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血伯爵の恋  作者: 劫火
番外篇
17/18

中。

噛生虫の異常な行動を受け、エルガド中が一時騒然となった。

ガレアス提督はすぐさま偵察部隊を編成し、自ら陣頭指揮を執った。カムラの里からやって来た多くのハンターたちが選抜され、「猛き炎」と肩を並べて任務に就くことになった。

……しかし、曉茉はその中には選ばれなかった。

胸の内には、何とも言えない複雑な感情が渦巻いていた。

このやるせなさは、未だに自分の実力がハンターズギルドに認められていないから?

いや……本音を言えば、誰よりも早く確かめたかったのだ――あの強大なモンスターの正体を。

何しろ、噛生虫を操れるほどのモンスターは、これまでの記録ではたった二体しか存在しない。

詳細な情報が得られるまでは、周囲も、そして曉茉自身も、落ち着かない日々が続いた。

期待していいのか、あるいは願いが叶いそうな予感に胸を躍らせていいのか。いや、それとも、未知の災厄が迫っていることへの不安に備えるべきなのか――

彼女には、もう分からなかった。

自分は本当に、あの再会に心の準備ができているのだろうか……?

思考が次々と溢れ出す。

曉茉は小さく首を振り、無理やり気持ちを切り替えた。

余計なことを考えてる場合じゃない。

まだ、自分にできることが山ほどあるじゃないか。

どのモンスターが現れようと、噛生虫による生態系への汚染は、目の前にある現実の脅威だ。現在、傀異調査団では噛生虫を根絶するための薬剤の開発が急ピッチで進められており、その研究が成功すれば、今後の危機にも対処できる希望となる。

重要任務には加われなかったが、それでも傀異調査の任務は続けなければ。公の立場としても、私情としても、曉茉はその薬の完成を心から願っていた。

そんな日々の中、ある日――

曉茉は調査任務を終えて、団と共にエルガドへ帰還した。

だが、その拠点の雰囲気は明らかにいつもと違っていた。

……ガレアス提督率いる偵察部隊が戻ってきたのだ。

多くの負傷者を伴い、新型艦には至るところに戦闘の痕跡が残っていた。街の通りは一気に騒がしくなり、誰もが慌ただしく動き始めた。負傷者の手当てに駆け寄る者、物資の補充に奔走する者、情報を交換し合う者……

