第15話『軍の顔』6
灰の砦、石造りの廊下。
リリアナが小隊資料を抱えて歩いていると、前方から笑い声が響いた。
「おう、ちび隊長。どうだ、指揮官ってのは。めんどくせぇだろ、特に紙とか」
声の主は、ヴォルフだった。
髪は乱れ、制服の襟は軽くはだけ、相変わらずの砦内自由人である。
「……ちびじゃないです」
リリアナは少し頬を膨らませる。
「へいへい。リリアナ“隊長”殿」
ヴォルフはニヤリと笑いながら、横を歩きはじめる。
「書類ってこんなに多かったんだって驚いてます。あと、訓練の時間も全部自分で管理しないといけなくて……」
「だろ? 指揮官なんてのは、戦場だけじゃ務まらねぇ。紙と人と神経戦よ」
リリアナは苦笑して、それでもどこか楽しそうに息を吐いた。
「……あの、ヴォルフさん。少し、お聞きしてもいいですか?」
「ん?」
「セリスの魔法、知ってますよね。雷で全部の魔法を迎撃して……すごかったです。でも、私、あんなの全然できません」
「そりゃあいつは化け物だ。格が違う」
「……私も力になりたいんです。
今回の戦闘ではセリスの負担が大きくて……私は、自分から炎を出すのはできるんですが、自分から離れた場所に出したり、形を変えたりができないんです」
ヴォルフはふっと立ち止まり、リリアナを見た。
「見せてみろよ。どんなもんか」
「え?」
「俺もな、炎属性なんだよ。昔はよく火遊びしたもんだ」
リリアナは思わず目を見開いた。
「え、そうだったんですか?」
「驚いたか? 戦場じゃ剣のが手っ取り早いからな。でも、ちょっとは教えてやれるかもしれん。暇つぶしに付き合え」
「……お願いします」
ふたりは書類を提出し、そのまま砦の裏手にある簡易訓練場へと向かった。
ヴォルフは腕を組みながら、リリアナに向かって顎をしゃくった。
「じゃあ、まずは“できる”とこ見せろ。普通に炎を出してみろ」
リリアナは深く息を吸い、手を前に突き出す。
「……紅蓮炎」
ボッ、と小さな爆発と共に、掌から燃え上がる赤い炎。
「ふむ。勢いはあるな。威力も悪くない。だが――」
ヴォルフが地面を指差した。
「そこに出してみろ。離れた場所に」
リリアナは頷き、集中しながら腕を前に伸ばす。
しかし、火種は一瞬揺らぎ、宙に赤く光るだけで、すぐにかき消えてしまった。
「……やっぱり、離れた場所に出すのが難しいんです。魔力が届かない感覚で」
ヴォルフは頬をかきながら、口元を歪めた。
「しゃあねぇ。じゃあ、ちょっとコツを教えてやるよ。“力じゃなく、形を描く”んだ。いいか、炎はな……『勢い』で出したがる奴が多いが、それじゃ暴れるだけだ」
リリアナは、真剣な目でヴォルフを見る。
「形……ですか?」
「頭の中で“そこにある炎”を描け。出す場所の空気に、火種があると信じろ。それができりゃ、距離なんざ関係ねぇ」
言いながら、ヴォルフは自らの手を軽く振る。
すると、リリアナの右側――3メートルほど離れた地面に、小さな火がぽっと灯った。
「……!」
「な、意外だろ。おっさんにもこういう技があんだ」
リリアナは驚きながらも、すぐに同じように試そうと目を閉じた。
(そこに……火があると、信じる。描く、イメージを)
小さく手を突き出す。
ボッ、と、わずかにだが――リリアナの炎が、地面に揺らいだ。
「……!」
「悪くない。最初でここまで出せりゃ十分だ」
ヴォルフの声に、リリアナは顔を上げる。
「とりあえず威力はいらねえ」
ヴォルフが木の枝で地面に円を描いた。
「この円の中で、炎を“好きな形”にして出してみろ」
「好きな、形……」
「ハートでも星でもなんでもいい。要は“描く”ってことが大事なんだよ。魔力を線みたいに意識しろ」
リリアナは小さく息を吸い、地面の円を見つめた。
掌を前に出し、意識を集中させる。
(炎を……描く。形を……描く)
シュッと空気が震えた。
リリアナの魔力が地面に沿って走る。
ボッ、と音を立てて、半円を描くように炎が灯った。
「……っ!」
だが、そこまでだった。炎はすぐに暴れ、形が崩れて消えていく。
「惜しいな。線の“終わり”を意識してみろ。最後まで描くイメージが足りねぇ」
ヴォルフは静かに言い、再び木の棒で円をなぞった。
リリアナは何度も挑戦する。線が暴れ、形が崩れ、それでも集中して、火の筋を引くように。
そして五度目の挑戦。
「……線の終わりまで」
今度は、炎が地面に綺麗な円を描いた。
「できた……!」
「よし。これが“形を制する”ってやつだ。炎はお前の一部であって、勝手に暴れるもんじゃねえ」
リリアナは汗をぬぐいながら、静かに頷いた。
その目は、確かに自信に満ちていた。
「ありがとうございます……ヴォルフさん。すごく、勉強になりました」
「いいってことよ。お前がやりたいのは"これ"の応用だ。
戦場じゃ、お前の炎が多くの奴を救う。それを忘れんな」
赤く染まりゆく空の下、リリアナの魔力が、再び静かに燃えた。




