第6話『戦術と知略』7
森の縁には、湿った空気が漂っていた。
昼を過ぎ、太陽が高くなるにつれ、砦の周囲は静けさを増していく。
リリアナはミレイアとともに、西の出入り口に続く獣道を進んでいた。
「敵は砦の正面から出てくることはまず無いでしょうね。正門を使わずに逃げていくにはこの道を通るしかないわ」
ミレイアは道端にしゃがみこみ、葉の動きを読み取るように指先を滑らせた。
「ここから風を通すように仕込んでおけば、誰かが通ったときに感覚でわかる。目視がなくても対応できるわ」
「……すごいね。私なんて、風の“感じ方”すらよく分かってないのに」
「リリアナには炎の力がある。その分、私は風の動きを読むことに慣れてるだけよ」
そう言って、ミレイアは軽く微笑んだ。
リリアナはその笑みに頷き返し、剣の柄にそっと手を添える。
その時、背後から落ち葉を踏む足音が響いた。
「お前ら、進みはどうだ?」
ガレンが片手に小隊の地図を持ち、数人の兵を連れてやってきた。
「あと少しで配置完了。風の結界も今張ってるところ」
ミレイアが淡々と答える。
ガレンはリリアナの隣に立ち、森の奥をじっと睨んだ。
リリアナもガレンの視線の先を追う。
(きっと来る。誰かが、この道を通ろうとする)
「リリアナ」
ミレイアの声が少しだけ強くなった。
「お願い。敵が来たら、炎で威嚇して。倒す必要はないけど、“出る道はない”と分からせる必要がある」
「……うん、わかった」
リリアナは深く頷き、剣をゆっくりと抜いた。
その刃が、彼女の魔力に応じて赤く染まっていく。
(焦らなくていい。ただ、“動かさせなければいい”)
日がさらに傾き、森の奥からわずかな物音が聞こえ始めた。
カサ……カサッ……
「……きた」
リリアナが身を低くし、木陰に隠れる。
ミレイアは目を閉じ、風の流れに集中する。
「三人……軽装、剣を持ってる。慎重に動いてるわ。偵察か、補給の確認か……」
「ここで止める」
リリアナがそっと剣を構える。
敵が、道の曲がり角から姿を見せた瞬間――
「止まって。これ以上は、通れない」
静かに、しかしはっきりとした声が森に響いた。
敵兵がハッと顔を上げた時には、既に炎が刃に灯っていた。
「行こう、紅蓮刃」
リリアナの剣が地面を斬りつけ、土の表面に小さな炎の線を走らせた。
派手な爆発ではない。だが、明確な“警告”だった。
「伏せろッ!!」
敵兵の一人が叫び、残りが慌てて身を引く。
「畜生、包囲されてる……!? まさか、こんな場所まで……!」
「その通りよ」
ミレイアが姿を現し、手のひらに風の術式を展開する。
「ここは既に封鎖済み。あなたたちの出入り口は、もう閉じられてる」
敵兵たちは顔を見合わせ、しばしの沈黙の後に、剣を捨てた。
「……降伏する」
リリアナは剣を下げ、炎をゆっくりと消した。
燃え尽きた葉がぱらぱらと地面に落ちる。
作戦は成功だった。
川も監視され、森の中に逃げ道は残っていない。
「うまくやったな」
ガレンが最後に姿を現し、微かに笑みを見せた。
「これで外との接触は断てた。残るは、中がどう崩れるか、だ」
リリアナは森を見上げる。
淡い陽光が木の隙間から差し込んでいた。
(私たちは、まだ剣を振るっていない。でも――)
包囲は完成した。
砦の中の焦りが、この静寂を破る日は、すぐそこに迫っている。




