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血伯爵の恋  作者: 劫火
終章 心の糸は 今も響かん
15/18

十五。

ここは、海が干上がり腐敗した大地。

かつての栄華を誇る皇宮が高台にそびえ、その周囲には白く変色した巨大な珊瑚が広がっていた。まるでここがかつて、神話に語られる海王の領土であったかのようだ。

いつの時代に人が去り、いつの時代に地上に姿を現したのかは、誰にもわからない。

この「龍宮砦跡」は、広大な荒地を抱え、かつてモンスターや古龍との戦争に用いられた兵器の残骸が、各地に点々と散らばっている。そこに立つだけで、激戦の凄まじさと厳粛さがひしひしと伝わってくる。

今、この荒地は突如として嵐を呼び、地は崩れ、深淵のような大穴が開いた。

それはつい先日のこと。

幾度ものハンターたちの猛攻を受け、瀕死に陥ったイブシマキヒコが地面を突き破って墜落し、彼方にいた伴侶、ナルハタタヒメと空中で邂逅、激しく絡み合い、ついには融合を果たした。

カムラの里に伝わる伝説——百竜ノ淵源が、まさにこの瞬間、誕生した。

伴侶をすべて喰らい尽くしたナルハタタヒメは、雷を操り風を支配し、胎内に宿した龍の子を守るため、ハンターたちに死闘を挑む。

淡い黄色の巨大な龍体は風に乗り優雅に旋回し、大地には瞬時に雷光が走り、天を裂くような一撃が落ちる。ちっぽけなハンターたちは、ただ逃げ惑うしかなかった。

「こんなところで……諦めてたまるか!」

止弦は転がるように飛び込んで、足元に落ちた雷撃をかろうじて回避した。ナルハタタヒメが次の攻撃を放つ前に、最後の生命の粉塵を掴んで風にまき、重傷を負った仲間の応急手当を試みる。

しかし、ひとりのハンターは既に力尽き、アイルーの懸命な救出によって、キャンプへと戻されていた。

止弦は弓を引き、矢が命中したかを確認する間もなく翔蟲で飛び退き、直撃する雷光弾をなんとか避けた——

「ぐあっ!」

だが、見落としていたのは、その後に続く雷光のリングだった。かすかに腕と脚を掠めただけで、強烈な電麻が全身を駆け巡り、意識が一瞬遠のいた。その隙を突くように、ナルハタタヒメの猛攻が再び押し寄せてきた。

風に乗り空を舞う古龍を見上げながら、ハンターたちのどれほどの闘志も、絶望の前には無力だった。

この戦いに、果たして終わりはあるのか?

ウツシ教官の情報によれば、先日の「百竜夜行」は、イブシマキヒコとナルハタタヒメの出現が引き金となっていた。彼らの放つ強大な気配はモンスターたちを恐怖に陥れ、次々と暴走を引き起こす。

「百竜夜行」を完全に終息させるには、イブシマキヒコとナルハタタヒメの両方を討伐しなければならないという。

あの夜行の規模は、凄まじいものだったらしい。その時、止弦は二人の仲間と共にエルガドにいて、カムラの里の防衛戦には間に合わなかった。

だからこそ、今回こそは——

故郷を離れている間に傷つき、倒れていったハンターたちに代わって、この命をかけて意味ある終止符を打たなければならない!

家族への手紙は無事に曉茉の手に渡っただろうか?伝えたいこと、託したい思いは、すべて書き記した。彼女がこれからもハンターとして歩むか、あるいはあの竜人の少年と共に生きる道を選ぶか。

止弦は、妹の選ぶ未来が幸福へと続くことを、ただ願うばかりだ。

今こそ——

止弦は再び弓を引き、ナルハタタヒメの大きく開かれた口を狙い定めた。

兄として、この大地の上に、妹の未来を阻むものを二度と残してはならない。

そのためには、自らの命を賭して戦うしかない。

矢は鋭くナルハタタヒメの口内に飛び込み、激しい火花を散らした。しかし、それでもナルハタタヒメの突進を止めるには至らなかった。

血に染まった巨大な口が天を覆うように迫り、止弦を丸呑みにしようとする——

その瞬間、銀白の巨大な身体が一直線にナルハタタヒメへと突撃した。

攻撃は突如として止まり、ナルハタタヒメは吹き飛ばされて穴の縁の岩へ激突。おそらく胎盤への負担のせいで、一時的に体勢を立て直せず、四肢を宙に向けてもがいていた。

他のハンターたちはすぐさま好機を逃さず斬りかかり、ついにわずかながら戦果を得る。

ただ一人、止弦だけがその場に呆然と立ち尽くしていた。

龍宮の洞の底に救世主のように降り立った銀色の古龍――メルゼナ。そして、その背から飛び降りたのは――

「曉茉?」

「お兄ちゃん、助けに来たよ!」

曉茉はメルゼナの背から跳び降りると、すぐに狩猟笛を鳴らした。

耳に心地よい音色が響き渡り、身体中の大小の傷や痛みが徐々に和らぎ、消えかけていた士気も再び奮い立った。その場のハンターたちは大いに鼓舞され、攻撃の勢いを増していく。