曉茉もまた、落ち着かぬ空気に心を掻き乱されながら、一歩一歩焦るように街を歩いた。

すれ違うたび、負傷したハンターの顔を一人ずつ確認する。

その顔が知らない人だと分かるたびに、彼女は安堵してしまう自分に気づく。

――兄さんでも、先輩たちでもなかった。

止弦、瑞雷、そして汰華。

三人とも偵察部隊に所属していた。

船が帰還しているのに、彼らの姿はどこにも見当たらない。

曉茉は執拗に港を探し回り、胸を締めつけるような不安をどうしても拭いきれなかった。

「曉茉!」

その時、騒がしい通りの中から、懐かしい声が響いた。

振り返れば、そこには止弦が立っていて、こちらに向かって大きく手を振っていた。

その傍らには、瑞雷と汰華が腰を下ろしていた。

三人とも疲れ切った顔で、決して無傷ではなかったが、それでも無事に帰還したのだとわかる姿に、曉茉の心はようやく落ち着きを取り戻した。

「兄さんたち……無事だったんだ!」

人混みをかき分けて止弦の元へ駆け寄ると、曉茉は安堵のあまり、胸に込み上げる想いを隠せなかった。

「港で聞いたの。提督と王国騎士団が緊急会議を開いてるって……何があったの?」

三人は一度、互いに目を合わせた。

そして、瑞雷が重い口を開いた。

「ガイアデルムだ――あの深淵の魔が、再び姿を現したんだ。」

その言葉を聞いた瞬間、曉茉の脳内に衝撃が走った。

続けて汰華が語った。

あのとき、偵察部隊はまさに上陸しようとしていた――

静まり返っていた海の表面が、突如として大きく裂けたのだと。

底知れぬ深淵――

海底に穿たれたその巨大な穴は、いくら海水が流れ込もうと埋まることなく、果てしない闇の奥底へと全てを飲み込んでいく。

海も、陸も、森も、そして命までも。

その地獄の入口から、忌まわしき姿をした巨大なモンスターが、ゆっくりと這い上がってきた。

まるで煉獄の奥底から災厄を引き連れてきたように……

ガイアデルムが、再び人の世へと姿を現したのだ。

噛生虫たちはその上空を飛び回り、チチチと甲高い声を上げ続ける。まるで、長き眠りから目覚めた真の主の復活を祝っているかのように。

ガイアデルムが天に向かって咆哮すると、大地のモンスターたちは一斉に逃げ出し、止弦、瑞雷、汰華の三人は、武器を握りしめて必死に応戦した。

一方、ガレアス提督は即座に判断を下し、複数の撃龍槍を発射――

どうにかしてガイアデルムを撃退することに成功した。

だが、それも一時の猶予にすぎなかった。

ガイアデルムは今、深淵の底に潜み、いつ反撃を開始してもおかしくない。偵察隊はその隙を突いて、急ぎエルガドへと帰還したのだった。

「せっかく百竜ノ淵源の一件が片付いたと思ったら、数年も経たずにまた古龍かよ……」

汰華は頭を掻きながら、呆れと不安が入り混じった声を漏らす。

「平穏に暮らすって、そんなに難しいことか?」

「それはさておき……」

瑞雷は何度か言葉を飲み込んだ末、やがて真剣な表情で曉茉に問いかけた。

「曉茉……ガイアデルムの出現が何を意味するのか、分かっているな?」

――噛生虫を操るほどの強大なモンスターは、これまでの記録上、たった二体しか存在しない。

互いを牽制するかのように存在していたその二体は、かつての戦いでガイアデルムが敗れ、その後はもう一方の古龍がこの地を支配していた。

ガイアデルムは、ただひっそりと隙を伺い、生き延びていたにすぎない。

そんなガイアデルムが再び地上に現れたということは――

均衡を保っていたその宿敵に、何らかの異変が起きたということだ。

たとえば、その力が衰えた。

あるいは、狂化が進み過ぎて他の領域を侵し、ガイアデルムすらも立ち向かう必要に迫られた……

曉茉は、この三年間ひたすら己を忙しくさせる理由を探し続けてきた。けれど、本当のところは誰よりも自分が分かっている。

――大切な誰かを、思い出してしまわぬように。

それでも、こうして耳にしてしまえば――

否応なく脳裏に浮かんでくる、あの少年の姿。

紅き瞳は血の月のごとく、誇り高く、神秘的で、そしてどこか静謐。それでも笑った時には、無邪気で純真な面影を見せる彼。

あの少年が古龍へと姿を変え、夜空を大きな翼で舞うとき、その身に纏う漆黒の翼はまるでマントのように翻り、周囲の空気すら凍りつくような威圧感を放ちながらも、どこか気高く美しかった――

……いま、彼はどこにいるのだろう?

無事だろうか?

苦しんでいないか?

それとも、もっと強くなったのか……?

