02
『屋上に直接お願いします』
東雲からこんなメールが来たのは、ホームルームが終わったころだった。ぼくはばっと振り向いて、後ろの窓際に座る東雲に視線を送る。
しかし、彼女はこちらをちらりとも見ず、一心に本を読んでいた。仕方がないので、ぼくはメールの返事を打つ。
『屋上って鍵がかかってたんじゃなかったっけ?』
『大丈夫です』
『大丈夫って何が?』
『大丈夫です』
会話になってねぇ……と呆れながらも、もう一度東雲のほうを見やる。しかし、やはり彼女は黙々と読書を続けているだけだった。晴人、ぼく、やっぱり頑張れないかも。
はあー、と長いため息をついて、ぼくは机に突っ伏した。まあいいや、そういう約束だったわけだし。付き合える(と言えるのかはかなり不明だが)だけで十分だ。一日に一回、話せるだけでも十分じゃないか。
ぼくは無理やりそう思いこむことにし、しかし、やっぱり楽しみだったので、あまり身の引き締まらない状態で午前中の授業を受けた。
そして、右耳から左耳へと先生の話は流れ、待ちに待った昼休み。ぼくはチャイムと同時に立ち上がり、東雲の席を振り向いたが、そこに彼女の姿はなかった。え、いなくなるの早っ。
「し、東雲さーん? いますかー?」
全速力で屋上まで駆け上がったのだが、そこには誰もいなかった。あれ、おかしいな――
「はい、いますが」
「おわっ!?」
背後からの声にビクッと肩を震わせ、おそるおそる振り向くと、そこにはきょとんとしたカオでこちらを見つめる東雲が立っていた。
「な、何故後ろに?」
「お昼を買いにいっていたのですよ。今日は忘れてしまって」
がさり、と東雲が持ち上げて見せてくれたのは、昼ご飯が入っているらしい白い袋。購買は人気があるから、早くしないとほしいものがなくなってしまうと聞いたことがある。だから、東雲はあんなに早く教室からいなくなっていたのか。
しかし、そんな争奪戦の中に東雲が……と考えてみる。やっぱりほしいもの目がけて全力で突っ込んだり、大声を出したりしたのだろうか。東雲に俊敏な動きが似合わなすぎて、思わず吹き出してしまった。
「どうかしましたか?」
「あ、いや、何でもない。ていうか『今日は』ってことは、いつもはちゃんと持ってきてるってこと?」
「ええ」
「手作り?」
「はい、母の」
「ああ、お母さんのね」
一瞬、東雲本人の手作りかと思ったが、そうではなかったようだ。もしそうだったら、東雲の手作り弁当とか食べられたのかなあ。
「で、どこで食べるの? まさかここの地べたで座って、とか言わないよね?」
「ええ、もちろん」
ぼくの質問をあっさり肯定して、東雲はとんとん、と残りの階段を登り切った。そして、ぼくの横をすり抜けて、閉まっているはずの屋上のドアの前まで行くと、ポケットから何かを取り出し、ガチャリと――「ガチャリ」?
