嫌な予感がしちゃいました
薄暗い闇だけが、どこまでも広がっていた。ブルーメの視界に映っているのは黒い竜と一枚の小さな壁だけである。
闇は足元にさえ広がっており、ブルーメは真夜中の海に沈められたかの様な感覚に陥っていた。
前も横も足元さえ暗く不安と寂寥感で叫びだしそうになる。同時にある思いがブルーメの胸に込み上げてきた。
(タツオはこんな寂しい所に一人で住んでいたの?)
あまりの哀しみに、ブルーメの胸は張り裂けそうなっていた。 ポツリポツリと涙が頬を伝っていく。
「まさか時の狭間に人を招く日が来ようとは…お、お姉ちゃん、どうしたの!?」
タツオが驚くのも無理はない、振り向いたら姉が声を殺して泣いているのだから。
「タツオ、ごめんね。一人でこんな寂しい場所にいたのに気づいてあげれなくて」
ブルーメはタツオの体に顔を押し付けるとワッと泣き出した。涙の熱さがジンワリとタツオに伝わっていく。時の狭間に住んでいた時には感じた事がない心地よい熱さである。
「いやいや、ここに住んでいたのは転生前だよ。それに僕達古代竜には生活道具は必要ないし」
古代竜はマナがあれば生命を維持する事が出来るので、食事は嗜好品に近い。
早い話が寝る事さえ出来れば問題がないのだ。ドラゴンの体ではベッドで寝る事は出来ないので、転生前は体を臥す事さえ出来れば生活は出来ていた。
「でも、またここに戻って来たら、一人になるんだよね?」
ブルーメの言う通りタツオ・トキノの生が終わればまたビルクーロに戻る。それは時の狭間に戻って一人になると言う事だ。
「古代竜が町中で暮らしたら問題しか起きないよ…それに僕の眷族は協調性に難があるのしかいないし」
他の古代竜は自分の眷族と暮らしを共にしており、ウィンディーアの様に町規模の集団生活を営む者もいる。ただ、ビルクーロの眷族は主に似てか個性が強い者が多く集団生活に適さないのだ。
「それなら、もう少し暮らし易く出来ないの?せめてもう少し明るくしなさい。部屋が暗いと気持ちも滅入るわよ」
「分かったよ。お姉ちゃんちょっと目を瞑って…もう良いよ」
ビルクーロは時の狭間の姿を自在に変える事が出来る。唯一、ある壁も大切な絵を飾る為に作ったのだ。
「…あまり変わらないわね」
確かに明るくなり視界は確保出来たが、新しく見えたのは延々と続く石畳だけである。それは二人の故郷ニョルズスタットの石畳と似ていた。
「そう言っても必要な物はないし…そうだ!!今度家族みんなの絵を書いてもらおよ。あそこの壁に飾っておけば一匹になっても寂しくないし」
タツオは嬉々とした表情で小さな壁に駆け寄って行く。
壁には数枚の絵が年代順に飾られていた。
「これは家族の絵からしら?」
最初の一枚に描かれているのは四人。眼鏡を掛けた黒髪の中年男性にピンク色の髪の女性が寄り添い、二人の後ろで黒髪の少女が微笑んでいる。長い黒髪の青年だけは、少し離れた場所に佇んでいた。
やがてピンク色の髪の女性が赤ん坊を抱いて、その赤ん坊が少女に成長ししていく。黒髪の少女は美しく成長し、優しそうな伴侶と並んでいた。絵を見るだけで家族の歴史が一目で分かる。
ただ黒髪の美青年だけは最初から最後まで同じ姿であった。黒髪の中年男性が老爺になっても、黒髪の少女が母になっても長い黒髪の青年の容姿は変わらない。
「僕の初めて友達イ・コージとその家族だよ。古代竜である僕を恐れずに受け入れてくれた大切な人達なんだ」
「そうなんだ…タツオは一緒に描いてもらわなかったの?」
「いやだなー、ちゃんと僕もいるよ。長い黒髪の男が僕だよ」
時の狭間に気不味い沈黙が訪れた。
「嘘…別人みたい」
長い黒髪の青年は凛々しく整った顔立ちをしており、今のタツオとは似ても似つかない。
「本人だよ。本来の僕はこういう顔なの!!」
「へー、所でこの人達はどうしてるの?」
ブルーメは関心が薄いのか直ぐに話題を切り替える。
「絶対に信じてないでしょ…コージが死んで直ぐに転生したから分からないよ。今ならコージが家族を大切にしていた訳が分かるな」
タツオは今の家族となら照れずに寄り添えると思った。
「それならコージさんのお墓参りに行かなくちゃね。お姉ちゃんも”私の弟を受け入れてくれてありがとうございます”ってお礼を言いたいし」
