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 ミニバスを乗り継いで、問題の病院にたどりついた。


 藍田(ラムティン)という、比較的最近に開発された住宅地の中にその病院はあった。

 病床はそれほどたくさんあるようには見えなかったが、真新しい建物だったことにフォウは少し驚いた。

 たいていこういった事件に関わるのは、病人と死人の怨念が壁や床に染みついた古い病院だからである。


 こじんまりとしたその建物に向かって歩く。

 玄関まできて、うんざりして立ち止まった。


「よお、フォウ! 遅いじゃねえか!」


 とっぷり日が落ちた夕闇の中、入院病棟から漏れる灯に照らし出されて待っていたのはボスコだったからである。


「てめえってやつはああ」


 フォウは眉を押さえて呻いた。


「関わるなって言っただろうが! 俺の仕事は遊びじゃねえんだぞ!」


「その仕事を見つけてきてやったのは俺様だってことを忘れてんじゃねえのか?」


 ボスコはそっくり返ってうそぶいた。


「おっと、心配ご無用。頼りになる婦長さんから、もうすでにこっそり院長先生へ話は通ってんだ。偉そうなこと言っても、この病院に通ったら狐狸に憑かれるなんていう噂が立って、困り果てていたんだと。解決してくれたら、それなりの報酬を払うって話がちゃんとできてるからご安心」


 ほう、とフォウは目を見張った。

 ボスコは自慢げに親指を立ててみせた。

 頼りにならないようで、頼りになる男なのである。だからこの腐れ縁も続いている、のかもしれない。


「それで、どうだ? この病院」


「ビンゴだな」


 フォウは肩をすくめてみせた。


 まだ敷地の中へ入ってもいないのに、フォウの感覚にびんびんと不穏な気配が響いてくる。

 何がどうだとは断定できないが、ただごとでない雰囲気が建物を取り巻いている。


 あえて強引に玄関のほうへ向かおうとすると、空気が急に重たくなり、フォウの体は路上へ押し返されそうになった。


 夜の診療は行わず、高額の入院費を平気で払う少数の患者を相手にする病院らしい。

 表玄関は鍵が閉まり、診察終了の札も出ている。


「大丈夫、俺たち業者の使う通用門がこっちにある」


 この圧力を、ボスコはかけらも感じていないらしい。

 平気な顔をして通用門を開き、率先して敷地の中へ入っていった。


 と見るや、急に逆戻りしてくる。


「どしたいボスコ」


 フォウを振り返ったボスコの目は、皿のようにまん丸になっていた。

 そればかりか口もあんぐり開かれ、ワナワナ震えながら敷地の中を指さしている。


 すわ異変の始まりかと、フォウは身構えた。片手にマッチを構え、もう一方の手でかばんから呪符の束を取り出す。


「ボスコ、下がれ!」


 ボスコは下がらなかった。

 代わりに。


 静かに通用門を押して、現れた人影がある。


 病院の照り返しを背中に受けているので、シルエットでしか様子がわからない。

 だが、波打つ豊かな長髪をたたえているだけでなく、そのシルエットの極端な凹凸と、すんなり伸びた長い足の影が告げている。


 ものすごいという形容詞を使うしかない、抜群のプロポーションを持つ女性だ。

 しかも、若い。


 道路を車が通り過ぎた。

 ライトが人影を照らし出す。


 鼻筋の通った、とびきりの美女だった。

 面識はない。


「き……きれい……」


 ボスコはすでにメロメロになっている。


「お、お嬢さん、こんな暗いところでお一人では危ないですよ」


 もっともらしいことは言っているが、呂律が回っていない。

 ただでさえ美人に弱いのはボスコの大いなる欠点で、そのせいで散々失敗も繰り返してきているのだが、どんなにひどい目にあっても懲りないのがまた、ボスコらしいというか。


 一方のフォウは、美女の登場にますます警戒を強めた。


 妖気がぷんぷん臭ってくる場所で、突然現れた美人。

 これを怪しまない霊幻道士がいるものか。


「何者だ、貴様は!」


 少しでも怪しい気配を見せたら承知しないという意志を示すために、呪符の束を眼前にかざしてみせた。


 美女は。

 ふふ、と小さく笑った。


「落ち着いてちょうだい。私は妖怪でも悪霊でもないわ」


「なにい!?」


「この建物には確かに妖気が充満しているけれど、そのせいでれっきとした人間を妖異と見間違うのだとしたら、あなたがまだまだ半人前だということよ。早まって恥をかかないように、気をつけなさい」