メルゼナは龍の姿に戻り、間一髪で龍宮砦跡に到着。

曉茉と共に、最終決戦に加わった。

今、曉茉の顔に浮かぶのは、久しぶりに見る真剣で集中した表情、そして家族と故郷を守れることへの喜びだった。

思い返せば、あのときも――

この決意に満ち、少し不器用でか弱い彼女の姿に、メルゼナは心を奪われたのだった。おそらく、この気持ちこそが、カゲロウが語った「人になる理由」の根本なのかもしれない。

竜人族となってから、確かに数多の矛盾や争いに巻き込まれてきた。だが、振り返ればそれでも幸運だったと感じている。この少女のそばに立ち、同じ目線で彼女のすべての表情を見届けられるのだから。

あのとき、城塞高地の教会で、曉茉は微笑みながら、すべてを捨ててあなたと共に行くと――そう約束してくれた。

もし自分がまだ龍の姿だったら、その距離ではきっと彼女の微かな変化にも気づけなかった。

「何をしているんだ、お前は。」

どこか後ろめたさを感じたのか、曉茉の笑顔がふっと消え、口を開きかけて、言葉に詰まった。

「……この距離だったから、気づけたんだ。」

メルゼナは曉茉の頬をそっと両手で包み、その虚ろな翡翠の瞳をまっすぐに見つめる。

「本当は辛いのに、笑って僕の願いを受け入れてくれた。……あれは、何て言うんだ?」

「……それは、嘘だよ。」

「なぜ嘘をついた?」

「お兄ちゃんから家族への手紙が届いたの……イブシマキヒコとナルハタタヒメがまた現れたって。前の『百竜夜行』はきっとあの二体が原因で、お兄ちゃんは討伐に向かったって……」