止めどなくあふれる思いが、喉元に詰まって言葉にならず、曉茉はただ唇を噛みしめ、静かに俯いた。

笑って「大丈夫」って言いたかった。心配してくれる兄たちを安心させたかった。

でも、それはきっと――自分をも欺く嘘になる。

「まったく……三年以上も経ったのに、未だに目撃情報すらないとはな。どこまで隠れ上手なんだか!」

汰華は曉茉の様子に歯ぎしりし、怒りを募らせる。

「このタイミングでヘラヘラ出てきて、曉茉を泣かせるような真似したら……俺がぶった斬ってやるからな!」

そう言いながら、汰華は本当に太刀を抜いて、空に向かって振りかざした。その様子を見た彼のアイルーも負けじと武器を構え、凶暴な顔つきで敵意を剥き出しにする。

突然の騒ぎに、曉茉は思わず我に返った。

「そ、そんな……約束を守るって、そんなに悪いことじゃないと思うよ……?」

何しろ、それは自分からお願いしたことなのだから。

「そうだな――」

瑞雷が同意してくれるかと思いきや、目を鋭く光らせ、チャアクを丁寧に拭きながら言い放つ。

「始めたなら責任を取れ。放り出したら……首を刎ねるだけだ。」

「い、いきなり物騒すぎるよ……!」

「安心しろ、俺たち兄貴がちゃんとケジメつけてやる!」

止弦は唐突にテンションを上げ、曉茉の肩をどんと叩くと、笑顔で恐ろしい提案を口にした。

「いっそのこと、標本にして飾っておけばいい。そうすれば、二度とお前の側を離れないぞ!」

なにそれ、まるで恐怖のヤンデレ発言じゃないの……!

かつて共に雷神龍を討伐した仲間のはずなのに、どうしてこうも殺意が……!?

三人の兄たちはいきなり盛り上がり始め、「殺す!」「刻む!」「飾る!」と大騒ぎ。街中の人々の注目を浴びる中で、曉茉の顔は瞬く間に真っ赤になっていった。

彼らと口論を続けるより、木箱にでも隠れた方がまだ現実的かもしれない……あまりの困惑に、曉茉はついに腹を括り、手刀を振りかざして三人の頭を一発ずつ叩いた。

「今、討つべき相手はガイアデルムでしょ!」

大地の全てのハンターたちの力を結集し、終わりの見えない激闘が幕を開けた。

だが――今回もまた、曉茉には前線に立つ資格がなかった。

受付嬢チッチェからの任務依頼は、拠点物資の護送および負傷者の撤退支援。

曉茉は思わずギルドに抗議したくなったが、止弦の安堵に満ちた表情を目にした瞬間、その衝動も、不満も、すっと消えていった。

もちろん、曉茉は自分の力を証明したかった。

だが、いまは兄が心置きなく戦えるよう、支えたいという気持ちの方がずっと強かった。

「俺たちは、曉茉に守られているからな。」

三人の兄たちは再び船に乗り込む。

言葉では語り尽くせない思いも、たった一言の別れに込められた。

その光景は、あまりにも懐かしかった。

まだ曉茉がハンターになれなかった頃、カムラの里で緊急クエストが発生するたびに、兄や先輩たちの背を見送るしかできず、ただ無事を祈ることしかできなかった。

……けれど、今回は違う。

どんなに小さな力でも、力は力。

今の曉茉には、できることがたくさんある。

兄や先輩たちが最前線で災厄に立ち向かうなら、自分も後方で彼らを守り、安心して戦えるよう支えたい。そう決意し、後方支援部隊に加わった曉茉だったが――

その後、彼女は護衛任務を少し甘く見ていたことに気付くこととなる。

城塞高地には天の憐れみなど無いかのように、快晴の空の下で、突如として響き渡る古龍の咆哮。

戦場からはまだ遠く離れているというのに、その声は容赦なく心を貫き、命の重みすら吹き飛ばす威圧を持っていた。

まるで「お前たちは塵芥にすぎぬ」とでも言わんばかりに。

咆哮が止むと森は静けさを取り戻すが、護送部隊の誰一人として気を緩める者はいなかった。

曉茉は狩猟笛を握り直し、周囲を警戒する。

その時、壊れた石畳の先で砂煙が舞い上がる。

驚いたメルクーの群れが我を忘れて突進してきたのだ!

普段は大人しい彼らも、群れになり恐怖に駆られると危険な暴走力を持つ。ハンターたちは前へと駆け出し、懸命に物資を守ろうとした。混乱の中で、荷車は何台も横倒しになり、中身があちこちに散乱する有様。