 女はさらにカチンとくることを言った。


 だが、おかげでフォウは頭を冷やすことができた。

 目を閉じて大きく息を吸い、目の前の女の気配を探る。


 女のいうとおりだった。

 人間だ。


 だが、ただの人間とも言い切れない。

 彼女からは怪異と親しく触れあっている者に特有の、一種独特な波長が流れ出している。

 それもフォウたち霊幻道士とは微妙に違う。

 そのくせ、精神でその波長に触れていると、こちらの感覚が次第に研ぎ澄まされていくような気がしてくる。


「そうよ。私は触媒」


 女は静かな口調で言った。


「し、触媒?」


「私自身には、霊幻道士になれる素質はない。けれども私は、道士たちの力や技を増幅することができる」


「き……君は……?」


 フォウは息を呑んだ。


 人間の中に、まれにそういう能力を持つ者がいると聞いたことはあった。

 だが、実際に会うのは初めてだった。


「君は一体……」


「私の名前は、何小玲(ホー・シウレン)


「シウレン?」


「この病院には怪異がある。それは確かよ」


 長いまつ毛を瞬かせ、シウレンはフォウに向かって小さく頷いてみせた。


「けれども、手出しは無用」


「なんだと!? どうしてだ!」

「この病院については、我ら仏山派(ファツサンパイ)がすでに仕事を請け負っている。あなたのような野良の道士にちょっかいを出されては、こちらの計画が台無しになってしまう」


「な……」


「おうおう、ねーちゃん!」


 絶句したフォウの代わりにシウレンへ詰め寄ったのは、ボスコだった。

 美女を目の当たりにしたショックからは回復し、今は親友のフォウを愚弄された怒りに目を吊り上げていた。


「野良の道士たあどういう了見だよ! それに、この病院のことは俺っちが院長から依頼を受けたんだぜ。仏山派だかなんだか知らねえが、そこへしゃしゃり出てきて脇から仕事をかっさらおうとしてんのは、あんたらのほうじゃねえか!」


「この病院の経営者は、院長じゃないから」


「なんだとお!?」


「院長も他の医師や看護師と同じく、雇われているだけ。本当の経営者は、とある国際的な企業グループの総帥なの。我ら歩仏山派に依頼してきたのも、その総帥。もちろん、費用に糸目はつけないという約束で。だから、あなたにはこの病院に手出しをする権利がない」


 いきり立っているボスコをよそに、シウレンは真っすぐにフォウを見据えて言った。


「いくらあなたが野良の道士でも、この業界の約束事はわかっているはずよね? 依頼がない限り、他の道士がすでに手をつけている一件に手を突っこんではいけない。道士にはそれなりの計画があり、そのために張り巡らした術がある。それを知らない者が介入すれば、せっかくの術が台無しになる」


 シウレンの言うとおりだった。

 これが逆の立場だったとしたら、フォウも同じことを言うだろう。

 莫大な報酬が絡んでいるからではなく、業界での道徳規範として。


「あなたが、人助けのために道士をやっているという噂は、私も知っているわ」


 あくまで穏やかに、シウレンは言った。


「この病院の患者たちが心配だという気持ちも、わかるつもりよ。けれど、大丈夫。私たち仏山派の中でも、最も優秀と言われる道士がすでに仕事に取り掛かっている。ここはおとなしく、身を引いてちょうだい」


「し、しかし……」


「あなたはたった一人。一人では無理な相手なの。お願い、私の言葉を信じて。私たちに任せて」


 返す言葉もなかった。


 なおもシウレンに突っかかろうとしたボスコの腕を引いて、フォウは黙って首を振ってみせた。

 もちろん、はらわたは煮えくり返っている。

 苛立ちを隠す気にもなれない。

 なんと言われようと、フォウは脇から仕事をかっさらわれたのだ。少なくとも自分の感覚としては、そうだ。


 けれども仕方ない。


「帰るぞ」


 ぽつんとボスコにそれだけ言って、フォウはシウレンに背を向けた。


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