「さあ、どうぞ」
「へ?」
ギイィ、という音を立てて、いとも簡単に開いた屋上の扉。ということはつまり、東雲がさっき取り出したのは、屋上の鍵だということだ。いや待てよ、ヘアピンでピッキングということも考えられなくはないな。
「一体どうやって……」
「あなたには関係ありません」
「そう、ですね……」
鍵を開けた方法を教えてもらえなかったことももちろん残念だが、それ以上に「あなたには関係ない」という言葉そのものがぐさり、とぼくの胸に突き刺さった。
確かに、ぼくと鍵を開けた方法は関係ないさ。別にそこまで知りたいことでもないし、もし鍵で開けたのだとしたら、その入手経路を知るのはむしろまずいという可能性もある。だけど、ぼくたちには曲がりなりにも「恋人」という関係性があるわけで。ぼくは、それまでもが否定された気がして嫌だったんだ。
しかし、東雲がそんなぼくの胸の内を知るよしもなく、さっさとドアの向こうに歩みを進めていた。ぼくもそのあとに続いて初めて屋上に足を踏み入れると、さああ、と気持ちのよい風が吹いた。その余韻に浸るヒマもなく、東雲に「鍵を閉めてください」と言われたのだけれど。
屋上は使われていないはずなのに、何故かいくつかのベンチがあった。おそらく、以前は解放されていたのだろう。その中でなるべく敷地の内側にあって、グラウンドなどからは見えないような位置のベンチに並んで腰をかけた。
「えーと、東雲さんは」
「東雲で構いませんよ、鷹羽さん」
「そう? じゃあ、ぼくも呼び捨てでいいよ」
「いえ、わたしは鷹羽さんで構いません」
「そう、ですか」
「男の人を呼び捨てにするのは少し抵抗がありますので」
「そう、ですね!」
危ない、危ない。また落ちこむところだった。ちゃんとした理由があるのなら、ぼくは納得できる。
「で、何でしょうか」
「あ、えっと、東雲はカレーパンがすきなのかなって」
ちらり、と向けた視線の先には、東雲が今まさに開けようと手に取っていたカレーパン。彼女はそれを一瞥してから、もう一度顔を上げた。
「すきか嫌いかと聞かれれば、すきなほうだと思います。これはただ最初に目についたから購入しただけです」
「そう、ですか」
どうやら、やっぱり東雲は争奪戦に積極的に参加してきたわけではないようだ。だったら、あんなに早くいなくならなくてもいいと思うのだけれど。あ、もしかして、一番乗りだったのだろうか。
東雲に対する想像は膨らむものの、話はそこで途切れてしまっていた。東雲は黙々とカレーパンを食べていて、話しかけてくる様子はない。
彼女はいつも無表情で、そこもクールでかっこいいなどと思っていたのだが、感情もあまりなさそうだとなると、ちょっと思っていたのとは違ってくる。ならば、ここはぼくが努力するしかないだろう。
「えーと、じゃあ、何かすきな食べ物とかある?」
「口に合うものなら何でも食べます。これと言って特に何がすきというのはありません」
「そう、ですか」
「でも、しいて言うならハンバーグでしょうか」
お、ついに東雲が自分から話してくれたぞ。我ながら単純だとは思うが、ぼくはそれだけで嬉しくなり、テンションが上がった。
「へえ、それもお母さんの?」
「はい」
「自分では料理しないの?」
「手伝い程度ならしますが、本格的にはしません」
「そうなんだ。実はぼく、ハンバーグは得意なんだよね」
「何故ですか?」
「へ?」
「何故ハンバーグだけが得意なのですか?」
ああ、そういう意味か。ていうか東雲さん、近いんですけど。何故かずいっとこちらをのぞきこむようにして尋ねられた質問。じっとこちらを見つめる目から視線を外さないように注意しながら、ぼくは言葉を紡いだ。
「普段は料理なんてちっともしないんだけど、中学のときに調理実習で作ったから覚えたんだよ。自画自賛みたいになっちゃうけど、やっぱり自分で作ったものっておいしいんだよね。そのあと家でも作ったら、みんなおいしいって言ってくれてさ。だから、夕食がハンバーグのときはぼくが作ることになってるんだ。そうだ、何なら今度作ってこようか?」
「え?」
「だって東雲、ハンバーグすきなんでしょ?」
「それはそうですが」
「まあ口に合うかはわかんないけどさ。すきなコのために何かしてあげたいっていうか……」
そこまで言って、東雲が呆然としたようなカオでこちらを見つめていることに気付く。
うわあああ、ぼく、今何て言った? 調子に乗ってとんでもないことを言った気がする! 「すきなコのために何かしてあげたい」とか、自分で言ってて恥ずかしいわ!
「ご、ごめん。もちろん東雲がよければ、なんだけど……」
「では、鷹羽さんの負担にならなければ、是非」
「だよねー……って、マジで!?」
「はい」
絶対「結構です」なんて言われるかと思っていたので、まさかの「是非」だなんて、ぼくはもう嬉しくて仕方がなかった。明日は早起きだ!
「ありがとう! 絶対おいしいの作ってくるからな!」
「はい」