最終話『二つの王と、一つの未来』パート4:決断
静寂が、謁見の間を包んでいた。
誰もが、リリアナの言葉の余韻に囚われていた。
王でさえも、返すべき言葉を慎重に探しているようだった。
そして――重い足音が一つ、石床に響く。
玉座の上で沈黙していたアグナス王が、ゆっくりと立ち上がった。
その動作ひとつに、空気が震える。
「……リリアナ・アーデル。お前の言葉、しかと受け取った」
アグナスは、威厳ある声でゆっくりと続ける。
「国を治めるということは、時に、正義を棄てねばならぬという意味だ。兵たちの命を犠牲に、民の恐れを利用し、敵国を抑えつける――それが“支配”というなら、確かに我らは勝者だっただろう」
王は視線をグランツェルの少年王――ユリクへと向けた。
「だが、今この場に立つお前が、過去を恥じ、未来を望んでいること……それは確かだ。だからこそ問おう、少年王よ」
「この先、お前に力がなければ、再び誰かが国を支配する。今度はもっと狡猾に、民の顔を笑顔のまま、心を縛る者が現れるかもしれぬ」
「その時、王たるお前は、どうする」
厳しい、だが真っ直ぐな問いだった。
王の声は叱責ではない。
未来に背を向けないための“覚悟”を問う言葉だった。
ユリクは、小さく息を吸い込んだ。
唇を噛み、拳を握り、顔を上げて――静かに、そして真剣に答えた。
「……私は、逃げません」
「父が死に、カイルが国を支配する実権を握ったあの日から……私は、ずっと自分の無力を知っていました」
「でも、誰かのせいにしてはいけなかった。誰かに任せたことで、国は歪んだ。兵たちは操られ、民は苦しみ、私も“王”を名乗る資格すら無くした」
拳を震わせながら、それでも声を張る。
「私はもう、背を向けない。例え力がなくても、道を選びます。……グランツェルに生きる人たちが、明日を信じて眠れるような場所に……そう変えていきます」
王たちの間に、しばしの沈黙が落ちる。
だがその刹那。
アグナスはふっと目を細め、ほんのわずかに――笑った。
「……ならば、今すぐ“王”にしてはならぬな」
ユリクが、目を見開く。
誰もが戸惑う中で、アグナス王はゆっくりと一人の男を見据える。
「ハウゼン」
その名を呼ばれた瞬間、ハウゼンの顔面が一気に青ざめた。
「……は!…………はい!!」
アグナスは軽く頷きながら、静かに言葉を重ねた。
「お前を、暫定的にグランツェル王とする」
「――……はあ!?」
間髪入れずに、あらゆる方向から声が上がる。
リリアナが目を丸くし、ユリクは硬直、ヴォルフでさえ思わず「マジか」と呟いた。
謁見の間がざわめきに包まれた。
だが、アグナスは動じない。
「グランツェルは、今後アルテシアの属国にはせぬ。ただし――グランツェルの再建が落ち着くまで、暫定的な“保証人”が必要だ」
「その役を、お前に任せる。軍を束ね、戦場を生き抜き、民と命に向き合ってきたお前ならば……ユリクの隣に立ち、彼を見守れる」
「……ま、待ってくださいませ、陛下」
思わず膝を一歩引き、ハウゼンは声を震わせた。
場に似合わぬほどの狼狽えた声音に、場の空気が少し揺れる。
「私のような者が……王など、恐れ多すぎます。私はただの軍人で……政治のことも、王としての振る舞いも……」
「民を導くなど、到底……」
ハウゼンは眉をひそめ、肩を落としそうになりながら言葉を継いだ。
「私は、誰かの後ろに立って支えることしか……」
「だからこそ、だ」
アグナス王の声が重なった。
静かでありながら、一切の揺らぎを許さぬ王の声。
「お前は命令を受け、ただ従ってきたわけではない。戦場では常に己の意志で動き、仲間を守り、時に上官にも逆らった。そのすべてが“民を守る”という一点に根ざしていた」
「ならばそれは――すでに“王の責”を背負っていたということだ」
ハウゼンは目を見開く。
その目を見つめ返すアグナスの視線に、嘘はなかった。
「グランツェルに必要なのは、民を見下ろす者ではない。隣で戦い、背中を預けられる王だ。お前なら、それができる」
――場が、静まる。
ハウゼンの喉がごくりと鳴ったのが、謁見の間にまで響いた。
「……ご冗談を……」
ぽつりと、呟くようにこぼした。
「こんな歳になって、今さら“王”など……」
アグナスはふと、柔らかく笑んだ。
「……そういえば、だ」
「第三部隊を勝手に“復活”させた時は、さすがに私も驚いたぞ、ハウゼン」
「文官どもが青ざめて走ってきたのを覚えている。お前が“名も持たぬ少女に第三を与えた”などと――」
軽く肩をすくめる王の口ぶりに、謁見の間にくすりと笑いが広がった。
「だが今思えば、あの時からすでに……お前は、“王の顔”をしていたのかもしれんな」
少しの沈黙のあと、ハウゼンはゆっくりと背筋を伸ばした。
リリアナとミレイアが、そっと視線を向けていた。
ユリクもまた、不安と希望が混じった顔で、彼を見上げていた。
ヴォルフは無言のまま、いつも通りの無骨な目で、ただ頷いていた。
そして、ハウゼンはひとつ、小さく息を吐いた。
「……畏まりました」
「身に余る光栄ではございますが……陛下がそう仰るのなら、私にできる限りのことを」
「この老骨、振るえる腕も足も残っておりませんが……せめて、心だけは民に向けて、生き抜いてみせましょう」
その言葉に、謁見の間が再び静寂に包まれた。
だが今度の静けさには、わずかに温もりがあった。
リリアナが、そっと胸に手を当てて微笑んだ。
ユリクが、心からの安堵と決意を込めて、ハウゼンへと一礼した。
――新たな王が、生まれた。
それは血筋でも、野望でもなく。
ただ、命と向き合ってきた者に託された、“未来を照らすための冠”だった。




