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夢の彼女

作者: 牛さん
掲載日:2026/01/20

彼女は、いつも同じ夢の中にいた。

柔らかな光の中で、名前を呼んでくれる。声は風みたいで、触れられそうで触れられない。


夢から覚めると、彼女のことはすべて消えていた。

顔も、声も、何を話したかも。ただ「誰かに会っていた」という感覚だけが、胸の奥に残る。


それでも夢は毎晩やってきた。

何度も恋に落ち、何度も忘れた。


――おかしい、と思い始めたのは、ある朝だった。

目を覚ましたあとも、彼女の横顔が消えなかった。


最初は断片だった。

指先の温度、笑うときに少し伏せる目。

時間が経つにつれて、夢の記憶は現実に留まるようになった。


現実と夢の境目が、曖昧になっていった。


昼間、街を歩いていても、ふと彼女が隣にいる気がした。

夜、眠るのが怖くなった。

どちらが夢で、どちらが現実なのか、わからなくなっていったから。


「このままじゃ、壊れるよ」


夢の中で、彼女はそう言った。

その声は、いつもよりずっと悲しそうだった。


「君が壊れるくらいなら、夢は終わったほうがいい」


彼女は、夢を壊そうとしていた。


それに抗うように、僕は夢日記を書き始めた。

目が覚めた瞬間、震える手で書き殴る。

彼女の言葉、仕草、名前。


書けば、忘れなかった。

書いている限り、彼女は現実に存在している気がした。


けれど、ある日。


現実の彼女――現実にいる、別の「彼女」が、夢日記を見つけた。


理由はわからない。

嫉妬だったのか、恐怖だったのか、それとも優しさだったのか。


炎は、静かに紙を食べていった。

文字が、名前が、記憶が、灰になった。


その夜、夢を見なかった。


朝起きたとき、胸は空っぽだった。

何か大切なものを失った気がするのに、何を失ったのか思い出せない。


だから、忘れないために、手のひらに名前を書いた。


何の名前なのかもわからないまま。


時間が経つと、インクは薄れていった。

消えていく文字を見て、なぜか怖くなった。


消そうとして、やめた。

理由は、わからない。


「夢って悲しいね」


ふと、口からこぼれた言葉に、自分で驚いた。


「思い出そうとしても、思い出せないもん」


その瞬間、胸の奥が、きしんだ。

記憶が、波のように押し寄せた。


彼女。

夢の中の彼女。

何度も恋をした、名前を呼んだ、忘れてしまった彼女。


慌てて手のひらを見る。


そこにはもう名前はなかった。

ただ、うっすらと黒い汚れだけが残っていた。

何かを書いて、何かを必死に残そうとした痕跡だけが。


そのことを、現実の彼女に話した。


彼女は少し黙ってから、微笑った。


そして、こう言った。


「……それ、きっと夢のほうが現実だったんだよ」

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