもの。誰にも渡さないし、もし雨音が僕以外の誰かのものになるならいっそ僕の手で殺してあげる。高校に入ったら同棲、約束だよ」
強引に小指を握られ、指切りげんまんをさせられる。指切った、と言った時雨の顔は実に嬉しそうで、純真無垢な子供のようだった。約束の内容はとても純真無垢とは言えないけど……。
時雨の唇が、また耳元に近づく。熱い吐息に体が反応しないように必死だった。時雨は私をからかうように熱い吐息を吹きかける。
「ねぇ、知ってる雨音。幼稚園の時雨音が好きだって言ってた男子に怪我負わせたの」
「お、覚えてる……けど」
「あの時から、雨音の事を僕のものにしたくてしたくて仕方がなかったんだよ。知ってた? だから、僕の気持ちに気づかずに平気でほかの男を好きだなんて言った雨音の事さえ憎らしかった」
幼稚園の、頃から……? 嘘でしょう、信じられない。だって、そんな小さい頃からこんな恐ろしくて激しい感情を抱いていたなんて。じゃぁ、あの怪我もわざと? 全部、わかってて……。泣いて謝ったのも嘘、悪気がなかったと言ったのも嘘。全部、嘘――。
「同棲、父さんも母さんも賛成してくれるよ。最近僕たちの距離が開いてるのを気にしてたからね。ああ、もちろん二人にはちゃんと同居って言うよ。反対された時は……どうしようかな」
不敵に笑う時雨が恐ろしくなって、私は必死で時雨の体を押すけどびくともしない。怖い、怖い。お父さんやお母さんにも怪我を負わせる気なの……? そんな考えが頭をよぎって、必死で頭を振る。
「お父さんとお母さんには手を出さないで」
「じゃぁ、雨音は僕のものになってくれるよね?」
「……酷い、こんなの。脅しよ」
「脅しでも何でも構わないよ。雨音が僕のものになるなら、何だってしよう」
そう言って笑う時雨が恐ろしくて、私はただただ震えていた。
高校に入学すると同時に決まった、時雨との二人暮らし。両親は反対しなかった。また、私と時雨が仲良くしているのが嬉しいようでニコニコしがら私たちを見送った。両親が反対しなかったことに安堵する一方で、反対してほしかったと言う気持ちもあった。時雨の異常とも言える感情に、気づいてほしかった。でも、そうなると今度は両親に危険が及ぶ。考えた末に、私は大人しく時雨との同居を選んだわけだけど……。
「はい雨音、お茶」
「ありがと」
新居に引っ越してきた時雨は、普通だった。今までツンケンされていた分、普通に接してくれるのが嬉しく感じた。私は、時雨が淹れてくれたお茶を何の疑いもせずに飲みほした。
「んん……」
気が付くと、夕焼けに照らされ部屋の中にいた。足に、何か冷たく硬い物がはめてある。そう感じると同時に、傍に人の気配を感じた。
「しぐ……れ?」
「大正解。睡眠薬入りのお茶は美味しかった?」
「――! 何てことを……。これは立派な犯罪よ」
部屋の中で、時雨が動く。ひんやりとした手が、私の熱い頬に触れる。そして、ゆっくりと撫でる。その手が、私の髪を握る。そして、私の髪に口づけを落とした。
「これで雨音は僕のもの。一生離さない。一生傍にいてあげる。誰にも渡さない……僕だけの、雨音」
「……っ。狂ってる」
夕焼けに照らされた時雨は、それはそれは嬉しそうに笑っていた。ゾクリと背筋が冷える。けれど、同時にドキリと心臓が大きく跳ねたのを感じた。
「愛してる。雨音」
時雨の唇が私の唇に触れ、啄ばむようなキスから段々濃厚なものへ変わっていく。時雨から甘い言葉が吐きだされる。
「雨音、愛してる。愛してる。これでようやく、僕だけのものになったね――」
時雨に強く抱きしめられながら、恐る恐る足首に手をやる。そこには、しっかりと壁に繋がった鎖のついた足枷がはまっている。
あの日、私はどの選択肢を選べばよかったの? どの選択肢を選んでも、こうなる運命だったの? ……わからない、誰か、教えて――。虚ろな目で、赤く赤く、血のように赤い夕焼けを見つめた。