人が言うには、非の打ち所の無い許婚者。
お姉様の結婚が本来の予定より早かったせいか、私のバロバス男爵との婚姻話も立ち上がるのが早かった。
私が、親に勧められたロクでもねぇ婚約者候補たちを迷いもせずに早々に一蹴したせいだ。
だって誰を選ぶか悩む時間が無意味な事を知ってるし。
仮に「この人にする」と誰かを選んだとしても、最終的には必ずビューロ・バロバス男爵の所へ嫁入りする事となるから意味が無い。
バロバス男爵は好青年だとの評判の通り、私の前でもとても紳士的で優しい良い人。
私に会いに来る度にプレゼントを贈ってくれるし、家族にも私の邸の使用人たちにも優しくて常に紳士的。
見た目も良い感じだし、世間一般的には女性からの人気が高い。
爵位は低くとも私財が潤沢なバロバス男爵は、経済的支援む求める、年頃の令嬢がいる貴族家の当主たちからも人気があった。
だから婚約者の私には常に羨望の眼差しが向けられた。
誰も知らないものね。
彼との婚姻の先には破滅する未来しかないだなんて。
結婚した後も……
彼のお金を使って贅沢三昧の日々を過ごし、そのお金がどこから湧いているのか疑問にも思わない扱いやすい私を、バロバス男爵は大事にしてくれた。
世間的には、妻に尽くす優しい夫と、その夫を尻に敷き贅沢三昧な生活をひけらかす愚かな妻。
悪目立ちする私を表に立たせた夫は、陰でずっと悪事を働いていた。
私と結婚をするよりずっと前から人身売買に手を染めていた彼は、人を使って国内外の身寄りがなかったり貧しく人の目の届きにくい場所で生活している女性たちを拐ったりさせていた。
この国では禁止されている奴隷を他所から買う事もあった。
夫の悪行のせいで何度も処刑された私は、婚約を破棄するために、私自身の手でその悪事を暴こうとした事があった。
婚約者時代では証拠を集める事は出来ず、仕方無く結婚してから行動に移してみたのだが……
所詮は素人、嗅ぎ回ってる事が簡単にバレてしまった。
「好奇心は猫をも殺すと言うだろう?
君は何も考えずに毎日を怠惰に生きればいい。
僕が目立たないように、君が皆から注目を集める頭の悪い妻でいれば。」
常に自身の周りを警戒し自分を守らせるための人達を囲っていた夫に、私の行動は全て筒抜けだった。
バロバス男爵はその時の私に、反抗的な態度が取れなくなるようにと頭が朦朧とする薬を使った。
初めて薬を使われた時の、私が私の中から居なくなるような、あの恐怖と絶望感はもう二度と味わいたくない。
「投獄される日まで、頭がぼんやりしたまま侍女たちによって贅沢三昧な妻を演じ続けさせられたのよね…。」
やはり、お姉様よりかなり悲惨な人生送ってるわね私。
投獄、処刑はどう足掻いても変わらないのだから大人しくしていれば良いのかも知れない。
だけど…自らバロバス男爵の悪事を探った事で、私は前の人生で「人身売買に手を染めていた悪事」の悪事の内容を詳しく知ってしまった。
それは、私が思う以上に非道いものだった。
見て見ぬ振りが辛くなるほどに。
「そうだわ、私がバカで浮かれた顔をした婚約者を演じている今の内に、匿名でバロバス男爵を調べて下さいみたいな投書をするとか、どうなのかしら。」
今現在、被害に遭っている人たちがいる事を考えると、知らなかったで通す事に罪悪感を覚える。
今の私はバロバス男爵とは会って間もないし、彼の悪事や裏の顔を知っているハズがないのだけれど、無関心を貫くにはバロバス男爵のしている事はあまりにも酷かった。
何回も繰り返した人生において、バロバス男爵の悪事が誘拐や人身売買である事は分かっていたけど、詳細を調べた時に明らかになったのは、彼のしていた人身売買が違法な犯罪を通り越して異常だった事。
バロバス男爵の扱う商品は特殊だった。
それは身体の一部が欠けていたり、大きな傷痕を持つ女性たちだった。
私には理解出来ないけど、バロバス男爵の顧客には不完全な美を求める変態の好事家が何人もいたらしい。
しかも…そんな特徴を持つ女性ばかりを狙って拐ったのではなく、場合によっては……
そんな恐ろしい事、思い出したくも考えたくもないわ。
「私の決められた運命の中で、バロバス男爵との婚約破棄はどうあっても出来ないのかも知れない。
