第35話『第三部隊、復活の日』パート5:広場
王宮の正門が、ゆっくりと開かれる。
その先に広がるのは、王都最大の中央広場――
かつて王が演説を行い、戦の布告がなされた歴史ある場だった。
昼前の陽が広場に注ぎ、無数の民衆の顔を照らしていた。
王宮から通じる石階段の上、式官が姿を現す。
高台に上がり、銀縁の巻紙を手に、朗々と声を上げた。
「王命により、中央軍第三部隊――いまここに復活す!」
その言葉と同時に、軍鼓が鳴り響く。
礼砲が轟き、王都の空に白煙が立ち昇った。
人々の視線が階段の奥へと集中する。
礼装を纏い、姿勢を正した兵たちが、整然と姿を現した。
先頭はリリアナ・アーデル。
その隣にミレイア・ラシュフォード。
続いてノア、クラウス、ティオ、ラシエル、マリア、ルネ、セリス。
セリスの胸元で、黒銀の徽章が光を鋭く跳ね返した。
ヘルダス隊の三人は、観客の列の中へ移され、行進するリリアナたちを見守っていた。
第三部隊。
その名が再び記録に刻まれ、今、王都の民の前に現れた。
演壇の隣、民衆から見える高さの壇上に、第三部隊の面々が整列した。
「……おい、あれが……?」
人々のざわめきが広がる。
誰もが、整列する者たちの“若さ”に目を見張っていた。
とくに、中央に立つリリアナの姿には、驚きと戸惑いが混ざる。
「子供……なのか? 隊長って、あの子?」
そんな中、列の外縁に集まっていた数名の男たちが顔を見合わせた。
合図もなく、最初の声が飛ぶ。
「――あんな子供に、部隊を任せるのか!」
「俺たちの税を、遊びに使う気か!」
続くように、別の方角から。
「第三部隊? またグランツェルに村人をさらわれたら、どう責任を取る!?」
「国は何をしている!貴族の鍛えぬかれた私兵に任せた方がいいに決まってる!」
民の中にも、一部がその言葉にざわめき出す。
「……ほんとに、あの子が隊長……?」
「連れ去られた人もまだ救出できてないって聞いたけど……」
広場に、一気に冷たい空気が広がった。
その背後、高台の陰で控える数名の貴族が、ほくそ笑むように視線を交わしていた。
(広場の印象を冷やす……支持を潰せ)
そうした“演出”は、あらかじめ仕組まれていたのだ。
周囲の民たちも戸惑い、広場の空気は、不信と不安に包まれていく。
そのときだった。
「――その娘に、救われた命だよ」
静かな、けれど強い声。
広場の右端、座っていた老婆が立ち上がった。
その姿に覚えがある者は多かった。
ミルヴァン村の者たち、王都に避難してきた中でも最も声を上げていた一人だった。
「この子が来なければ、私はもう生きていなかったよ!
家族も、隣人も、村も――全部、あの子が守ったんだ!」
場が一瞬静まる。
次の瞬間、隣の列から男が前に出た。
「うちの孫も、助けられた! この人たちに!」
さらに別の方向から声が重なる。
「リリアナ!!」
一瞬、リリアナの目がその声に向けられる。
そこにいたのは――ベラだった。
昨日、市場ですれ違ったあの女性。
今日は真っ直ぐに、広場の壇を見上げていた。
「昨日は……声が届かなくて、ごめんね!」
「でも今は、言わせてほしい!」
彼女の声が、広場の空気を割った。
「私たちは――ミルヴァン村で連れていかれたの。
もう、終わりだと思った。どこまで連れて行かれるのか、わからなくて、怖くて……!」
声が震えていた。だが、その瞳は逸らさない。
「でも、来てくれた。あなたが、私たちを見つけてくれた……!
剣を振るって、叫んで、私たちを抱えて逃がしてくれた!」
隣に立つユーゴが、強く拳を握った。
「砦に避難してからも……あんたは何度も、俺たちの様子を見に来てくれた。
そのたびに、俺たちは安心できたんだ。ああ、この人がいてくれるなら、大丈夫だって!」
彼の目が赤く染まる。
「ただ助けるだけじゃない。
その後も、ちゃんと“見てくれていた”……あんたは、俺たちの希望だった!」
ベラが続ける。
「突然王都に避難することになって……せめてお礼が言いたかったの!リリアナ!ありがとう!」
その言葉に、どよめきが走った。
だが、誰も止めようとはしなかった。
「ありがとう、リリアナ。命をくれて、居場所をくれて、本当に、ありがとう!」
その声は確かに、リリアナに届いていた。
そして、群衆をかき分けるように、一人の男が娘の手を引いて現れる。
娘の左腕には白い包帯が巻かれていたが、その瞳は確かに笑っていた。
「隊長さん……!」
男の声は震えながらも、広場全体に届くほどに大きかった。
その瞳は、壇上に立つ少女だけを見ていた。
「……本当に……ありがとう……!」
彼は、涙で顔を歪めながら深々と頭を下げた。
「あの時……娘が連れ去られたあの日……
あんたは、必ず取り戻すって言ってくれた……!」
「娘が戻ってきたとき、“帰ってくる場所を用意するのはあなたたちだ”って……
言われて……だから、俺……砦で……待ってたんだ……!」
男の声は途中で詰まりながら、それでも言葉を絞り出す。
「村には、まだ戻れないけど……
それでも、あんたらが……娘を……坑道から連れ戻してくれた!」
「ありがとう……! それだけを……どうしても、言いたかったんだ……!」
娘が父親の腕をそっと握り、黙ってうなずいた。
その叫びが引き金となったように、声が連鎖し始める。
「全員で生きて帰るって!自分たちだけ残って敵兵士を止めてくれたんだよ!」
「暗い地下の中で、手を引いて案内してくれた!」
「紅蓮姫は誰も見捨てなかった!」
空気が、反転する。
拍手が沸き起こり、罵声はかき消され、貴族たちの表情が凍りつく。
「な……」「なぜ民が、味方を……」
妨害は、失敗に終わった。
先ほどまでの冷ややかさが嘘のように、広場が熱気に包まれていく。
「第三部隊!」 「紅蓮姫! バンザイ!」
拍手と歓声の渦の中で、リリアナは一歩も動けずにいた。
胸の奥が熱くなりすぎて、息を吸うだけで震えそうだった。
「……」
あの時、守れなかった命があった。
届かなかった手もあった。
だからこそ――。
「よかった……」
思わず口からこぼれた言葉に、自分でも気づいた瞬間、
頬に――温かいしずくが一つ、こぼれ落ちた。
涙だった。
こんな場で泣くつもりなんてなかった。
泣いてはいけないと思っていた。
でも、目の前にいる人たちが、それでも彼女に「ありがとう」と言ってくれる。
助けたことに、感謝される。
それが、こんなにも重くて、温かいなんて。
リリアナは、顔を上げたまま涙を流した。
泣きじゃくるのではない。
けれど、その瞳には確かに、感情の深さが揺れていた。
視線の先にいる村人たちが、皆、彼女に笑顔を向けていた。
拍手の音に混じって、誰かがまた名を呼んだ。
「紅蓮姫……!」
リリアナはゆっくりと、拳を胸に当て、頭を下げた。
それは隊長としてではなく、ただひとりの兵として、心からの礼だった。
次の瞬間、彼女は前を向いて歩き出す。
演壇の階段へと、力強く。
涙のあとに残ったものは、ただ一つ。
――決意だった。




