第7話『灰の砦の静寂』1
砦の中は、異様なほど静かだった。
血の海もなければ、折れた剣もない。
けれど、そこには間違いなく“戦いの爪痕”が残っていた。
――静寂。
それが、この砦に残された最後の“戦場の痕”だった。
兵士たちは誰一人、剣を振るわなかった。
ただ丘を制し、補給を断ち、敵を飢えさせた。
結果として、敵兵は砦から撤退した。ある者は夜に逃亡し、ある者は降伏して。
リリアナは石壁にもたれ、砦の中庭をぼんやりと見渡していた。
散らばった道具、崩れた兵舎、火の消えた炉。
「……戦った、って感じはしないよね」
小さく呟いた言葉は、煙の匂いに飲まれて消えていった。
けれど、戦ったのだ。
汗と知略と、覚悟で。
(誰かが死ななかったからって、楽だったとは思わない)
(勝つために、殺す以外の道を選んだだけ。……それが、今回の戦い)
そして、疲労は変わらず残る。
剣ではなく心と体に刻まれた疲れが、じわじわと。
リリアナは焚き火のそばで、膝を抱えて座った。
騒がしさのない勝利は、どこか現実味が薄い。
そんな時だった。
「おーい、ここが“灰の砦”ってとこか? えらい静かだな……まさかもう終わってたりしてな」
陽気で、どこか懐かしい声が砦の入り口から聞こえた。
リリアナはぴくりと眉を上げて顔を上げる。
その声に、聞き覚えがあった。――忘れるわけがない。
「……え?」
瓦礫の先に、ずんぐりした大柄の男が現れた。
「……ローク!?」
「……ちびっこ!? マジかよ!」
まさかの再会に、二人は思わず顔を見合わせ、そして同時に吹き出した。
「なんだよ、まさかお前がここにいるとは! ……いや、ほんとにお前?」
「う、うん。こっちこそ……ほんとにロークなの? 生きてたの!?」
「当たり前だろ、生きてるから歩いてんだよ!」
ロークは豪快に笑いながら、ずん、とリリアナの前に立った。
「ちびっこ、ずいぶん綺麗な鎧着てんな? 兵士様じゃねぇか」
「うるさい! ちびっこ言うな!」
リリアナは顔を赤くしながらも、口元は緩みっぱなしだった。
「……なんでここに?」
「俺がいた部隊がな、ついこの前ぶっ潰れたんだよ。隊長戦死して、残りはばらばら。
で、俺はガレンがいるって聞いて、志願してヴォルフ隊に来た。……お前がいるなんて、まっったく聞いてなかった」
「偶然、なんだ……」
リリアナの胸が、じんわりと温かくなる。
「でも……偶然でも、会えてよかった」
「俺もだ」
二人は、しばらくの間言葉を交わさず、焚き火の前に並んで腰を下ろした。
「……そういえば、戦わずに砦が落ちるなんて、こんなの初めて見たぜ。それに火の剣を振り回してる小娘がいるって噂になってるぞ?
お前のことか?」
「あはは、火の剣は確かに振り回してる。
今回の戦いはみんなで考えて、包囲して……
最後まで剣を抜かないで勝てた。すごく……怖かったけど」
「怖いのはな、戦い方を選ぶってことだ。
火を振り回すより、覚悟いるぞ。ちびっこ、大したもんだよ」
「……ちびっこ言うなってば」
ロークはいつものように、頭をがしがしと撫でて笑う。
懐かしさに、涙が滲みそうだった。
けれど今はまだ、ただ嬉しいという気持ちを胸に抱いたまま――
リリアナはその静かな炎を見つめていた。