一見静かに見える廃城の道も、実際には片時も気が抜けない危機に満ちていた。

「バリスタの損傷を確認しろ!」

「急げ、前線が我々の支援を待っている!」

曉茉も急いで片付けに加わった。

そして荷車の下にしゃがみこんだ時――そこに小さく震えるアイルーがいた。

頭を抱えて震えるその姿は、何とも哀れで、どこか無力に見えた。

アイルーも曉茉に気付くと、涙ぐんだ目で「にゃー」と鳴き、耳も尾も垂れ下がってしまった。

「大丈夫だよ。私たちが、ちゃんと守るからね。」

曉茉はそっと頭を撫で、優しく声をかけた。

励まされたアイルーは涙を拭い、四つ足でぱたぱたと駆けていく。

その後ろ姿を見送りながら、曉茉は再び遠くから聞こえてくる咆哮に耳をすませた。

煉獄からの吼え声は空を震わせ、心をえぐる。

目的地に近づくほど、言いようのない恐怖が曉茉の心を締め付ける。

自分の手が震えているのに気付き、咄嗟に拳を握って隠した。不安で押し潰されそうな心の中で、不意に思い出されたのは――

あの少年の、どこか見下したような口調だった。

「お前、あの脳天気なトカゲのことか?」

ガイアデルムは、恐ろしいと皆が言っていた。

エルガドから戻ったハンターたち、そしてそこで出会った者たち……その顔には、語り尽くせぬ恐怖が刻まれていた。

そして今、曉茉は自らその現場に立ち会っている。まだガイアデルムの鱗すら見ていないというのに、その咆哮だけで冷や汗が止まらず、逃げ出したい衝動を必死で押し殺していた。

だからこそ――

かつて、あの少年が何の躊躇いもなくガイアデルムを「昆虫扱い」していたことに、今でも信じられない気持ちになるのだった。

「あんなの、地面に隠れて殴られたらピーピー泣く馬鹿トカゲだろ?何が怖いんだよ。」

この大陸で、ガイアデルムを「馬鹿」「トカゲ」と呼ぶ者が他にいるだろうか。

曉茉は返す言葉を失い、もしここで彼に同意すれば、今まで命を懸けて戦ってきた先人たちを侮辱することになると思った。

どうしてあの時、こんな話題になったのだろう?

そのきっかけは思い出せないけれど、彼と共に見つけた、あの穏やかな場所は今でも覚えている。

流れる小川と小さな小屋、夕陽が一望できる開けた景色――ただし、長年の湿気で木材が腐って住めなくなっていた。けれど、魚を釣ったり散歩したりするには最高の場所だった。

曉茉はあの少年の言葉を思い返すたびに、胸の中に苛立ちが広がった。まるでガイアデルムだけでなく、それを必死に食い止めようとするハンターたちまで蔑んでいるように思えたから。

その時、彼の手を振り払って、古びた木橋の真ん中で立ち止まった。

視線を逸らして、彼の顔を見ようとしなかった。

「油断しないで。もしガイアデルムがまた出てきたら、どうするの?」

「僕の存在を感じ取ったら、あの馬鹿トカゲは地上に出てこないよ。」

そう答えた少年は、数歩戻って曉茉の頬に手を添え、優しく撫でた。

「それでも……」

ザラついた彼の四本指が、曉茉の唇に触れる。

そのくすぐったさに、曉茉の顔は一気に紅潮した。

「僕が古龍に戻れば、楽勝であんなの蹴散らせるけどな。」

その低く掠れた声が耳元で囁かれ、曉茉の心臓は跳ね上がる。

――古龍に戻る方法。

お互い暗黙の了解で言葉にしなかったのに、彼はいつもわざと話題に出す。そして曉茉が恥ずかしがるのを見るたび、彼の紅い瞳は満足そうに細まった。

……思い出が甘ければ甘いほど、今の心は痛みを増していく。

曉茉の瞳には、涙が滲みはじめていた。

――言ってたよね。

あの馬鹿トカゲは、君の存在を感じ取ったら地上に出てこないって。

なのに……どうして?

今、君は――どこで、どうしているの……?

……お願い、無事でいて。

ドンッ!

突如として響いた轟音に、曉茉は回想の中から我に返った。そう、自分には他人のことを案じている暇なんてないのだと気づく。

彼女は後方支援隊の一員として、淵劫の地獄の縁にある拠点へ向かっていた。

そこに、点々と赤く輝く巨大な岩塊が――突如、地中から飛び出した。

それは噛生虫によって形成された巨岩だった!