でも私がお姉様に会う日まで、被害に遭う女性が少しでも減ればいいわよね。」
美しくなって現れたお姉様にグギィと歯噛みするほど悔しがり妬みと憎しみの視線を向ける私の婚約お披露目のパーティー。
お姉様と私が顔を合わせる最後の日でもある。
その日に「私、変わったでしょ」と、少しは誇らしい笑顔をお姉様に見せられるかしら。
「うーん、私も完全に人が変わったわよね。
いい人ぶってるつもりは無いけれど、いつか運命の縛りが無くなる日が来たら…新しい人生ではお姉様と仲良くしてみたいわよね。
一緒に料理をしてみたりね。」
苦笑しながら独り言ちり、私はまっさらな白い便箋にバロバス男爵を調べてほしいと、一言だけ記した匿名の手紙をしたためた。
それを邸の使用人に渡し、街中にある騎士の詰め所にバレないよう置いて来て欲しいと頼んだ。
それが騎士様たちの目に止まりバロバス男爵に注意を向ける事で、バロバス男爵が悪事を働きにくい状況になれば…との思いからだ。
夜になり寝室に行き、ベッドに入る前にドレッサーの前に座り髪を梳かす。
小さめのランプのみの薄暗い中で、鏡に映る自分の姿を見た私は思わず詰まった声を上げ、スツールから立ち上がろうとした。
「ひッッ…」
私の肩に乗った手が、グッと私の肩を押さえて私がスツールから立ち上がるのを遮る。
「やぁ、こんばんは。愛しの婚約者どの。」
ドレッサーの鏡にはスツールに座る私の真後ろに立ち、私の両肩に手を置くバロバス男爵の姿が亡霊のように映っていた。
私が部屋に来る前から寝室に潜んでいたのだろうか。
窓から侵入した様子などは無い。
とすれば…私の両親が彼を邸に迎え入れたという事?
嫁入り前の娘が居るのに邸に男を招くなんて!と、両親に対する腹立たしい気持ちよりも先に、両親は既にバロバス男爵の言いなりで逆らえないのではないかとの不安がよぎる。
「こ…こんばんは…バロバス様…。」
━━許婚者とは言え失礼でしてよ!━━などと叱責の言葉を口にする余裕も無いほど、私は恐怖に震えていた。
私の肩に置かれたバロバス男爵の左手指先に、開封済みの白い封筒が挟まれているのを鏡越しに見てしまったから。
「会って間もない許婚者のあなたから、こんなにも興味を持って貰えたなんて…男冥利に尽きます…
が、人を使って調べたりなどしなくとも知りたい事があるならば直接僕に聞いて下されば良かったのに。」
バロバス男爵は身をかがめ、私の肩の上に顔を近付け私の頬に掛かる髪に口付けた。
私の髪に口付けたバロバス男爵は鏡越しに私を見てにこやかに微笑む。
私はヘビに丸呑みされる直前のカエルみたいに身動ぎ出来ないほど、鏡に映るバロバス男爵の笑顔に恐怖を感じていた。
「…ば…バロバス様は…とても、おモテてになるとお聞きしてますので…ちょっとした嫉妬心からですわ…。」
平然さを装うつもりで口から出した言葉が、言い訳にすらなっていない。
この人は、私が騎士の詰め所にバロバス男爵を調べて欲しいと申し出た事を知っている。
だけど、彼の裏の顔について何も知らないはずの貴族の小娘がなぜそんな事をしたのか、何をどこまで知っているのかを確かめようとしているのかも知れない。
「それで騎士の詰め所に?
ははは、僕に…あなた以外の女性の影があるとでも感じましたか?」
探るような彼のセリフに、頭に一瞬だけ被害に遭った女性たちの事がよぎる。
でも私は彼女たちの事を知っているだけで、見た事はない。
そのために、その姿まで頭に描かれることが無かった。
そこで少しだけ冷静になれた気がした私は、強張った顔を緩ませ「いつも通り」を装う。
「それが無いかを調べたかったのですわ。
騎士の詰め所に申し出たのは、他を思いつかなかったのでたまたまですの。
嫉妬深い女だとお思いになられたかしら。」
バロバス男爵は、怯えていた私が恐怖心を少し抑えた事に気付いたようで、再び私の本心を暴こうと心を掻き乱すような質問を投げ掛けてきた。
「いいえ…そう言えば、あなたには姉君がおられましたね。
あなたとは、あまり仲がよろしくないとお聞きしましたよ。
しかも姉君は顔に大きな傷痕があるそうですね。
貴族の女性として、それはどうなのでしょう。
嫁ぎ先も無いでしょうし、あなたは姉君を家の恥と思われているのでしょう?
