第6話『戦術と知略』8
灰の砦――その重厚な石造りの壁に囲まれた中は、かつてほどの威厳を保ってはいなかった。
兵士たちは、壁際にうずくまり、無言で配給を待っている。
陽が傾く中、鍋の底に残ったわずかな汁をすくう者もいれば、干し肉の切れ端を奪い合う者もいた。
「くそっ……なんで補給が来ねぇんだ」
「もう三日だぞ……水も足りねぇ」
「森の道だって、今朝使いに行った奴が戻ってねぇ。やられたんじゃねぇのか……?」
兵たちの間に走る、沈黙と不信感。
どこかで誰かが、乾いた咳をした。
その音だけが、場の空気をさらに重くした。
司令室。
砦の中心に位置する簡素な石の部屋。地図と書簡が散乱した机を囲むのは、数人の士官たちだった。
その中央に立つのは、砦守備隊の指揮官――ゲルツ。
分厚い鎧の肩を揺らしながら、声を荒げる。
「まだだ!まだ包囲されてると決まったわけじゃない!」
「補給船が沈められたというのも、確認されたわけではない。川の流れが悪かったのかもしれん」
「ゲルツ様、それでもあまりにも遅すぎます。森に出た斥候も戻ってこない。物資の在庫も……」
「黙れッ!!」
怒声が石壁に反響する。
配下たちはひるみ、口をつぐむ。
「……敵は少数だ。丘の一点を取られただけで砦を落とされるはずがない。向こうだって兵は限られているはず……」
ゲルツは自身に言い聞かせるように呟いた。
その姿に、他の指揮官たちは気づいていた。
――彼が既に、冷静さを失っていることに。
その夜。砦の北側、兵舎の一角。
夜番の兵士が、手にした松明を壁にかざす。
「……なんか、変な音がしなかったか?」
「は?気のせいだろ」
「いや、外から……人の声……いや、泣き声みたいな……」
不安は、夜の静けさを餌にして広がっていく。
誰もが知っているのだ。
すでに、この砦は“孤立”していることを――。
翌朝。
配給の列が乱れ、怒号が飛ぶ。
「昨日より量が減ってるじゃねぇか!」
「こんな水、ただの泥だぞ!」
「子どもかよ、もっと寄こせ!!」
暴動寸前の騒ぎが起き、詰所から兵士が飛び出す。
混乱の最中、何者かが調理場の扉を蹴破り、干し肉の備蓄を奪おうとする。
「止めろ!そいつを――」
だが、止めようとした兵士が逆に殴られた。
仲間同士で殴り合いが始まる。
整列の号令は響かず、誰も言うことを聞かない。
(これはもう――)
見張りに立っていた一人の兵士が、そっと背を向けた。
(ここにいても……死ぬだけだ)
目指すは森の抜け道。だが、彼はまだ知らない。
そこがもう、塞がれていることを。
夕刻。
ゲルツは両手で頭を抱え、司令室に立ち尽くしていた。
「なぜ……なぜだ……」
扉の向こうで、再び怒鳴り声が響く。
味方同士の小競り合い。
暴動の連鎖。
そして、砦の“秩序”が崩れていく音。
外の誰一人、剣を振るってはいない。
だが、砦は――
“静かに、確実に崩れていた”。




