第44話『風を纏う刃』パート3:暴風と神雷
戦場を走る風は、もはや制御された魔法ではなかった。
ヨルナの双剣からあふれ出る暴風が、周囲を乱れさせ、味方でさえ容赦なく吹き飛ばしていた。
「きゃああっ!」「くそ、巻き込まれ……ぐっ!」
ヴォルフ隊の前衛が風圧ごと地面に叩きつけられ、アイアス隊の盾兵が、渦に引きずり込まれて転倒する。
ヨルナは笑っていた。
壊れたように、苦しげに、そして悲しげに。
「もっと、もっとなのっ……! 止まらないの、止めたくないのっ!」
双剣が空気を裂くたび、風は旋回し、誰彼構わず弾き飛ばした。
その目は焦点を失い、何も見ていなかった。
そんな渦の中に、一人、まっすぐ歩いていく者がいた。
誰もが風に手を出せずにいた中、彼だけが逆風の中心へと踏み込んでいく。
そしてその口が、短く呟いた。
「響け、雷嵐」
その瞬間、周囲の空気が軋む。
セリスの足元から雷が旋回し、嵐のように展開されていく。
風を切り裂き、雷がセリスの周囲を覆った。
「なん、で……? 消えてく……」
ヨルナの風が、雷に裂かれていく。
だが、彼女の暴走は止まらなかった。
「旋裂翔牙っ! 鳴空裂っ!」
怒涛のように技が繰り出されるたび、空が裂け、風が咆哮する。
双剣が描く軌道は乱雑で、だが一撃ごとに確かな破壊力を秘めていた。
それでも、セリスの雷嵐には、一切通じなかった。
まるで、雷が風のすべてを飲み込み、受け止め、相殺しているかのように。
「なんで……! 効かないのっ!?」
ヨルナが叫ぶたび、魔力がさらに乱れ、空気が軋む。
「風っ……守ってよ、いつもみたいにっ……!」
だが、精神の乱れにより暴走していた彼女の魔力は、限界近くまで消耗していた。
攻撃は粗く、双剣の動きもブレている。
嵐の中心へと、セリスは踏み出す。
ほんの一瞬、何かを確かめるようにヨルナを見た。
ベルト。
青いベルトに描かれた、熊の顔。
そして、マフラー。
狐の毛皮――大切に巻かれたもの。
左手が、ゆっくりと掲げられる。
上空の雲が震え、雷光がひとつ、天を貫く。
「神雷・崩撃」
轟音とともに、巨大な雷が空から叩きつけられた。
ヨルナの風が、一瞬で消し飛ぶ。
……だが、その雷は、彼女の身体には当たらなかった。
ほんの数寸、逸れた軌道。
ただ、大地の、空気の、すべての暴走を打ち消した。
「っ……くっ、ああああっ!」
ヨルナの身体が、雷の衝撃に押されて後方へ飛び、地面に激突する。
倒れ込み、しばらく動けなかったが……ゆっくりと、体を起こす。
彼女の瞳には、もう狂気はなかった。
そこにあったのは、ぽつりと漏れた疑問。
「……なんで、当てなかったの」
セリスは何も答えない。
けれど、ふと視線を逸らした先――
彼女の腰の、青いベルト。
首元の、大きな狐のマフラー。
セリスは少しだけ、視線を戻して、低く呟いた。
「それ……大切なんだろ」
その言葉に、ヨルナの瞳が揺れた。
彼女は何も言えず、ただ拳を握ったまま、涙をこらえるように口を結ぶ。
雷の気配が静まり、風が止んだ戦場に、重たい沈黙が降りた。