拠点で働いていた者たちは想定外の事態に慌てふためき、数名のハンターが弓やボウガンを構えて迎撃を試みるも、まるで歯が立たない。

結局、巨大な岩は真っすぐにテントを目がけて落下していく!

「バリスタを使え――今すぐに!」

一人の経験あるハンターの叫びに、後方支援隊の面々はようやく、輸送していたバリスタの存在を思い出し、皆で力を合わせて引き出した。曉茉もその作業に加わり、従者たちと共にバリスタを設置しようとしたが――

彼女はそのハンドルを握った瞬間、自分がこの武器を使ったことがないと気づく。

他のハンターたちも同様だったが、もはや練習している時間はない。

彼らは我武者羅にバリスタを撃ちまくり、ろくに狙いも定めていなかった。

だが、奇跡的にその中の一発が的中し、岩塊を粉砕することに成功する!

……だが、安堵も束の間。

空を見上げたハンターたちは、さらなる巨岩が次々と飛来するのを目撃する!

バリスタでは対応が間に合わず、ついに一発の岩が淵の縁の岩壁を直撃した。

地面が、崩れる――

立っていたはずの地面が、砂と瓦礫へと変わり、拠点のあらゆるものが一瞬にして奈落へと引きずり込まれていく。

反射的に翔蟲を投げて体勢を立て直す者もいたが、落下は避けられなかった。

曉茉も翔蟲の糸で衝撃を和らげながら、崩れ落ちる土砂と共に転げ落ちた。あちこちの岩に体を打ちつけ、その激痛に呻きながら地面に転がる。

耐えて……まだ終わってない……!

曉茉は歯を食いしばり、どうにかして身を起こす。しかし、目の前に広がっていたのは、まるで煉獄のような光景だった。

かつて整然としていた拠点は、いまや瓦礫と化し、物資はあちこちに散乱し、荷車も木箱も破壊され尽くしていた。転倒した焚火からは火の手が上がり、煙と炎が辺りを包む。血を流す者、意識を失う者、悲鳴を上げる者――

誰一人として、この地獄から逃れることはできていなかった。

「ワン……!」

かすかな鳴き声が、呆然と立ち尽くしていた曉茉を現実に引き戻した。

声の主は、すぐ近くで大岩に押し潰されていたキャラメルだった。

彼は前脚で必死に土を掻き、もがいていたが、自力ではどうにもならない。

「キャラメル――大丈夫、今助けるから!」

曉茉は痛む体を引きずりながら、大岩を必死に押しのける。わずかに動いた隙間から、キャラメルはなんとか這い出すことができた。

だが、命からがら助かったキャラメルは、曉茉にすり寄ることなく、驚愕したように彼女の背後を凝視していた。

その時、曉茉は気づく――

自分が、いつの間にか巨大な影に包まれていたことに。

振り返ると、そこにあったのは――

恐ろしい眼差しが、彼女を捉える。

ガイアデルムが、至近距離にいた。

突如、古龍の顎が四方に割れ、蒼白い口腔がまるで花のように開いた。

そこから轟く咆哮が、嵐の如く襲いかかる。

その瞬間、曉茉の心はひとつの決断に至った。

彼女は背中から狩猟笛を抜き、深淵に立ち向かう覚悟でその場に立ち尽くす。

兄も、先輩たちも、カムラの里やエルガドの仲間たちも、誰一人として言葉にはしなかったが――

曉茉にはわかっていた。

ハンターとして生きるということは、勝敗や生死を超えた覚悟を抱くことだと。

守るべきもののために、命を懸けるということだと。

曉茉は狩猟笛を鳴らした。

癒しの旋律が風に乗り、周囲へと広がっていく。

たとえ一人しか救えなくてもいい。

自分の力を、この過酷な戦いに捧げたい――

そう願っていた。

ガイアデルムの血に染まった口が、貪欲に空気を吸い込む。

曉茉は逃げる間もなく、その吸引に抗えず引きずられていく。

必死にもがきながらも、なす術はなく、ついに彼女は目を閉じ――

怯えながら、死神の訪れを受け入れようとしていた。


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