「うん、ありがとう。そうだ!!お姉ちゃんに武器をあげるよ。着いて来て」
ブルーメが連れて来られたのは時の狭間の一角。そこには金銀財宝がうず高く積まれている。伝説の勇者が使った剣や国宝級のマジックアイテムが無造作に並べられていた。
「タツオッ!!きちんと整理整頓しなさいって言ってるでしょ」
「ここを使っていたのは転生前だよ…それに勝手に集まるから僕も困ってるんだから」
タツオはオーディヌスでは知らぬ者はいないドラゴンである。腕に覚えがある戦士や細かい事情を知らない勇者に挑まれた事は一度や二度ではない、何より願いを叶える対価として様々な宝が捧げられたのだ。タツオにとって勇者とは定期的湧いて迷惑を掛けてくる害虫の様な存在であった。
「それにしても凄い武器があるわね」
ブルーメは鍛冶屋の娘だ、武器の良し悪しは見ただけで分かる。
「でしょ。欲しいのあったら持っていって良いよ。えっと…あっ、あったこれだ」
タツオが取り出したのは一張りの黒い弓。
「この弓は…」
弓を受け取ったブルーメは思わず言葉をなくした。その弓はそこにあるだけで物々しい存在感を放っている。どう見ても一介のヴァルキリーが持って良い様な弓ではない。
「それは僕の角と髭で作った時空竜の弓。時空属性が付与してあるから空間を越えて矢が飛んで行くんだ。これなら僕に乗っていても使えるでしょ。でも、矢は別売りだよ」
時空竜の弓を使うと、時空を越えて目標の1m先に矢が現れるのだ。
「こんな凄い弓を貰っても良いの?」
「凄いって言っても狙いが正しくなければ当たらないし、見える所までしか届かないよ。それに標的の回りの風が強いと矢は逸れるし…お姉ちゃんだから持っていて欲しいんだ。僕に家族の暖かさを教えくれたお姉ちゃんに持っていて欲しいんだよ」
姉は、自分がドラゴンだと分かっても変わらず家族として接してくれたのだ。それは人に恐れられ億の年月を一匹で生きてきた竜にとって何物にも変えがたい贈り物であった。
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冥府またはニブルヘイムと呼ばれる世界。戦死者以外の魂はここに集まりロキの娘ヘルの管理下におかれる。故にヘルの仕事はかなりのハードワークだ。
肩まである長い髪をキリリと縛り上げ次々に書類を仕上げていく姿はやり手のキャリアウーマンを思わせる。それでいて優雅さと艶っぽさが消えないのは流石と言えよう。
「ヘル様、ビルクーロより手紙が届いています」
手紙を差し出したのは命の古代竜ゼーレ、彼女はヘルの配下でもある。ゼーレは普段は軽い口調で話すが、敬愛する上司の前ではおくびにもだなさい。
「お父様から聞いていたけど随分と変わるものね」
ヘルはタツオが書いた手紙を受けるとる妖艶な笑みを浮かべた。あのビルクーロがわざわざ手紙でお伺いをたててきたのだ。
「はい、ビルクーロはすっかり人間臭くなっていました」
「祖母を安らかに旅立たせる為に縁故者に迎えを寄越して欲しいのね。随分と可愛らしいお願いだこと」
寿命と時は密接な関係にあるので、ヘルはビルクーロと何度か会った事がある。立場も力もヘルの方が上だった為か、無礼な態度はとらなかったが愛想も可愛気もなかった。
「同じ古代竜としては変わり過ぎて気持ち悪いですよ。あのビルが猿人の娘に甘えているんですから」
「あら、知らないの?男は何歳になっても甘えん坊なのよ。屈強な男の沽券をトロトロに溶かすの。そして、ただの男の子にするのが面白いのよ」
ヘルはそう言うと悪戯っぽく笑ってみせる。ゼーレは同じ女性であるがゾクリとする程の色気を感じた。
「と、とりあえず何て返事を出しましょうか?」
「ビルクーロが異世界から来たって事は、お父様が許してるって事よ。でも、タツオ君とお姉ちゃんには一度会ってみたいわね。そうね、明日私達姉妹のお茶会があるからゲストに来てもらおうかしら」
お茶会にくるヘルの姉妹はフェンリル・ヨルムンガランド・スレイプニルである。いずれの女性も父ロキの血の為か中々の曲者揃いであった。
(あちゃー、ビルの奴、お姉様方の玩具に決定だ。昔のビルと違って今のビルは弄り甲斐があるもねー)
ゼーレは同情するどころか、密かにほくそ笑んでいたと言う。




