08
東雲の口から出てきたのは、本当に最低最悪な話だった。おそらくこの場合、最低なのは東雲で、最悪なのはぼくの気分といったところだろうか。
って、そんなこと考えてる場合じゃないなくて!
「えーと、それはどういう……」
「そのままの意味ですが。わたしには鷹羽さんではない、別の想い人がいる、ということです」
さらり、悪びれる様子もなく、東雲はあっさりと言い放つ。それが東雲の性格であるとぼくはこの一週間ちょっとの間に理解したはずなのだが、それにしたって、いきなり衝撃発言にもほどがあるだろ!
「え、じゃあ何で本当にぼくと付き合ったの?」
「ですから、失言だと言ったのですよ。あのときはパニックに陥っていたので」
「いやいやいや、パニクりすぎだろ! もしそうだとしても、それならそうと早く間違いを訂正して、別れを切り出してくれればよかったじゃん! すきな人がいるなら、すきでもないやつと付き合っちゃダメだろ!」
付き合ってもらって浮かれていた側のぼくが言うことじゃないかもしれないけれど、諭すようにそう言うと、東雲は瞠目してうつむいてしまった。
あれ、ぼく、何かまずいこと言ったかな。めちゃくちゃ正論だったと思うんだけど……。
「でも、それが叶わない想いだったら、どうしますか?」
「え?」
感情を押し殺すような声とは正反対に、東雲の手はひざの上でぎゅっと固く握りしめられていた。こんなに感情をあらわにしている東雲を見るのは初めてだ。
「世の中には、すきな人と付き合えない人もいるのですよ」
「……じゃあ何? ぼくと付き合ったのは、嫌がらせだったの? やっぱり、ぼくの気持ちをもてあそんでたってわけ?」
ここに来て、溜めこんでいた怒りのほうが大きくなってしまった。
違う、東雲はそんなことしない。東雲はウソをつかない。ぼくにとってはかなりショックだけど、付き合うと言ったのは、本当に失言なのだ。だから、東雲は悪くないのに。いや、悪くなくはないけれど、悪気はなかったはずだ。
「そう、かもしれませんね」
それなのに、ぼくは自分の被害妄想を東雲に押しつけて、あまつさえそれを認めさせてしまった。最低なのは、どっちだよ。
「鷹羽さん、これでわかったでしょう? わたしはこんなに最低な人間なのですよ。いくら失言とはいえ、あなたの気持ちをもてあそんだことは事実です。だから、これで本当に無関係になりましょう。明日からはただのクラスメイトで――」
「嫌だ」
「……はい?」
「そのなの、絶対に嫌だ」
ばっと顔を上げれば、こちらを振り向いた東雲と目が合う。ぼくはその目を真っ直ぐに見据えて、自分の正直な気持ちを伝えた。
「ぼくは東雲がすきだ。今もその気持ちは変わってないよ」
「おかしな人ですね、あなたは」
「今まで、短い間、しかも昼休み限定だったけど、東雲と付き合ってきて、東雲の知らない一面を知ることができて嬉しかった。貧乳について熱く語ったときだって引かないでいてくれて、本当に救われたんだ。それに――」
「……それに、何です?」
そこで切ったぼくの言葉をくり返し、続きを促すように尋ねてくる東雲。
ぼくはそんな彼女に向かって、へにゃり、と気の抜けた笑みを浮かべてみせた。
「それに、東雲はぼくの作ったハンバーグをおいしいって言って、全部食べてくれた。あの言葉は、ウソじゃないんだよね?」
ぼくの言葉が意外だったのか、東雲はまた目を見開くと、さっと視線をそらしてしまった。
しかし、すぐに、
「……ええ。まずいものを無理して食べるほど、わたしはできた人間ではありませんので」
とばつが悪そうにつぶやいた。それが少し照れているように見えたのは、ぼくの気のせいだろうか。
「そっか、ならよかった。ぼくはさ、それが本当に嬉しかったんだ。すきな人に自分の作ったものをおいしいって言って食べてもらえるなんて、最高じゃないか。って、何か主婦みたいなセリフだね、これ」
「……わたしには、理解できません」
「それでもいいよ。だって、これは東雲の気持ちじゃなくて、ぼくの気持ちなんだから。でも、ぼくたちって今、ある意味同じ気持ちを抱えてるよね」
「はい?」
意味がわからない、というように眉間にシワを寄せて首をかしげる東雲。もしかしたら少し機嫌が悪いのかもしれないけれど、そのカオすらもかわいく思えてくるのだから、ぼくは相当重症なようだ。
そう思って、くすり、と笑みをこぼせば、東雲の眉間のシワがまた少し濃くなる。
「鷹羽さん、笑っていないで説明してください」
「ああ、ごめんごめん。だからさ、ぼくも東雲も、片想いしてるってこと」
「え?」
「東雲のすきな人は誰かわかんないけど、叶わなくても想い続けてるってことは、それだけ相手がすきってことでしょ? だから、ぼくも東雲に叶わない恋をしてるってことになるじゃん」
まったく、東雲にそんなにも想われてるやつがうらやましいよ。ぼくなんて、ただの道化師だったのに。
でも、ぼくはまだ幸せなほうなのだろう。ほんのわずかな間だったけれど、東雲と付き合うことができたのだから。そこに東雲の気持ちがなくても、残酷な真実が明らかになるまでは、ぼくは確かに幸せだったのだ。だから、
「ぼくは東雲のこと、あきらめないから。東雲もきっとそれは同じだろ? 叶わなくても簡単にあきらめることなんてできないよね」
「ええ、まあ」
「だからさ、これからもまずは『友達』として、たまにまたここで一緒にお昼を一緒に食べてもらえないかな?」
「恋人」としての今も、未来もなくなってしまったけれど、「友達」としての今と、もしかしたらいつかは「本当の恋人」になれるかもしれないという未来はあるはずだ。
まあ、また「恋人」になれる可能性は限りなくゼロに近いけれど、ゼロではないのなら、ぼくはそれに賭けよう。ああ、ぼくって本当に東雲のことがすきなんだなあ。
すると、東雲は正面を向いてしばし逡巡したあと、真っ直ぐにこちらを見据えた。ぼくのすきな、あの目で。そして、
「不束者ですが、よろしくお願いします」
と礼儀正しく言って、頭を下げたではないか。告白した日のことが、はっきりとよみがえる。そういえば、東雲はあのときも同じことを言ってたっけ。
「い……こ、こちらこそ、よろしくお願いします!」
ここはあのときと同じで人気はないといえど、叫んだら誰かに気付かれる可能性がある場所なので、ぼくはぐっと我慢して、自分も頭を下げるだけにとどめた。
すると、頭上から聞こえてきたのは「ふ」という東雲独特の笑い声。ぱっと顔を上げれば、案の定、東雲は口に手を当てて、こんなことをつぶやいた。
「学習しましたね」