移りゆく
あの日以来、俺は彼女を信じられなくなっていた。
少しでも連絡が取れないと「男と一緒にいるんじゃないか」と勘ぐり、気づけば喧嘩ばかりが増えていった。
彼女は仕事のある日にだけ、俺の家へ泊まりに来た。
俺の家は店から徒歩圏内で、彼女の家から店には3000円近くかかる。週4日も働けばタクシー代だけで1万を超える。
そして家から近いことでギリギリまで寝ていられる。
30分から1時間は遅くまで過ごすことができるらしい。
俺の元にいるのは「ただの都合」なのだろうと思っていた。
その疑念を察したのか、彼女は一度だけ、一週間まるごと俺の家に泊まった。
「自分は潔白だ」と証明するために。
その時ばかりは、俺も少し安心できた。
だが、それきりだった。
再び彼女は、仕事が絡む日にしか泊まりに来なくなった。
一度餌をやったからもういいだろうと言わんばかりに。
(なぜだ……なぜ信じさせてくれない?)
信じ切れるような行動をとってくれない彼女に苛立ち、彼女がうちから帰った翌日には決まって喧嘩になった。
それはもう、週一の恒例行事のようだった。
それでも俺は彼女を好きだった。
彼女も愛しているのだと証明してほしくて、何度も何度も肌を重ねる。
繋がっている時だけが彼女のことを心から信じることができた。
それでも離れていると信用できなくて、
「もう離れよう」と試すような言葉を投げた。
だが、彼女は決して首を縦には振らない。
タクシー代が浮くからか?
ギリギリまで寝たいからか?
だがしばらくすればいつも考えてしまう。
好きじゃないなら、なぜ離れない?
好きなら、なぜ証明してくれない?
理解できない矛盾に苛立ち、俺は彼女に当たり続けた。
それでも——。
彼女を信じたい。信じたいからこそ、日に日に愛は強くなっていった。
狂気に近い感情へと変わりながらも、俺は彼女に傾倒していった。
───
「離れよう」
「嫌だ」
それが俺たちのルーティンのようになり、
俺の思考はいつの間にか、彼女のことだけで支配されていた。
そんなある日、店の責任者が屈託のない笑顔で俺に言った。
「仁美ちゃん、最近トラブルないですね。もっとトラブル持ってきてもらわないと!」
一瞬、耳を疑った。
なぜ笑顔でそんなことを言えるのか。
彼は俺と仁美の関係に気づいていないからこそ、軽口のつもりで放ったのだろう。
だが俺には理解できてしまった。
——彼にとって、彼女のトラブルは金になる。
客と揉めれば罰金を取れる。しかも彼はその金の七割、八割を自分の懐に入れていた。
彼女が苦しめば苦しむほど、彼が儲かる仕組み。
胸の奥が煮え立つように苛立った。
思わず他の従業員に愚痴を漏らしたが、それはさらなる地獄の始まりだった。
「彼女、お金もらえるから味をしめてませんか?」
「贔屓してるから、そういうトラブルになるんですよ」
「仁美にだけ甘いですよね」
「仁美の部屋に入り浸っている間、店回してるのはこっちなんですが。」
「仁美への態度が甘いこと、他の女の子も困ってます」
「最近のあなた達の行動、目に余ります」
ここぞとばかりに、俺と彼女を責め立てる声が飛んだ。
あいつらはずっと不満を溜めていたのだろう。
だが仕事もできず、いつも俺に尻を拭かせてばかりの連中に、なぜそこまで言われなければならないのだ?
遅刻してもう二度としませんと言った翌日には遅刻する。
独断で判断し行動した結果、他の女の子に負担がかかり、その火消しをするのはいつも俺。
差し引いてもこいつらより店を思って行動している自信がある。
彼女に翻弄され、起きた瞬間から寝る瞬間まで彼女のことばかり考えているのは、俺も認める。
だが贔屓にならないように、むしろ俺は他の誰よりも彼女に厳しく接してきたつもりだった。
理解が追いつかず、頭が真っ白になった。
気づけば俺は、心の中で決断していた。
(もう、この店はだめだ……)
俺は辞表を出した。
長く働いた場所に未練はあった。
店のためを思い、叱責したが何も彼らには響かず、あまつさえ自らのミスを棚に上げ、俺に辟易しているのだという。
仕事への構え方。お客さんへの対応の仕方。彼らは何もわかっていないのに、業務を卒なくこなすことが仕事ができることだと勘違いするようになり、口うるさい俺の意見を取り入れようとしなくなっていった。
なにより彼女を悪く言う場所に居続けることはできなかった。




