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 大都会香港に生まれ育ったフォウは、この町のうらびれた雰囲気をけっこう気に入っていた。


「何より、騒がしくないのがいいよ。だからって、ぜんぜん活気がない、というほどでもないしさ。地に足がついてるって感じがして、俺は好きさ」


 常日頃からそう表明しているフォウは、氷浦教授のお使いで町を訪れるときも、ついでに通りをぶらぶらするのを常としていた。

 特に夕方のスーパーの賑わいは、香港の街市(ガイシー)(政府が運営する地区ごとのマーケット)にちょっと似ていて、見ているだけでウキウキしてくるのだった。


「おい、あんちゃん。こっちの惣菜には値引きシールを貼ってくれないのかい」


「あーすいませえん、その質問には、返事しちゃいけないことになってるんスよー」


 どこの国でも老人はパワフルだ。夕方のセールが始まると、我も我もと値引き品の争奪戦が始まる。

 より安いものを買いたいというよりは、お得なものをいち早くゲットする競争を楽しんでいるふうで、フォウはつい微笑んでしまう。一番人気は半額になった弁当類のようだ。


 色どり豊かなおにぎりのセットにやや心惹かれたが、手を出しかけて思い直した。

 日本の弁当はどこの店のものも一定水準に達してはいるが、和彦と氷浦教授が交代で作る夕食とは比べ物にならない。

 料理の上手さうんぬんというよりも、二人の心尽くしを頂くという行為が尊いのだ、とフォウは思っている。


「そういや、今晩の夕ご飯には、例の到来モノの鮭の切り身がメインディッシュになるっていう話だったな」


 村の老人のところへ正月に届いた、都会に住む息子からのプレゼント品である。頑固に山奥で暮らす親に、海のものを食べさせてやりたいという親孝行であろう。

 春が来るまで息子の心尽くしと思い大事に貯蔵してきた老人だが、いざ食べようとして丸ごと一匹の処理に困り、九条先生におすそわけした。

 それがさらに氷浦教授のところへ回ってきたのである。


「あ、そうだった」


 危うく忘れるところだった。

 フォウは慌ててポケットから書きつけを取り出した。なぜか魚料理を得意とする氷浦教授から、北欧風の煮込みにするから買ってきてくれと言われ、幾つかのスパイスの名前を仰せつかってきたのである。


「ええと……オレガノ、にセージ? ローズマリー……って読むのかな」


 カタカナが羅列されたメモに首を傾げつつ、フォウはスパイスコーナーを探して店内をうろうろしていた。

 無駄に周回を繰り返してから、恐らくパスタ系の陳列に関連づけられているのではとひらめいて、押していたカートの向きを変える。


 そこへ、すごい勢いで誰かがぶつかってきた。


「うわっ、なんだよいったい?」


 咄嗟にフォウはカートを胸元に引いて転倒をまぬがれた。


 代わりに、通路から飛び出してきた男が派手に転んだ。

 山積みになった缶詰の中へ上半身を投げ出す形になり、ものすごい音と共に缶詰が四方八方へ散乱する。

 巻き込まれかけた主婦たちが、きゃあと叫んで缶詰の襲撃を避けた。


「この野郎!」


 怒鳴ったのはフォウではない。

 その男に続いて現れた、数人のチンピラ然とした一団である。


 年齢は、転んだ男とそう変わらない。どちらも若い男だ。

 しかし身なりは大違いだった。


 追われていた方は不精髭を生やした気弱そうな男で、やや小太り。チェックのシャツの上から汚れたダウンジャケットを羽織り、ぶかぶかのジーパンを履いている。

 一方のチンピラたちは、都会者への憧れを体現化したような姿をしていた。

 流行りのジャケットとスリムジーンズ、金髪に染めたサラサラ髪がまた、どこかの配信者の真似事というふうに見える。


 ハイカットのスニーカーで一人がその小太りの男を蹴り、ブランドもののサングラスをかけているもう一人が、襟首を掴み上げた。


「こんな田舎町まで逃げくさりやがって、舐めてくれるじゃねえか、おら!」


 ドスの効いた声で男にすごむ。


「払うものさえ払えばチャラにしてやるって言ったのが、まさか理解できなかったとか言わねえよなあ?」


「だだだ、だって」


 周囲をチンピラに囲まれながらも、小太りの若者は必死で抵抗を試みている。


「そんな無法な話、な、納得がいかないですよ。ぼぼ、僕はちゃんとチケットを正規で買って、あの子との一日デートの権利を獲得したのに。そっちからドタキャンしておいて、違約金を払えだなんて」


