消失
消えて、なくなる。
つい先程まで、確かにそこに存在していたはずのものが、瞬きをしたほんの一瞬の合間に、忽然と世界から消え失せる。
まるで、初めからそんなものは存在しなかったとでも言わんばかりに、跡形もなく。
そんなことがよくあった。
物心つく頃には、僕の周囲で日常的に起こる出来事の一つとなっていた。
だから僕もそれを特別不思議に思うことはなかったし、誰もが平然と受け入れている現象の一つなのだろうと認識していた。
そんなある日のことである。
近所のおばさんが消えた。いつものように跡形もなく。ただ違っていたのは、消えたのが人間だったということだ。
僕はおばさんの姿を探し回った。
自分に優しく接してくれるおばさんのことが好きだったから、また会いたいと思った。
けれど世界は残酷だった。
優しくて、快活で、よく僕にお菓子をくれたあのおばさんは、この世界から跡形もなく消えてしまったのだ。
僕はおばさんの所在を、母に訊ねた。母は近所付き合いに重きを置く人だったから、当然、おばさんとも知り合いだった。しかし母はきょとんとした顔で、
「おばさんって、誰のこと?」
と、首を傾げて言った。僕はこの時、悟ったのだ。母にとってあのおばさんの存在はそもそもなかったことになっており、それを覚えているのは、たぶん、今や僕しかいないのだと。
それから初めて、僕は恐怖した。
何かが消え失せるのが、恐ろしくて仕方がなかった。コップでも、写真でも、服でも、あるいは人でも。一度消えてしまえば、僕以外の誰にもその記憶は残らない。
それは途方もなく悲しいことのように思えた。
それから幾年が経ち、僕が中学生になった頃のこと。世界から青色が消えた。青かったはずの空も、海も、サイダーですらも、青くあることを許されなくなった。
空は赤色で、海も赤色。サイダーですらも赤色。青色の消えた世界にとっての常識であるそれらは、しかし僕にとっては、どうしても非常識に思えてならなかった。
「空が赤いことに疑問を抱かない?」
ふと僕は、隣を歩く友達に訊いた。
友達は暫く呆気に取られた顔でこちらを見て、それから前に向き直ると、ぶっきらぼうに答えた。
「空が赤いのが当たり前なんだ。それが常識。疑問なんか抱きもしねぇよ」
どうやらそういうことらしかった。
やはり、この世界は僕には異質だ。子供の頃に比べれば、色々なものが僕の手元から消えていった。当たり前だったことが、今では当たり前ではなくなったことも珍しくない。
そうやって僕はまた、失っていく。
一瞬前の僕にはあったはずのものを、一瞬後にはなくしていて、それを後悔する暇もないままに、また新たな何かを失う。
ほら、まただ。
轟音と共に、赤い空を弾道ミサイルが飛んでいく。
今しがた平和を失った世界では、それが日常的な光景なのだろう。隣を歩いていた友人が、何処から飛んできた凶弾に倒れた。
直後、僕の体を銃弾が貫いた。
胸部から耐えがたい激痛が走る。赤色の血を吐いて、僕は力なく地面に倒れ伏した。
こうやって最期には、全部を失ってしまうのか。
どうせ後には何も、残らない。
物の価値というのは、それが無い状態を知ってこそ分かる物ですよね。
ああ、お金が欲しい。