プロローグ
「東雲憂冰さん、すきです、付き合ってください!」
叫ぶように告白して、右手を差し出すと同時に深く腰を折る。ここまで必死だと、告白というよりお願いに近いな、などと思いながら。
ぼくは今、人生で一番勇気を出して、一世一代の告白をしていた。目の前にいる人物――クラスメイトの東雲憂冰の返答次第で、ぼくのこの先の人生の明暗が分かれる。
普段は誰も来ないような旧校舎の裏は静寂に包まれ、さわさわと気持ちのよい五月の風が吹く。しかし、ぼくの緊張は頂点に達し、つう、と嫌な汗がほおを一すじ流れた、そのとき。
「はい、よろしくお願いします」
「……え?」
今、目の前にいる彼女は、何と言った?
腰を折ったままで、のろのろと顔だけを上げると、東雲は真顔でこちらをじっと見つめている。そして、
「不束者ですが、こちらこそよろしくお願いします」
と言って、礼儀正しくお辞儀をしたではないか。
「い、やったあああああ!」
どうやらぼくのこの先の人生はバラ色のようだ。嬉すぎて、全力で叫んでしまった。ここが人気のないところで本当によかったと思う。
くうう、と幸せを噛みしめながらガッツポーズをした手を開き、もう一度右手を彼女のほうに差し出す。見れば、その手は感動のあまり震えていた。
「こここ、こちらこそ、本当によろしくおね」
「ただし」
同じく震えていたぼくの声を遮って、東雲が言葉を発する。そのトーンは先ほどよりも少し低い気がしたが、完全に浮かれきっていたぼくは、何も考えずにニヤニヤとしたしまりのないカオをそちらに向けてしまった。
「付き合うには、いくつかの条件があります。この条件を受け入れてもらえなければ、あなたとお付き合いすることはできません」
そのセリフを聞いて、一瞬で背筋が凍った。東雲の真剣な表情を見る限り、冗談で言っているのではないらしい。そんな、せっかく付き合えるチャンスなのに、それを自分から棒に振るなんてことだけは絶対にしたくない。
ぼくは姿勢を正し、ゆるみきったほおをぱしん、と自分で叩く。そして、もう一度きちんと彼女に向き合った。
「大丈夫です。何でもします!」
勢いよく返事をすると、ぴくり、と彼女の眉がわずかに反応した。そして、こちらをうかがうようにじっと見つめたあと、はあ、と一息ついてから、ゆっくりとその口を開いた。
「そうですか。では、その条件ですが」
「はい!」
「まず、わたしとあなたが付き合っているということは、周りには内緒にしておいてください。でも、信用できる人であれば、一人だけ教えてもいいことにしましょう」
「え、あ、はい」
ちょっと残念な気もするけれど、「ぼく、彼女できたんだぜ、いいだろー」とか自慢するキャラではないし、からかわれるのは面倒だ。
それに、もしかしたら東雲は恥ずかしがり屋で、バレたときに周りに何か言われるのが嫌なのかもしれない。あと、「一人だけ」と言われて真っ先に思い浮かべたのは本当に一人だけだったし、問題はなさそうだ。よし、これは大丈夫。
そんな心の内を読まれたのか、東雲はとてもいいタイミングで次の条件を提示してきた。
「次に、二人きりになれるのは昼休みだけなのですが、それでもいいでしょうか。話すのもそのときのみでお願いします」
「え、何で? そのほかは?」
「一つ目の条件で言いましたが、周りにバレると困るので、過度な接触は避けたほうがいいかと思います。それ以前に、わたしは放課後にちょっと用事がありますので」
「あ、部活とかやってたっけ」
「いえ、部活はやっていませんが、まあ色々ありまして」
「そう、なんだ」
「ええ、すみません。ですので、当然登下校も一緒にはできない、と先に言っておきます」
「わ、わかりました……」
確かに周りに隠すことを前提にするのなら、この条件は当たり前のことばかりだ。だけど、昼休みしか二人きりになれないって、それは「恋人」として成立するのだろうか。一緒に登下校するとか、夢だったのにな。
でも、用事があるのなら仕方ない。あまり深く突っ込みすぎて嫌われるのも嫌だしな。引き際が肝心だってことで。謙虚さは大事だって、誰かも言ってた気がするし。
そうしてぼくは、二つ目の条件も(泣く泣く)受け入れ、今度は自分から言葉を発した。
「えーと、まだあったりします、か?」
ぎこちない笑みを浮かべながら、かくり、と首をかしげておずおず尋ねたぼくは、さぞかし滑稽だっただろう。しかし、東雲はそうは思っていないのか、はたまた気にしていないのか、真っ直ぐな視線でぼくの瞳を射抜いた。
「すみません、これで最後です」
「おお、了解です!」
どんっ、と胸を叩き、寛容な男であるということをアピールしてみせる。しかし、彼女は特に表情を変えるわけでもなく、しかし、とんでもないことを口にしたのだった。
「手をつなぐ、キスをする、セックスをする。以上三点を、わたしはあなたとすることができません。それでも、あなたはわたしと付き合いたいと思いますか?」
「……はい?」
あまりにも予想外な最後の条件に、ぼくはただそう口にするのが精一杯だった。