「うるせえよ! このカス!」


 一人が高圧的に怒鳴った。


「誰だって体調不良ってのはあるだろうが! うちの子はなあ、前日には調子が悪くてムリかもしれないと言っただけなんだよ。かもしれない、だぞ。それを真に受けて約束の場所に来なかったのはおめえだろうが! うちの子はちゃんと待ち合わせの場所へ行ってたんだからな!」


「そ、そんなこと見てもないことを信じろと言われても」


「なにぃ!? うちの事務所が嘘ついてるってのかよ?」


 いきり立った一人が男を殴りつけ、男は床に転がってひいひいと泣いた。


 どうやら、いわゆる地下アイドルビジネスの、それもかなり質の悪いのにひっかけられたものらしい。可愛い女の子で男をひっかけ、カネを出したらデートができるというイベントを開催しておいて、遂行できなかったことをネタにさらに違約金を取ろうという悪質な行為だ。

しかも、チンピラにおびえて逃げ出した当事者をこんな田舎町まで追いかけてくるあたり、そうとう悪質である。


「てめえが買ったデート券にも書いてあっただろうがよ! 無断キャンセルは違約金百万円いただきますってな!」


「し、知りませんよ。いったいどこにそんなことが書いてあったというんですか?」


「裏の隅にちゃんとあるよ!」


「もしかして、デザインの花の中にあった、豆粒みたいなあれのこと? ひどい、詐欺だ」


「うるせえ!」


 チンピラがもう一度、拳を振り上げた。


 だが、その拳は振り下ろされなかった。


「な……何だあ?」


 背後からその手首を、フォウが掴んで引っ張り上げたからである。


「何しやがんだ、てめえ! このオタク野郎の友達か?」


 がなり立てて向かってきた脇の一人に、フォウは黙って膝蹴りをくらわした。

 

