第40話『灰の砦への帰還』パート4:居場所
夜の屋敷。
出発前の空気が、静かに満ちていた。
広間にはそれぞれの荷物が積み重ねられ、隊員たちは思い思いの準備に追われていた。
「……荷物、ずいぶん増えたね」
ティオがぽつりと呟く。
「王都で買ったお土産。あと……変な棒とか……ふふ」
ラシエルが苦笑しながら言い、リリアナも思わず吹き出した。
「忘れ物無いようにね。こんな棒が落ちてたらシアネさんビックリしちゃう」
「ふわー……お祭り、終わっちゃうみたいだね」
ティオの呟きが、妙に静かな響きを残した。
その時だった。
「――こんばんは。突然の訪問を、お許しください」
優雅な声と共に、廊下の奥からシアネ・クリスタル・フォン・エルデが姿を現した。
光を帯びた白髪と水色の瞳。
屋敷の灯りに照らされながら、彼女はゆったりと広間に入ってくる。
「シアネさん……?」
リリアナが立ち上がりかけるのを、シアネはそっと手で制した。
「構えないでください。今夜は、ほんの少しだけお話をしに来ただけなのです」
彼女は椅子を勧められると、腰を下ろし、隊の面々を穏やかに見渡した。
「明日、砦に戻られるのですね」
「うん。ロークの退院も済んだし……予定通りに」
リリアナの答えに、シアネはうなずいた。
「実は、先日の評議会の後――少しだけ、空気が変わりました」
「……変わった?」
リリアナが首を傾げると、シアネは柔らかく言葉を続けた。
「私はその場にいませんでしたが、あなたの言葉。『制度を否定しない』と、はっきり伝えた姿勢に……多くの者が、心を動かされたのです」
リリアナは思わず目を伏せた。評議会の場で、自分が語った言葉を思い出す。
――私は、皆さんを否定するつもりはありません。
制度を守り、積み上げてきた人たちの努力を、軽く見るつもりもない。
私だって、小さい頃は家があって、畑があって――
それを将来引き継ぐのが当然だと信じてました。
だから分かります。先祖から受け継いだものを守りたい。
それを自分の子どもに託したい。……その気持ちは、間違ってなんかいない。
あの言葉を、誰がどう受け止めるか、不安もあった。
でもーー
「私は……ただ、目の前のことに、全力で向き合ってきただけ」
「その姿勢が、重みとなりました。心ない声がまだ残るのも事実ですが――それでも、いま王都の空気は、ほんの少し、穏やかに流れはじめています」
そう言って、シアネは懐から一通の封書を取り出した。
「そして、これは……王命です。どうか、砦へ戻ったら、ハウゼン将軍にお渡しください」
封筒には、王家の紋章が刻まれていた。
リリアナが慎重に受け取ると、シアネは一言添えた。
「内容は、“カイル討伐”。中央軍全軍への命令です」
空気が、静かに変わった。
「……ついに、来るんだね」
「この命は、あなた方が砦に戻ったのち、正式に発動されます。進軍の準備や時期の判断は、ハウゼン将軍に委ねられる形です」
リリアナは視線を落とした封筒に戻し、深く頷いた。
「……了解しました。必ず、届けます」
シアネはその様子を見届けると、少しだけ声を低めた。
「カイルの所業には、国家としてけじめをつけねばなりません。今もなお、彼の支配のもとにある民が、助けを待っています」
「私たちが、取り戻す。……全員、必ず」
リリアナの言葉に、隊の者たちは無言でうなずいた。
それが、戦場に生きる者たちの誓いだった。
朝――。
まだ空が青白い時間、王都の門前にリリアナ隊は揃っていた。街はまだ静かで、露店も開いていない。
「じゃ、行こうか」
ロークの軽い一言に、隊が小さく笑う。
「また来るのー!」
キユが元気よく手を振ると、コヨとテトも跳ねながら手を振った。
リリアナは振り返らずに歩き出す。
「――行こう。私たちのいるべき場所へ」