言い終わる前に、曉茉の大粒の涙が堰を切ったように溢れ出す。嗚咽混じりに泣き崩れた。

「今、すごく心配なの。お兄ちゃんのこと、カムラの里のみんなのこと……」

それでも、曉茉は残ることを選んだ。

不安と焦燥を押し殺し、メルゼナを選んだのだ。

「そのまま嘘をつき続けていい。世界が滅んでも、僕は構わない。」

だが、メルゼナはもう知ってしまった。

どちらも彼女にとって大切な家族であり仲間。どちらかを切り捨てる決断は、曉茉にとって計り知れない苦しみなのだ。

今は、彼女の涙を見るより、メルゼナは、やっぱりあの笑顔が見たいと思った。

「僕たちも手伝いに行こう。近くの里の区域じゃなければ、問題ないよね?」

「でも、君の体はもう大丈夫なのか?」

「かなり無理してるよ。限界は近いと思う。元々、噛生虫ってのはロクなものじゃないからね。」

驚きと喜び、そして心配を浮かべる曉茉を見つめながら、メルゼナは少し躊躇ったが、やがてすべてを打ち明ける決意をした。

「このまま竜人族の姿で生き続けるなら、やつらはやがて、逆に僕を蝕むようになる。」

次々と降りかかる悪い知らせに、曉茉は一瞬、呆然と涙をこぼし、しばらくしてようやく声を絞り出した。

「つまり……」

「つまり、君に選択を迫り、苦しませているのは、すべて僕の力不足のせいだ。」

メルゼナが竜人族になれば、噛生虫が暴走し始める。仮に龍の姿に戻っても、ガイアデルムが常に深淵から狙ってくる――

人里を離れても、隠れて生きても、どんな姿であっても、曉茉に安らかな笑顔を与えることはできない。

「曉茉、君は僕を待ってくれるか?」

親指でそっと曉茉の涙に濡れた緑の瞳を拭いながら、メルゼナは静かに、しかし確かな約束を告げた。

「いつか僕が君のために、すべての障害を排除できるほど強くなったら、その時は君に選ばせたりしないで済む。僕が、ずっと君のそばにいられる。」

曉茉は苦しそうに目を閉じ、まるで二人が別れる運命を受け止めようとしているかのように、嗚咽を漏らした。

「ううん、待たない。」

そして再び顔を上げた時、その瞳には揺るがぬ意志が宿っていた。

「私は強いハンターになる。憎き噛生虫も、ガイアデルムもこの世から消し去って、ずっとあなたのそばにいるの。」

泣きはらした顔でも、決して志を曲げない少女を見つめながら、メルゼナは思わず笑みを浮かべた。少し尖った犬歯が覗いて、どこか悪戯っぽい笑顔だった。

「まずはガエルとの付き合い方からか?」

「もう、やめてよっ!」

ぷくっと膨れた彼女の頬をつついて、メルゼナはふざけるのをやめ、彼女を立ち上がらせた。

次に何が来るのか、曉茉は察したのか、顔を赤らめてきゅっと目を閉じた。

「それで……今からどうすればいいの?」

「ん? どうすればって、何が?」

常識の一線を軽々と飛び越える問いに、曉茉はあきれたように目を開けた。

「キスって、恋人同士がするものなんでしょ?」忘れちゃいけない礼儀だと言わんばかりに、メルゼナは真面目な顔で尋ねた。「どうすれば恋人になれるの?」

何故か、曉茉は深く長い溜息をついた。そして何かを思いついたように、イタズラっぽい笑みを浮かべた。

「まずは、片膝をついて。」

メルゼナはすなおに従った。

「じゃあ、よく聞いてね――」

曉茉は彼の頬を両手で包み、おでこをそっと彼の額に当てた。普段、抱きついたり触れ合ったりしていても、今ほどくすぐったく感じることはなかった。

「好きよ。」

「好きだ。」

「私の恋人になって。」

「僕の恋人になってくれ。」

「喜んで——」

メルゼナが言葉を繰り返す前に、曉茉は微笑みながら身を傾けた。

星屑が降り注ぐ夜、少女と古龍は廃れた教会の中で誓いのキスを交わす。

そして今、古龍とハンターたちは、願い描いた未来のために戦っている。

二体の古龍が対峙し、威嚇し合う咆哮が龍宮洞窟に轟く。

巨大な体躯を持ち、風に乗って滑空するナルハタタヒメであったが、反応速度はメルゼナに及ばず、連続で突進され、吹き飛ばされる。かろうじて逃れたとしても、ハンターたちの猛攻が待ち構えていた。

ナルハタタヒメは追い詰められ、覚悟を決めたように戦場の中央へと飛び込み、回転しながら渦を巻く。

「その大技なんて、させるもんか!」

止弦の一喝とともに、鉄蟲糸を巻いた矢がナルハタタヒメの胸に突き刺さり、不安定に舞う巨体を地上に縫い止める。ナルハタタヒメは空中でひっくり返り、動きが止まる。

曉茉はすかさずその頭下に走り込み、狩猟笛を高く振り上げて眉間へと叩きつけた。ナルハタタヒメは苦悶の声を上げながら地面に倒れ込む。

汰華と瑞雷が間髪入れずに駆け寄り、太刀とチャアクによる同時攻撃で、ナルハタタヒメの錐のような鋭い尾を切り落とした。

「チャンスよ——!」

曉茉が叫ぶと、メルゼナはその場でくるりと回り、翼を大きく広げる。

次の瞬間、謎めいた伯爵はナルハタタヒメの目の前に出現していた。

羽ばたき、空を翔け、メルゼナは宙から地上へと黒赤い焔を吐き出す。それはまるで煉獄のようにナルハタタヒメの逃走経路を塞ぐ。

逃げ場を失った獲物へと降り注ぐのは、隕石のように巨大な血紅色の衝撃波。

衝撃波が地に落ち、爆発と共に眩い血光が洞窟を満たす。ハンターたちは思わず腕で目を覆いながらも、戦況を見逃すまいと必死に視線を注いだ。

真紅の怪光が崩れ、地に溶けて消えると、再びナルハタタヒメの姿が現れる——

それでも、まだ立ち上がろうとしていた。

「グォオ——!」

すぐさま皆が武器を構え、次の戦いに備えたそのとき——

ナルハタタヒメは悔しげな咆哮を上げるも、再び風を掴めず、そのまま地に墜ち、長い間動かなかった。

「メインターゲットを達成しました!」

「ついに……持ちこたえた……」

「やったぁ——!!」

長き戦いの末、ようやく訪れた勝利。洞窟には仲間たちの歓声と笑い声が響き渡る。

曉茉は素材を拾いに向かう皆とは別れ、三歩を二歩で駆け、メルゼナの鼻先にしがみつく。

「もう、行っちゃうの?」

赤い龍の瞳がゆっくりと瞬き、メルゼナは言葉を発することはなかった。龍の姿へと戻った今でも、曉茉を見つめるその瞳には、いつも通りの優しさが宿っていた。

「私たちの約束、絶対に忘れないでよね?」

曉茉はその喙に顔を埋め、自分が泣いているのを見られぬようにした。

メルゼナも急いで飛び立つことはなく、ただ静かに伏せたまま、彼女の感情が落ち着くのを待っていた。

まるで、彼女が不器用な泣き虫であることをよく知っているかのように。

やがて、曉茉は再び顔を上げる。涙で濡れた碧い瞳の奥には、晴れやかな笑みが宿っていた。

名残惜しそうに抱擁を解くと、メルゼナもまた翼を広げ、血の眷属たちと共に、黎明を迎える空へと舞い上がった。

「じゃあね。」

少女と古龍は、互いの約束を胸に、暁の空に別れを告げた。


(Fin.)


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