それほど力を入れたとも見えないのに、チンピラはびっくりするほどの距離をふっとんで、店の端にある喫茶コーナーの椅子と共に転がった。


「くそ、この!」


 チンピラたちがワッと叫んでフォウを囲んだ。


 包囲網の中で、フォウは少しだけ目を細めた。

 ついさっきまでのご機嫌な猫のような表情が、今は不機嫌なネコ科の猛獣のものに変わっている。


 弱い者いじめは大嫌いだ。

 その当事者が借金取りとなると、なおさらだ。


「日本の法律でお前らが正しいのかどうかは知らねえけどよ」


 低い声で、フォウは言った。


「理由は、俺が気に入らねえってことにしとくぜ」


 そういうなりフォウは、片手で腕を掴んでいた一人を思い切りぶん回した。


 ぎゃあ、と叫んでそのチンピラは高速回転し、自分の体で仲間たちをなぎ倒した。

 陳列棚に激突し、並んだ乾物のパッケージと共に床へ散らばる。

 腰や背中を打って、その場で丸まって呻く者もある。畜生、と果敢に起き上がり、フォウにつかみかかってくる無謀なやつもいる。


 ケッ、とフォウが吐き捨てた。


「なかなか骨があるじゃねえか」


 もちろん皮肉である。

 目にも止まらぬ早業で、フォウは三人を一気に倒した。

 一人目の腹に拳を叩き込み、二人目の腕をひしぎ、三人目には首の後ろへ回し蹴りを見舞う。

 情けない悲鳴を上げて、三人は床をのたうった。


「ち……ちくしょう! ぶっ殺してやるう!」


 言葉は威勢はいいが、声はひっくりかえったニワトリみたいになっている。

 それでもこれがリーダー格らしい。真っ青な顔をしつつも、最後の一人が闇雲に殴りかかってきた。

 フォウは鼻で笑って、わずかに身をかわすことでチンピラの猛進をかわした。

 たたらを踏むそいつの背を押して、顔から床へ突っこませる。


「おい、どうした。俺をぶっ殺すんだろ?」


「くそおおおっ」


 打った額を押さえて、リーダー格のそいつがわめいた。


「何してんだ野郎ども! 相手は一人なんだぞ、全員でかかっていけ!」


 怒鳴られて、他のチンピラたちもよろよろと起き上がった。

 かろうじてファイティングポーズらしいものを取り、フォウを囲もうとする。


「面白れえ」


 フォウがぺろりと舌で唇を舐めた。

 完全に、ネズミをいたぶる猫の表情になっている。


 だが、そのフォウが動き出す前に。


「やめるんだ、フォウくん!」


 チンピラたちの包囲を押し分けてケンカのただなかに跳びこんできたのは、誰あろう。


「和彦さんっ?」


 フォウは目を丸くした。


 薄い色の柔らかな亜麻色の髪を優雅に乱し、その下の怜悧なほど整った顔を惜しげなく衆生にさらしてそこに立っているのは他でもない、

 フォウが退屈のあまり銀行の窓口へ置き去りにした、和彦その人であった。


「君たちもだ! やめないか、こんなところで!」


 フォウをひと睨みしてから、和彦はすぐにくるりと向きを変えてチンピラたちへ向き直った。

 その深い青い瞳で見据えられ、チンピラたちが息を呑む。

 何か言い返そうとした例のリーダー格も、視線を向けられてその場へ硬直した。


 もちろんそれは、和彦が絶世の美男子であることとは関係なかった。

 いや、少しは関係があるのかもしれないが、チンピラたちの言葉を奪っているのは、主に彼の全身から発散される、異世界の王族としての威圧感である。


 かつては一つの世界をたった一人で背負い、闘ってきた身だ。

 そこらへんのチンピラが威勢を張ろうとしたところで、太刀打ちである相手ではない。


 和彦は眉をひそめたまま、チンピラたちを睨めつけた。


「何が原因かは知らないが、フォウくん一人を相手に君たちが大勢でかかろうとしていたのは事実だ。よってたかって、というのはどんな理由であれ、よくない。人々が君たちを非難のまなざしで見ているのも仕方ないだろう」


 見るどころか、乱闘が始まって以来、スーパーが買い物をしていた人々は逃げ去ってしまっている。

 それどころか、そもそもの始まりだった気の毒な男の姿もすでにない。

 残っているのは、遠巻きにハラハラしながら成り行きを見守っているスーパーの店員だけである。


「ああ、すみません。よろければ、通報は少し待っていただけませんか」


 そのうちの、携帯電話を今しも取り出した女性店員に向かって和彦は穏やかに声をかけた。

 超絶ハンサムにいきなり微笑みかけられ、女性は真っ赤になった挙げ句、携帯電話を手から取り落とす始末。

 年かさのおばさん店員までがドギマギして両手を組み合わせている。


 自分が女性たちの間に巻き起こした無言のセンセーションにも気付かず、和彦はチンピラのリーダーに手を突き出した。


「出したまえ」


 え、とうろたえる暇も与えず、さらに言葉を重ねる。


「君の財布だ。足りなければ他の者のぶんも出すんだ。床を見てみたまえ。君たちのせいで売り物にならなくなった商品がこんなにたくさんある。いくらかかるかはともかく、弁償しようという誠意を見せなくては」


