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 全治三か月の重症、と医者は言った。


「てことは、一週間くらいは寝てなくちゃいけねえってことか。参ったなあ、どうしよう」


「ばーか、違うよ」


 ボスコに頭を小突かれた。


「自分の体力を過信しすぎだったつーの。とりあえず医者がいいと言うまでは寝とけ。お前の仕事は体が資本だろうが。ふらふらのへろへろのまま退院したところで、何ができる」


「だって、寝てたら稼ぎがゼロになっちまうばかりだし……」


「おまえんちのことなら、しばらくは俺に任せとけ。男一匹、親友が大変なときに家計の肩代わりするなんざ、お安い御用さ」


 不覚にも目じりに涙がにじんだ。


 香港では医療費も高い。

 公立病院にかかるには宝くじ並みの幸運が必要だし、だからといって私立病院では目の玉が飛び出るほどのカネがかかる。

 本来ならフォウなどが入院できるはずもないのだが、そこはそれ、ボスコの人脈である。

 あちこちの病院に太いパイプのあるボスコが手を回し、できるだけ安い病院での診察と、格安の入院を勝ち取ってくれたのだ。


 かえすがえすもボスコには頭が上がらない。


「それにしても、フォウよう。お前ほどの道幻道士がコテンパンにやられるってのは、よほどすごい相手だったんだな」


「そりゃあもう」


 フォウは素直に同意した。


「金華猫っていう妖怪だったそうなんだけど、俺は名前を聞いたのも初めてさ。なんでも浙江省の出身で、古い本によれば月の光が集まってできた猫の妖怪変化で、病にかかった人間の精気を吸い取るんだと」


「へえ、金華猫」


 わからないなりに、ボスコが鹿爪らしく頷いた。


金華火腿(カムワーフオートイ)ならおなじみだけどよ。ちと高いけど美味いよな、金華ハム。病人に精をつけるにもよさそうだ。今度、スープにして持ってきてやるよ」


「なんの話してんだよ、お前は」


 フォウは笑った。


 あの後、撮影現場にはあの男だけでなく、仏山派の道士たちがわらわらと現れてきて、せっせと事後処理をすませていった。

 実をいえば彼らも病院が総本山だと思って見張っていたところ、当の妖怪がすでにキャスリーンに憑依して病院を抜け出したのを見逃してしまったのだ。

 その失態を回復しようと、彼らも必死のようだった。


 大元の金華猫は退治されているので、その他の人々を正気に戻すのに手間はかからなかった。人数が多いので少し大変だっただけだ。

 それも仏山派道士の人海戦術で、誰も目を覚まさないうちに全ての憑依を体内から引き抜くことができた。

 個々の人々の記憶も、道士たちによっていい感じに改ざんされた。


 だが、焼け焦げた肉塊になったキャスリーンだけは。


「許せない」


 毛布の端を握りしめて、フォウは呟く。


 対外的には、キャスリーン・チョイは野外撮影中の落雷で死亡したことになっている。


 フォウが目を覚ましたときには、もう葬式も終わっていた。

 雷撃を受けて全身黒こげになっているという建前で、棺は密封したまま火葬されたそうだ。


 ボスコが業界のつてで裏事情を仕入れてきてくれた。

 葬式にはファンが詰めかけ、たいへんな騒ぎになったという。


 世間も騒いだし政府も落雷についての談話を出すし新聞雑誌では連日特集を組まれたが、熱しやすく覚めやすいのが香港人の習性。

 ひとしきり話題になった後は、そんなこともあるかと納得され、忘却の彼方に押しやられつつある。


 しかしフォウは忘れない。


「あいつは……金華猫を退治するためとはいえ、平気な顔をして人一人を殺しやがった」


 あの若い道士の傲慢不遜な顔つきを、フォウは思い出す。


 彼の能力はすごい。

 あれほどフォウが苦戦していた相手を、雷のたった一発で粉々にしてしまった。

 仏山派で最も優秀な道士という二つ名も、伊達ではないということだ。


 けれども。


 フォウが苦戦したのも、なんとかして彼らを傷つけず事態を解決しようとしたためだった。

 あっさり殺してしまっていいのなら、フォウとて作戦の立てようはあったのだ。


 天から能力を与えられて生まれたのは人を救うためだ、という教えがフォウの根っこの部分を支えている。

 なにもそれは、父親から叩き込まれたからというだけではない。

 くじけそうなときにフォウが自分を鼓舞できるのは、その使命感があってこそだ。


 なのに、あの男は。


「許せない」


 フォウはもう一度言った。

 今度は、さっきよりも強い口調で。


 プロの道士だと彼は自称した。

 なるほど、プロなら非情にもなるのだろう。

 妖怪を退治して世間から真実を隠ぺいするという依頼を完遂できれば、プロとしては任務完了というわけなのだろう。


 フォウは違う。


 俺は霊幻道士だ。

 プロだとかアマチュアだとか、そんなことはどうでもいい。

 生まれてきたのは、世のため人のため。

 そうでなければこんな能力、なんの意味がある?


 あいつめ。


 布団の上で、フォウはぎゅっと己の拳を握りしめる。名も知らぬあの男のことを考えながら。


 お前は確かに強い。

 だが、お前は決定的に間違っている。

 いつかきっと、それをお前に教えてやる。霊幻道士としての正しい生き方を、見せつけてやる。


「どした、フォウ。どっか痛いのか? 看護師さん、呼んでこようか」


 唇を噛み締めて黙り込んだフォウに、ボスコがおろおろし始めた。

 善良なる友人を心配させまいと、フォウは自分の熱い思いを胸の奥に押し込んで、なんとか笑顔を浮かべてみせた。


 微笑みながらも、胸の中で叫ぶ。


 あの野郎。

 偉そうなあの顔、あの表情。

 失神しかけの、薄れた意識の中でひと目見ただけだが、忘れない。忘れてたまるものか。

 名前さえ聞き忘れてしまったが、あいつめ。


 今度会ったら、きっと。


「ぶん殴ってやる!」


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