あなたが望むなら僕は、あなたが疎ましく思っている姉君を…あなたの目の届かない場所に送る事が出来るかも知れませんよ。」
お姉様の顔の傷を口にしたバロバス男爵の問いに私は、バロバス男爵の裏の仕事と、その商品になり得るお姉様を頭の中で結び付けてしまった。
「おっ、お姉様は既に遠い所に嫁いでしまわれたわ!
もう、私の目に届く場所にはおりませんの!
ですから、あんな人の事は放って置いて!」
咄嗟に振り返り、焦ったように大きな声が出る。
私の態度は、バロバス男爵が何をしているのかを私が知っているという確証を与える事になった。
それと、私が姉を庇っている事に気付かれた…。
ニイッと口の端を上げたバロバス男爵の手が、私の首に回される。
━━えっ…もしかして処刑前に殺されてしまう?━━
不思議なのだけれど、殺されるかもと思った時に私は少しホッとした。
今まで何度も処刑されて来た私は、この先に待ち受ける死や苦痛に対するありとあらゆる恐怖を感じてきた。
その場からもう逃げ出したいという恐怖感…。
少なからず死に慣れてしまった私は、長く苦痛を味わうより、死を逃亡先に選ぶ傾向が僅かにある。
なにしろ今、バロバス男爵に感じる恐怖は初めて味わうおぞましさを感じさせるもので、精神的になぶられ凌辱されているようで苦痛より耐え難い気持ち悪さが際立つ。
逃げ出したいどころかバロバス男爵の発する何もかも全てに触れられたくない。
気が触れてしまいそうで、五感全てで拒絶したい。
バロバスって人物の記憶すら頭に置きたく無い。
生理的に無理って言う、更に更に絶対に無理。
私が私でなくなるまで、全身の穴に汚泥を注ぎこまれそうな恐怖。
それを味わい続ける事に私はきっと耐えられない。
「アンナ嬢…一瞬、死を受け入れようとしましたね?
ふふ…あなたは面白い人だ。
僕の事をどこまで知っているのか…
どうやって知ったのか…知りたくなりましたよ。」
私の首に巻かれたバロバス男爵の指先にグッと力が込められ、私はキュッと息を詰まらせる。
そのまま深く喉に食い込むと思われた指先は、スルリと私の首からほどけた。
私…見逃されたの?
「ただのお飾りの妻にしておくには惜しい…
僕はあなたを色々と暴きたい。
ふふ…結婚後の楽しみが増えましたよ。」
にこやかに微笑んだまま、バロバス男爵はドアへと向かった。
そして寝室のドアの前に立ち、上着を開いて内ポケットの小さな紙の包みを出した。
それは、私には忘れたくても忘れられない恐怖の象徴。
人の心を壊す薬の包み━━
私の顔から一瞬で血の気が引く。
「まさかと思ったけど、これも知っているんだ?
ますます結婚後が楽しみだ。
でも、結婚まであまりおイタをし過ぎて僕を困らせないで下さいね?」
寝室のドアを開けたバロバス男爵の向こう側、寝室前の廊下には、暗がりから寝室に居る私を注視する幾つもの「目」があった。
初めて見る使用人や侍女たち…。
バロバス男爵との婚約が決まった日から私たち家族はもう、監視されていたのだ。
危機管理能力の強いバロバス男爵によって━━。
絡み付くような幾つもの視線に晒された私は、寝室のドアが閉められるまで息が出来なかった。
ドアが閉まった瞬間から呼吸を始め、胸を押さえて声を出す。
「…え、待って…家族みんな監視されている…?
まさか辺境伯様に嫁いだ、お姉様にも…?
結婚なさった後のお姉様が不幸な目に遭う事は無いハズよ…。
この世界は、お姉様の幸せのために存在する世界ですもの。」
恐らく、美しい顔に大きな傷痕があるお姉様はバロバス男爵にとって商品価値が高い。
婚約お披露目のパーティーに招待したお姉様を拐おうとしても不思議では…
あぁでも、お姉様は傷が消えた美しい状態で現れるから
…
「美しい女性を「商品」に加工するのが彼の趣味だと…前の人生で知ったじゃないの…。
あんなの…人のする事じゃないって…ウッ…!」
思わず吐きそうになった。
口を強く押さえた私の目からたくさん涙が滴り落ちる。
お姉様の事を思ってなのか、自分のこれからを思ってなのか分からない。
分からないけど、私のせいで全てが不幸になってゆく。
私自身も、お姉様も、私のせいで…
彼の被害に遭う女性たちも結局、救う事が出来ない。
「知っている」だけで私には何も変えられない。
自分は、なんて無力なんだろう。
そう思ったら涙が止まらなかった。