 その理屈のような屁理屈はほとんど耳に入っていなかっただろうが、とにかく和彦の圧に押されて、チンピラたちはみんなおとなしく財布を差し出した。

 ごく当たり前といったふうに和彦はそれを全て受け取り、次には軽く片手を振ってみせた。

 これでお前たちへの用事は終わったといわんばかりのその仕草に、チンピラたちはようやくギクシャクと動き出した。

 誰にともなくぺこぺことへ頭を下げ、争うようにして出口へ向かう。最後は後も見ずに駆け去っていった。


 それを確認してから、和彦はおもむろに店員たちへ向き直り、深々と頭を下げた。

 店員たちもどぎまぎしつつ、ついお辞儀を返してくる者もいる。


「これで損害の補填になるかどうかわかりませんが」


 和彦はチンピラたちの財布を、手近の店員へ強引に押し付けた。

 そして、彼らがまだぽかんとしているのをいいことに、フォウの腕を掴んで引っ張った。


「何をしてるんだ、フォウくん。行くぞ」


 店員に負けず劣らずぽかんとしてるフォウを引きずり、強引に店を出ていく。

 自動ドアが閉まってからも足を緩めず、どんどんスーパーから遠ざかり、幾つか角を曲がった。


「ふう」


 ずいぶん離れてから、ようやく足を止めて溜息をついた。

 フォウの腕から手を放し、しかしその手で拳を作ってコツンと軽くフォウの頭を小突く。


「まったく、もう。どうしてそんなにケンカっ早いんだろう」


「だってあいつらが……」


「あいつらが悪いのは誰が見たってわかるよ。僕が言ってるのはそのことじゃなくて、なにも周囲があれほどメチャクチャになるくらいの大立ち回りを披露しなくとも、別の解決法はあったんじゃないかということだ」


「だって」


 口を尖らせて、フォウはなおも反論を試みる。


「あれでも俺としては、そうとう手加減したつもりなんだぜ」


「どこがだよ?」


「本当だって! 日本に来てから俺ぁ、自分でもびっくりするほど温和になったんだから。香港にいた頃の俺なら、さっきの連中なんかとっくの昔に全身の骨をバキバキに折り曲げた挙げ句、全員まとめてダルマにしてゴミ箱に突っこんでるとこさ!」


「だいたい似たような感じにはなってたけどなあ」


「和彦さんったら!」


 フォウはむくれた。


「あんたは香港で大暴れしてた頃の俺を知らないから、そうやって厳しいことばっかり言うんだ。あんただってあの当時の俺を知ってたら、こりゃまたえらく大人になったなあと褒めてくれるだろうぜ」


 大真面目でそんな主張をするものだから、和彦も怖い顔を保っていられなくなった。

 一生懸命にこらえたのに、最後にはぷっと噴き出してしまった。


「それはまた、失礼した」


 笑いながら和彦はフォウに謝った。


「それにしても、さっきのあの大暴れをもってして、大人になった温和になったと言われてもなあ。香港時代の君というのがどれほど物凄い暴れ者だったのか、僕にはとうてい想像もつかないよ。知り合ったのがその頃の君じゃなくてよかった、というべきかな」


「いや、そこまで言われちゃうと……」


 フォウが頭をかいた。


「たとえその頃に会ってたとしても、和彦さん相手に大暴れしたりはしねえよ。いくら暴れん坊だとぃつても、それは相手によるわけであって」


「相手ねえ。君をそこまで暴れさせるような剣呑なケンカ相手が、当時の香港にはいたってことかい」


「……まあ、確かに」


 そう言って、フォウは少し遠い目になって夕焼け空を仰いだ。


「いたといえば、いたなあ」


 それっきりフォウが黙り込んでしまったので、和彦も話の接ぎ穂を失ってしまった。


 たぶん、フォウの過去のどこか痛い部分に触れる話だったのだろう。

 フォウがここに来るまでには、そうとうの紆余曲折があったことを和彦も知っている。


 黙って二人で肩を並べて、夕闇の町を歩いた。

 フォウがときおり和彦を見上げて笑ってくれるのが、和彦の救いになった。


 その笑顔を見ながら、和彦は思いを馳せた。


 香港。

 その頃のフォウは。

 どんなふうだったのたろう。


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